天使の図書館ブログ

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ハーフムーン&ヴァージニティ

2011-08-17 | 創作ノート
(アルフォンス・ミュシャ【モエ・エ・シャンドン社のシャンパン】1899)


 今回も前回に引き続き、ハーフムーンという小説の中に出てくる絵をいくつか貼ってみようかな~と思いました♪(^^)

 まあ、場面としては前回の文章より後ではなく前の場面になるんですけど……以下、再び本文からの抜粋です☆


 >>南秀幸(みなみ ひでゆき)という名の三十を少し越えたばかりのこの医師は、最初の頃はどうでもいいような世間話しかせず、またあたしが絵に興味があることがわかると、ずっとその話ばかりをし続けた。
「七尾さんはマグリットの絵を知っているかな?僕は彼の絵が大好きでねえ。特に好きなのは山高帽をかぶった男の絵なんだけど……七尾さんはどの画家のどの絵が好きなのかな?」だとか「ゴッホがゴーギャンに剃刀を振り上げたっていう話、七尾さんは本当に真実だと思うかい?」だとか、あるいは単純に「ムンクの『叫び』という絵を見て七尾さんは何を感じるかな?」と聞いたりした。そしてあたしはこの時の会話の中でついうっかり「ゴッホの絵の中では『アルルの寝室』っていう絵が一番好きです」と口を滑らせてしまったのだった。当然といえば当然のことながら、南先生は間髪入れずに「何故?」と聞いてきた。
「……なんていうか、ベッドの上には枕がふたつあって、椅子やドアなんかも対称的にふたつ存在していて、やんわりした優しさと安らぎの中にゴッホの求めた幸福のすべてがあるような気がして……」
 すると南先生は「七尾さんは根っからの芸術家なんだね」と微笑しながら言った。「あの絵のいいところはやはりふたつのものが対称的に配置されているというところなんだろうなあ。それが見るものに不思議と幸福な感覚を呼び覚ますんだ……七尾さんはひとつよりふたつ、一人よりも二人のほうがいいって、そう思うかい?」
 それまでも答えられる質問に関してはぽつりぽつりと返答していたのだけれど、先生のこの時の質問には内心、あたしの胸をどきりと抉るものがあった。
「先生。二兎を追う者は一兎をも得ずっていう諺があるでしょう?あたしはふたつの物を得るよりもひとつのもので満足していたいっていう、そういうタイプの人間なんです。だからゴッホと同じように枕をふたつ絵に描いて幸福と安らぎの中で眠る自分を想像するだけでも十分に満足なんです」
「ふうむ」と南先生はあたしの今話したことを素早くカルテに書き込みながら言った。「でも絵に描いた餅は食べられないっていう諺だってあるだろう?ちょっと意味は違うかもしれないけど、餅を絵に描いたあとでその餅を焼いてさ、砂糖醤油にでもつけて食べられるといいのにな、とは思わない?」
「先生は目の前にある食べ物の匂いだけを嗅いで実際には食べずに済ますだなんて考えられないっておっしゃりたいのかもしれないけど、あたしにはそれができるんです。もし本当にいい静物画を描くことができたとしたら、目の前にある果物を食べずに餓死したっていいんです。あたしはそういう生き方がしたいんです」


 ――ではまず、マグリットの「山高帽の男」から。
 それにしてもマグリットは、この山高帽が相当お気に入りなんですね(笑)


 次に、ゴッホの「アルルの寝室」。
 解説(?)については、本文で南先生とのぞみが軽く触れてくれてるかな~なんて(^^;)
(全体を見るためには、記事一番下のバーを右に寄せてくださいませ☆)



 それから、ムンクの叫びは有名すぎるからいいとして(笑)、「思春期」。



「ヴァージニティ」の主人公、由架梨が理一郎に、この少女と君は似てる的なことを言ったらしい場面が確かあったと思います。

 まあ、わたしの中で由架梨っていうのは、おでこの真ん中で髪の毛を分けてる、普段は不機嫌な顔した女の子っていうイメージです(笑)

 そんな子を何故理一郎がモデルにしようとしたのかって謎ですけど、以下、本文から一部文章を抜粋☆


 >>「これ、一体だれ?ラファエル・コランの『花月(フロレアル)』みたいな美人じゃない。理一郎、あんた確か言ってなかったっけ?ムンクの『思春期』っていう絵の少女にわたしが似てるとかなんとか……確かにね、あの絵の女の子とはわたし、髪型とか、胸があんまりないとことか、似てるかもしれないわ。でもねえ、いくらなんでも流石にこれはデフォルメしすぎなんじゃないの?」
「そんなことはない」やけに自信たっぷりに、理一郎はそう言い切った。
 窓からは茜色の夕陽の光が、その日一日と別れを惜しむように、強く差してきている。そしてサフラン色の空と溶けあったオーロラを思わせるその色彩は、杉の樹や楢の樹を彩って、窓辺の景色を美しい一枚の影絵のように見せていた。ピー、ロロロロ……と鳶の鳴く声が、夕空を飾るように響いてきている。
「第一、なんでそんなふうに怒った口調で言うかな。それとももしかしてユカリは、ロートレックかアンソールの絵の登場人物みたいになりたかったとか?そういう描き方もまあ、できなくはないけど――どっちにしても君が満足するとは思えないな」


 わたしがこの文章を書いた時頭にあった、ロートレックやアンソールの描いた絵がネットで見つからなかったので(根気よく探せばあると思うんですけどね^^;)、まあアンソールのところをちょっと画家のアルチンボルドに書き換えてみましょう。。。

(ジュゼッペ・アルチンボルド【夏】1573年、ルーヴル美術館所蔵)


 ユカリ:「理一郎のバカッ!!大っキライ!!何よ、人のこと馬鹿にしてっ!!」

 理一郎:「やだなあ、ユカリ。ほんの軽いジョークじゃないか」


 みたいな??(笑)
 
 まあ、もしモデルになってこんな絵を描かれたら、結構ショックかもしれませんよね(爆☆)

 あと、ユカリのイメージとしてわたしの中ではアングルの「泉」、ティツィアーノの「懺悔するマグダラのマリア」があるかもしれません。。。



 上の子はやっぱりおでこ真ん中分け(笑)

 下のマグダラのマリアさんは胸が豊満すぎる(ユカリはもっと貧乳☆)にしても、こういう生命力みなぎる気迫というか、そういう何かがユカリにはあったんだと思いますww



 あとは最後に、同じくティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」、それからマネがティツィアーノをマネ(笑)した「オランピア」を並べて、画像はおしまいです♪(^^)





 ちなみに、今日のトップ絵はミュシャなんですけど、わたしが西洋絵画に興味を持ったのが実は、17歳頃に美術館でミュシャの絵を見て、でした。

 その頃から宗教画なども大好きでしたが(山下りんさんのイコンとか)、まだクリスチャンではなかったので、宗教画の背後にある意味などはまるでわからず……それでもひたすらに「綺麗だな~☆」と思っていたというか。

 その後、クリスチャンになってから再び大好きな絵を見た時に、自然と背後に描かれたアレゴリーについて理解できるようになり、わたしは今も時々、そうしたことがわかるようになっただけでもクリスチャンになって良かったな~と思うことがあります(笑)

 というか、クリスチャンになって得をしたと思うことの、意外に大きな財産のひとつ、かもれしません

 それではまた~!!





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