天使の図書館ブログ

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カルシェラDE湯けむり妄想☆-その5-

2012-04-27 | 創作ノート
(グスタフ・クリムト【ダナエ】)


 タイトル馬鹿っぽいのに、お話のほうはちょっとシリアス☆ですww

 いえ、本当はただエロくてバカっぽい話にしよーと思ってたんですけどね(^^;)

 たとえば。。。


 シェラ:「あっ……カル様、もう、もう、上がらせてくださ……ああっ!!」

 カル:「ダメだ、シェラ。まだ泡がついてる。ほら……」

(と言って、シェラの内ももに沿ってシャワーを当てるカル。
 んで、シェラはそのうちぐったりして倒れてしまうという☆笑)

 
 でもカルはこれ、善意(?)でやってるつもりなので、「あの程度で倒れるとは、シェラは少し感じやすいのではないだろうか……」みたいに真顔で考えるというww

 まあ、実際は確信犯ですけどね(笑)

 このへんのことは細かく描写すると、カルが色魔の変態にしか思えないので、はぶくことにしました。。。

 いえ、カルのクールで格好いいイメージをわたしも壊したくないので(だったらそもそも書くなよ☆って話^^;)

 あと、↓の中に出てくるグレート・マザーについてのお話は、昔河合隼雄先生の本で読んだことが元になっていたり。。。

 確か「昔話の深層」っていう本だったと思うんですけと、例によって記憶あやふやです(というのも、河合先生の本は色々読んでるので

 グリム童話に「トゥルーデおばさん」というお話があって……主人公の女の子が「行っちゃいけない」って言われてるトゥルーデおばさんの家に行き、最後は薪棒に変えられて暖炉に放りこまれるみたいな。

 これだけ読むと、お話として尻切れトンボ☆っぽいんだけど、「行っちゃいけない」と言われてる場所へ行った子供は、当然罰を受けなければいけないっていう、教訓も含まれてるのだとか。。。

 まあ、シェラもカルに色々なお話を聞かせながら、「どうしてここはそーなのだ?」とか聞かれたら、「わたしはたぶんこういう意味なのだと思っています」みたいに答えたりしてたんでしょーね(ある意味ほんと、精神的に子供なカル・笑)

 子供に童話を聞かせるって、情操教育的な面が大きいと思うんですけど、その欠落部分が無意識のうちにも埋まるような感覚が、もしかしたらカルにはあるのかなって思わなくもなかったり(^^;) 

 ちなみに、わたしがこれまでテキトーに短い話を作ったのは、単に図書館に行って本を借りてくる暇がなかったからなんです

 本当は千夜一夜物語を借りてきて、そこから何かお話を抜粋するつもりでいたんですけど……まあ、こちらは次に図書館へ行った時にでも借りてくる予定でいます♪(^^)

 それではまた~!!



       カルシェラDE湯けむり妄想☆-その5-

(今の私の気持ちをシェラに説明しても……到底理解は出来ないだろうな)

 そう思いながらカルは、自分の寝所の窓敷居に腰掛け、虹色の光彩を放つ、美しい満月を見上げていた。ほんの何日か前までは、いつも自分の前にシェラがいて、竪琴を奏でながら色々なことを話してくれたものだった。

 旧世界はロシアの、恐ろしいバーバ・ヤーガが出てくる話や、千夜一夜物語の心躍る不思議な冒険譚、東洋はシノワ王国に伝わる、ジパングという名の黄金郷の物語についてなど……そうした話をせがむのは、いかにも子供っぽいということは、カル自身もよくわかっていることだった。

『バーバ・ヤーガというのは大抵、悪い魔女として童話に登場するんですけど……わたしが思うに、同じお話の中に光の母のような聖女が出てくる場合、このふたりは同じひとりの女性であることが多いんですよ』

『どういうことだ?』

『つまり、子供をさらって食べたりする魔女っていうのは、悪い母親としての像であり、光の母親のような聖女には、子供を正しく教え導く役割があるというか……でも普通はこんなに極端ではなくて、その両方の狭間で時に苦しみながら、世の中のお母さんは子育てしてるっていう、そういうふうにも読めるんじゃないでしょうか』

