天使の図書館ブログ

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作品☆Pick up!!その13~エミリー・ディキンスンへの手紙(7)~

2011-05-27 | 作品☆Pick Up!!
 ※使用させていただいているイラストは、幻想素材サイトFirst Moon様のものです。利用規約を守らず転載or再配布したりされないよう、よろしくお願い致します。


 わたしの救世主は
 否定できない事実を真実をもって
 解き明かすことのできる人――

 もしもこの方が神でないとしたなら
 きっとこの世界に神は存在しない――

 この方はわたしの類稀なる苦しみを解放し
 わたしの至高の悩みに答えを与えてくださった方――

 また人々がわたしに対して嘲笑の刃を向けた時にも
 この方だけは盾となってわたしを守ってくださった――

 もし他にどなたかこのような方を御存知でしたら
 どうかわたしにまで御連絡ください


詩集の部屋より、「エミリー・ディキンスンへの手紙」第96番目の詩)


(今回は、詩に短い文章を付けてみることにしましたm(_ _)m)

 宗教的傾向にある人というのは、日本人の場合オ○ム真理教や統○教会(一応伏字で☆)のことなどが連想されて、あまり受けが良くないかもしれません。

 でもわたしは、自分の記憶にある限り、7~8歳頃か、それ以前からずっと神さまに祈っていました。

 といっても、わたしの家族はわたし以外は全員仏教徒で、わたしがクリスチャンになったのも二十代を過ぎてからのことでした。

 なので、その前まではキリスト教の神であるイエス・キリストにではなく、全然別の存在に祈っていた……ということになるのかもしれません(笑)

 たぶんクリスチャンの方でもノンクリスチャンの方でも、人生を振り返ってみて、少なくとも最低一度は「困った時の神頼み」で、祈ったことがあると思います。

 わたしも小さな頃からずっと祈っていました。

 小さな頃のわたしの信仰というのは、<万物に神は宿っている>というものだったので、夜眠る前になると手を合わせ、次のように祈りました。

「山の神さま、川の神さま、海の神さま、草木の神さま、いつもありがとうございます。実はこれこれのことをお願いしたいので、よろしくお願いします……」

 何分、幼いものですから、その願いごとというのも実に他愛のないものだったと思います。

「四月のクラス替えで、○○ちゃんと同じクラスになれますように」とか、「同じクラスの△◇ちゃんと仲良くしたいです。よろしくお願いします」とか。

 そしてなんともユニーク(?)だったのが、何しろ<万物に神は宿っている>わけですから、日ごとに神さまの名前リストがどんどん増えていったということでしょうか(笑)

 先に書いた、山の神さまや海の神さまにはじまって、今度はタンスの神さま、ごはんの神さま、おかずの神さま、さらには電子炊飯器の神さま……と、自然の神さまの他に色々な物に宿る神さまの名前もあげて祈っていかなくてはならず、肝心の願いごとをする前に「ぐう」と眠りについてしまうこともしばしばでした。 

 そんなわけで、わたしが生まれて物心ついて感じたことは「神さまはこの広い世界のどこかに必ずいらっしゃる」というものだったと思います。

 けれどもそれもまた、人生で深刻な悩みや苦しみが生まれる前までのことでした。

 高校に入った頃くらいから、わたしにとって人生というのは「暗い沼に足を踏み入れた」もののようになっていき、そうなるともう幼い頃に信じていた神さまというのは、すでになんの力も持ってはいなかったのですね。

 16歳頃には次のような考えが心の中で確信に変わりました。

「神さまなんて、この世界には存在しない」し、あるいはいたにしても「わたしの悩みや苦しみに答えてくれないなら、そんな神さまはいても意味がない」……。

 この頃になると、わたしはまったく祈らなくなっていました。

<祈り>と聞いてわたしの脳裏にあるのは、大体次のような光景です。

 十何億人も神さまと呼ばれる方の前に人が並んでいて、わたしが持ってるチケットには、それこそ六十億飛んで二十八番とか、そんな番号が記載されているわけです。

 そして天使のような人が「割り込みはダメだよ」とか「順番はきちんと守って」とか言いながら、ホイッスルを片手に注意したりするのですね(笑)

 でも、わたしがクリスチャンになって一番良かったと思ったことは――そんな長い行列に並ばなくても、神さまは祈りを聞いてくださることがわかった、という点だったでしょうか。

 祈りの奥義ということについては、説明が少し難しいのですが……クリスチャンになってから、わたしは再び祈れるようになりました。

 それも、この方こそが神であり、もしこの方が神でないなら、他に神は存在しない、と確信できる方に向かって。

 そういったような理由から、わたしの編んだ詩集の中には宗教的なものが含まれているのですが、もし少しでもお心に届く何かがあれば、とても嬉しく思っています




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