最近のカウンセリングでは泣くことが多い。
前回も泣き、その週はずっと泣き続けて外出もできないくらいつらかった。
普段、外出しないとは言っても、ゴミを出しに行ったり郵便物を取りに行ったりするのだが、それすらできないほど落ち込み、何もできなかった。
カウンセリングへ行って、どうして泣かなきゃならないんだろう、
どうして泣かされなきゃならないんだろう、
なぜ、私の話すことに対して、責められるのだろう、
これが普通のカウンセリングなのだろうか、とたくさんの疑問を持った。
疑問を持ったのは初めてではないし、一度中断したこともあったし、
今回も中断したほうがいいのだろうか、と思っていたりもする。
他の人がカウンセリングを受けたとき、カウンセラーに、
「そんな友達とは付き合うのはやめなさい」と言われて、その友だちと縁を切った、ということを聞いたことがある。
そのときは、「マジか?」と思ったが、今私は同じようなことを言われている。
カウンセリングのときに私が話したことに対して、カウンセラーが、
「どうしてそんなことをするんですか?そんなことをやっていてつらくないですか?」とか、
「なぜ過去のことばかり話すんですか?今のほうが大事でしょう。過去に戻っても意味ないですよ」と言われたり。
つらいですよ、つらいからカウンセリングに通っているんだし、つらいことで過去を思い出したから話しているのに、意味がないとか言われても。
あまりに話すことに対して責められて、つらくてまず黙り込んでしまう。
そして思いが込み上げて泣いてしまう。
なんでこんな思いをしなくてはならないんだろうと。
それでずっと泣いていました。
泣いて何日か経ちました。
涙が出なくなったころ、ある考えが頭に浮かびました。
こんな思い、かつてしたこともあった、と。
父に言葉でやり込められた時のことでした。
そして思いました。
ああ、幼いころの父とのやりとりを、追体験しているのか、と。
これを乗り越えて、父の死から卒業し、解放されるのだろうか、と。
それならば、カウンセリングを続けたほうがいいのだろうか、と。
普通、カウンセリングを受けるとき、こんなことをみんな考えるのでしょうか。
カウンセリングの意味を。
私は考えなくては前に進めません。
そして、
過去無くしては、現在はないと思うし、未来もないと思っています。
カウンセリングを今までどおり続けるかどうかはまだ迷っていますが、
ひとつの壁は乗り越えられた気がします。
思いが込み上げて、涙が流れることがあっても、
その時私は、父の追体験をしているのだ、と客観視できるのではないかと
これからは肯定的に考えられそうです。
それともうひとつ、
「カウンセリングを受ける」という言葉(文)についての疑問。
正確には、カウンセリングを「受ける」というところです。
それはまた別の時に書こうと思います。