『……………』

 カルは、自分が幼い頃、母親に殺されかかったということを、シェラに話したことはない。だが何故か、シェラから色々な民間伝承などを聞いているうちに――時々、何か心を救われるような思いを経験することがあった。

 それは、幼い日々に母が自分に寝物語をしてくれたこととも関係しているのかもしれないし、そのあと優しいぬくもりとしての母が、すぐ傍らにいたという記憶とも関係しているのかもしれない……そうカル自身は自己分析していた。

 ある時シェラが、恐ろしいバーバ・ヤーガの元から子供が逃げだし、道に迷って途方に暮れていた時に――光の聖女が現れて、どこをどうやってゆけばいいか、森の道を教えてくれるという話をしてくれたことがある。

『シェラ、おまえが前に話してくれたことによると……このバーバ・ヤーガと光の聖女というのは、同一人物ということになるのだったな』

『ええ。口べらしに森に捨てられた女の子は、継母にそうされたわけですけど、はっきりそう書かれていないながらも、この光の聖女というのはおそらく、彼女が生まれた時に亡くなったお母さんの化身だったのではないでしょうか』

『だが、それだとおかしくないか?自分を生んで死んだ母親がバーバ・ヤーガでもあり、光の聖女でもあるというのは』

『えっと……』

 何故自分の主君はそんなことに拘るのだろう――そんな顔をしながらも、シェラはカルの問いにこう答えていた。

『つまり、バーバ・ヤーガというのは魔女ですけど、それでも継母の元で女の子があのまま暮らすよりは、魔女と暮らしたほうがマシだったともいえると思います。魔女がお風呂に入る時にふいごを吹いたりとか、薪を集めたりとか水汲みをさせられたりとか……物語としては、ひどい労働を課されているように読めるけれど、でもこうしたことはみんな、子供の<しつけ>として必要なことでもあるんですよ。実の母親がそうした嫌なことを自分に厳しく命じる時、子供の目には母親が魔女のように見える……でも道に迷った時に最後、必死の思いで助けてくれるのも――同じ光の聖女としての母親なんです』

『そうか……』

 今にして思うと、もしかしたら……カルがシェラのことを本気で「欲しい」と思うようになったのは、この話を聞いて以来のことだったかもしれない。 

 うまく言葉では説明できないにしても、カル自身はシェラと精神的に、深い繋がりを持っているように感じることがある。それがもし肉体的にも結びついたとしたら、より強固な、<絆>と呼んでいいものになるだろう。そしてそれは、かつて自分と母親が持っていたのと同じもの……あるいは極めて似たものだったに違いない。

 だがカルは、手の間から砂がすべり落ちていくように――永遠に失われ、失い続けることの痛みや苦しみや虚しさに、すでに慣れてすっかり無感覚になっていた。もし一度失い、永遠に回復されないと思っていたものを取り戻すには、当然のことながら代償が必要になってくる。カルはもうそうした代償を支払ってまで、<愛>とか呼ばれるものを手にしたいとは思わなくなっていた。いや、もうそう思わなくなって何十年にもなると言っていいだろう。

 けれど、何ひとつ代償を支払うことなく、快楽を手に入れるという方法ならあった。

 つまり、何日か前に、カル自身が浴場でシェラに行ったのがそうしたことだった。相手の体を蹂躙し、欲しいままに求め、好きなようにすること――カルは自分でも自制心が強いほうだと思っていたが、まさか自分があんなにも容易く、目の前の誘惑に負けるとは思ってもみなかった。

 もちろん、シェラの両の胸や足の間の秘部に触れなかったのは、彼女に<女である>と自分が知っていることを気づかせないためでもあった(もっとも、流石に無理があるというのはわかっていたが)。けれど、それ以上に……カルは自分にそれを許してはいけないような気がしていた。にも関わらず、眠る前にシェラの体に悪戯をしたりと、まったく子供じみたことばかりしていて、カル自身も自分で自分がどうかしているとしか思えない。

(普通の男女の間では、ああいう時に、もし仮に相手を愛していなかったとしても――「愛している」と一言いいさえすれば、すべての行為が許されるのだろうな)

