goo blog サービス終了のお知らせ 

かなたんの更年期を楽しむブログ♪

ただいま 更年期真っ最中のアラフィフ女デス
自分のこだわり・思うコトなど
独断と偏見で言いたい放題綴ってマス 

親戚だよね てか・・妹じゃないの?(/・ω・)/ ②

2019年12月30日 19時11分57秒 | 家族のこと

三姉妹で三女のワタクシ・・

生まれてからずっと実家で暮らしているせいか

何かと2人の姉に振り回され・・

というか父と母も含めて4人に

振り回され続けて生きてきました(-_-メ)

長姉とは もうかれこれ6年くらい口聞いてません

次姉とも つい先日 

ワタクシの堪忍袋の緒が切れたので

これから何年になるか分かりませんけど

しばらくは 音信普通になると思います

ワタシの心が狭すぎるのか

それとも姉がおかしいのか・・・

とりあえず 経緯を 綴りたいと思います

何度も書いていますが 次姉は「ウツ病」です

とはいえ、ものすごくひどかったのは 15年くらい前で

最近は 薬の量も減り 普通に生活しています

ストレスや自分の思い通りにいかないことが起きると

ワタシのところに電話をかけてきて 

こちらの都合もお構いなしに何時間も 

しゃべり続けストレス解消する

そんな回数も 昔に比べればかなり減りましたけど

何かと手のかかる姉なのです

姉は父の事を毛嫌いしておりまして

実家に寄り付かないものですから

当然、姉の子供たちも父との面識があまりありません

お年玉や進学や卒業祝いを取りに来ても

さっさと帰ってしまうので

姉の子は父に全くなついておりません

そんなワタシの甥である姉の息子が

社会人になったとき

東京にある父の持っているアパートの一室に

住みたいと言ってると言ってきました

もちろん無料で住む気マンマンで・・

父の返事もろくに聞かずに

とりあえず「意志は伝えた」とばかりに

さっさと引っ越しを済ませてしまいました

引っ越し日も知らせずに

いつのまにか甥はアパートに住んでいました

その時も父は怒っていましたが

自分は もうトシで そうそうアパートの様子も

見に行けなくなってきたので

「たまにアパートの状況を知らせてくれや」

と、言い 納得することにしました

入居の挨拶もなかった甥が

そんなものを知らせてくれるハズはなく

時候の挨拶も年賀状すら届かぬまま1年半が経ちました

昨年の秋

突然、姉からメールが届きました

「息子が彼女と同棲したいからおじいちゃんに

 言うために帰ってきてるんだけど どう思う?」

社会人になっていくらかの家賃も払わず

黙って住み続けている甥が同棲?(-_-メ)

世の中ナメすぎ・・と感じたワタクシは

「そうね。同棲するなら そこを出て

本当の意味で自立してからにしたら?」

と返信しました

姉からの返信は無く

それから少しして 父の方に電話が鳴りました

「これからすぐに行くから」

あまりにも急な訪問予告・・・

「ま・・まさか・・」

「いますぐ来るっていうんだけど 

 なんだや?」などと言いながらも

自分からなんて滅多に来ない姉が来るというので

父はウキウキ気分でした

嫌な予感しかしないんだけど・・・

そう思ったワタシは とにかく2階で

息をひそめておりました

姉から返信がない以上、姉の出方が分かりませんし

返信が無いということは

ワタシとは反対意見なのだということですから

もう知らん・・・ 

25歳になった甥は姉と義兄と3人でやってきました

そして

「同棲したい」という旨を爺さんに伝えました

父は一瞬で噴火しました

そういうふしだら・・というかきちんといていないことが

とにかくキライな人ですから

バカ言ってんじゃないよ!と一喝すると

姉と義兄と甥は 速攻で立ち上がり

「今時、同棲なんて普通だし!

 お父さん頭は古いんだよ!」と捨て台詞を吐いて

さっさと帰っていきました

ワタシの頭も固いのかもしれませんけど

結婚を考えているなら 自立したら?

なぜ 父のアパートに無料で居座り同棲するわけ?

まるでオママゴトじゃないのさ・・

学生じゃああるまいし・・・・・

しかも25にもなって両親引き連れて

やってくるなんて

ワタシが親なら許しませんが

姉たちの感覚では 

それは「アリ」

むしろ利用できるものは

利用して何が悪いの? 

そんな感じのようです

甥は 父の事が大嫌いで

「おじいちゃんに次に会うのは

 葬式だから」

と、そこまで言うほどなのに

なぜ、じいさんのアパートに住み続ける(・・?

そのへんからして もうわけわかりません・・・・

その後、どうなったのか

父もワタシも気になりながらも

こちらからは聞けず

そして姉は その話には一切ふれず・・

てか、ワタシの返信に対して

何の返事もないってどうなのよ・・

と、心で思いながら

さらに1年ほど経ちました

先日、姉が ワタシとランチがしたい

と強く希望するので

週末、一緒にファミレスでおちあいました

姉を元気づけるために

「先日、息子と城ヶ島に行ったのよ 

 そこで寒い中 温かいココアを作ってくれてね

 ほんとに体があったまって幸せ感じたよ

 おねえちゃんも そういう小さな幸せを

 もっと大事にした方がいいから 今度

 一緒に行く?」

というようなことを話しました

すると姉は

「あなたがそう言うなら 行きたい

 誘って」

というので

「1月にも流星群がくるのよね」

とスケジュールを確認するように姉に言うと

「お正月はお嫁さんが・・・」

「・・・・(・・?」

姉の「しまった!」といった顔をみながら

「・・・あなたの息子、結婚したの?」

「・・・うん」

「まだ あのアパートに住んでるの?」

「・・・う・・ん」

と 言った後

「お願い!お父さんに言わないで!