 そして、自分は確かにシェラのことを愛しているのだが……と考えて、ふとカルは古き友、ダーク・シュナイダーのことを思いだしていた。

 ダーク・シュナイダーは、自分の心には「愛がない」と言いながら、獲物として捕えた女たちにはよく、「愛している」という言葉を囁いていたものだ。そしてそんな彼の姿を見ていて……カルはある時気づいたことがある。

 問題なのは、ダーク・シュナイダーが相手の女性を真に愛しているかどうかなのではなく――彼が「愛している」と言った言葉を、女のほうで信じるかどうかなのだ、ということに。

「愛している、か……」

(まったく、私には縁遠い言葉だな)と思いつつ、カルは自分は決してダーク・シュナイダーのようにはなれないだろうと、この時苦笑とともにあらためて感じていた。

 ダーク・シュナイダーならば、シェラを抱くということにも、まったくためらいを感じることはないだろう。そして彼女を抱いたあとに一片の罪悪感を感じるでもなく、次の日にはまったく別の女のことでさえ……同じように蹂躙してしまえるのだ。

 カルは、ここに出入りを禁止される前に、シェラが寝所にあるコンソールの上へ置いた、白い百合の花を眺めながら思う。自分と深く関わりあった人間は――普通に枯れて散っていくというのとは違い、芯から凍りついたあと、粉々の回復しない氷の破片に変えられるのだと。

 つまりは、カルがシェラに対してもっとも怖れているのがそのことだった。

 ただ、普通に恋をして傷つくとか、失恋するとかいうのであればいい……けれど、もしかしたら自分という存在は――シェラという娘のことを、滅茶苦茶にしただけでなく、魂に深い、回復しえない傷を負わせてしまうかもしれなかった。自分の心の奥深くに隠し持っているものというのは、実は合わせ鏡のように相手にも反映してしまうものだということを、カルはよく知っていた。



 カルから遠ざけられて、一週間ばかりが過ぎたころ……シェラは自室に籠もってばかりいるのも不健康であるように感じはじめ、少しずつ外へ出て、庭の手入れなどをするようになっていた。

 ジューダス城の中庭には、色とりどりの夏の花が咲き乱れ、まるで夢の庭園のようだったが、彼女の暗く沈んだ心には、花の精たちの慰めの言葉も、あまり効果がないように思われた。

 けれどそのうちに、樹木や花やみどりたちから生命の力を分け与えてもらうことにより、シェラはカルから遠ざけられたショックから、少しずつ立ち直っていったのだった。

 今では、午前も午後もほとんどの時間を庭で過ごし、花がら摘みをしたり、害虫を駆除したり、またこれまでと同じくジューダス城内に飾るための花を、花瓶に活けたりしてシェラの毎日は過ぎていった。

 他国から来賓があった時には、大広間で美声を振るってもてなしたし、その際に主君カル=スと目が合っても――シェラの心はもう痛まなかった。自分と彼の間にあるのは清く正しい主従関係なのであり、こちらから分を越えることさえなければ、あの方は自分の能力を十分評価してくださる方だと、シェラにはそのことがわかっていた。

 けれど、だからといってそれで、シェラの心の内から寂しさが消えたというわけではない。夜毎、何か物足りないような、やるせない寂しさが募り、そんな時にはシェラは、まるて夢遊病者のようにふらふらと城の中庭を散策していた。

 そしてそこから遠く、主君カル=スの寝所に小さな明かりが灯っているのを眺め……時々は、その明かりが完全に消えてなくなる深夜まで、庭でぼうっと立ち尽くしているということさえあった。

 また、彼女自身、まったく馬鹿らしいと思うことなのだが、シェラは中庭の隅にある東屋で、最近ではひとり、竪琴を奏でて過ごすという時間が増えた。そしてそこで(誰も聞いていないにも関わらず)、主君カル=スに話でもするように、何かの物語を楽の音に乗せて語ったりということを繰り返していた。

 そう――シェラの目の前にカルの姿は当然ないのだが、彼女はそこに主君の幻でも見るようにして、自分の心の寂しさを紛らわそうとしていたのである。



 >>続く……。。。





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