 お父さんには黙ってて バレたら

 ワタシ もう病気がひどくなっちゃう!

 おねがいよ!」

姉の表情から すべてを読み取ったワタシは

速攻で席を立ち お店を後にしました

ワタシは実妹です

姉の息子はうちの娘と2カ月違いで生まれたので

成長も一緒に楽しんできました

なんで そのワタシが

甥の結婚を

教えてもらえないのでしょうか

ちょっと おかしいわよ

おねえちゃん!

これって フツーですか?

祖父であり アパートの大家である父に

黙ってろ?

そんなことできるかい!

あんたバカ?

入居の際も挨拶ひとつなく

去年 突然やってきて同棲したいとぬかし

反対されて

「お邪魔様」の一言もなく

捨てセリフを吐いて速攻で帰っていった

あの親子のその後の

経緯が一瞬にして

ワタシの頭の中に想像されてしまい

それは 多分 事実だろうと思ったら

もー あり得ない・・信じられない

なんて 非常識な奴らなんでしょう!

こんな家族に結婚の祝福をし

叔母としてご祝儀なんて

ワタシは送れませんよ!( ゚Д゚)

てか 

ホントに縁切りしたくなった次第でございます









 



親戚だよね てか・・妹じゃないの?(/・ω・)/ ①

2019年12月29日 12時30分06秒 | 家族のこと

ワタクシ 

3姉妹の三女でございますが

わけあって結婚後も

生まれた時から

ずっと育った場所で両親と一緒に住んできました

とゆーわけで

ワタシには帰る実家というものがありません(/・ω・)/

なにがあっても 他に行くところが無い・・・

という なんとなく損してるんだか得してるんだか

わからない立場でございますが・・・

もともと、戦前生まれの父は

古来からのしきたりを重んじるタイプでして

長女に婿養子をとってもらいたかったようですが

長女が あまり頼りにならない子供なので

結婚出来ればそれ以上は望まない・・てな感じで

長男のお家にお嫁に出しました 

(結局、出戻ってきましたけどね・・

父の中では 一番頼りにしていたのが次女でして

次女の結婚の時には

さんざん次女に圧力をかけまくりましたが

次女のお婿さんは両親を早くに亡くしており

持ち家があった上に祖母の面倒をみなくてはならず

懇願する父など蹴散らし

次女は嬉し涙を流しながらに家を出ていきました

残ったワタクシ

寂しそうに泣く父が 可哀想になったのと

父のせいで統合失調症になってしまった母を

置いて出ていくわけにもいかず

姓は変わったものの 

家に残ることとなったわけなのですが

ワタシに全てを押し付けて

出て行った姉たちにとっても

ここは実家ですので この30年

いろんな事を

自分の新家族を育みながらも

ずっと見てきました

というか・・振り回されてきました(>_<)

次女は15年くらい前に鬱病を発症しまして

と、言っても次女(次姉)のウツは 

全くもって 都合のいいウツでして

自分の思い通りに行かないと

ウツがひどくなるといった状態なものですから

周りが 姉の思う通りに動かないといけない

さらに周りから評価されない事はしたくないものですから

もともと苦手だった家事全般も

やっても誰も評価してくれないのが嫌で出来なくなり

優しい夫が こちらも担当

評価されてお金も貰えるお仕事だけは 喜んで行く

でも 自分のお金は全部貯金で

    👆お金が減ると不安になって

     ウツがひどくなるそうです

お小遣いや生活費は全てダンナ様の稼ぎから・・

ワタシからしたら どつきたくなるような

ワガママ三昧な自己中妻にしか見えないのですが

本人は

「私が こんなに苦しいのが分からないの!?」

だそうで・・・

もう 長姉と同様に

あんまり関わりたくないヒトに

なりつつあるんですけど

姉が崇拝?している占い師さんから

「あなたは家族の中で妹と一番相性がいい

 妹から元気のパワーをもらえるんです」

と言われたせいで 

何かあると、こちらの都合もお構いなしに

電話攻撃の嵐となります

まあ、ワタシも肉親ですので

こんな姉を 本来 心配はしているんですけど

さすがのワタシも 

堪忍袋の緒が切れる事件が

つい最近 起きました

(次回へつづく)



 






アウトドア

2019年12月28日 12時28分59秒 | 家族のこと

少し前に ふたご座流星群がやってきたので

息子と城ヶ島に星空観測に行ってきました(≧▽≦)

月が大きくて観測には全く向かない日でしたが

大きな流れ星をいくつか見る事ができました

ダイヤモンドのようにキラッと光ってストン・・と落ちる

相変わらずとってもキレイでした

それよりなにより、こんな冬の寒い真夜中に 

城ヶ島の海岸は 誰もいないので

海岸を独り占め・・・(/・ω・)/

そんな中で 流れ星には邪魔な存在であるものの

月明りがとっても心強く また幻想的で

これはこれでサイコーでした

ものすごく寒かったんですが 

最近 アウトドアに凝っている息子が 

折りたたみ用のなかなか便利なイスを

持ってきてくれたので

大変快適でした

ずっと夜空を見上げるワタシの横で

息子は せっせと簡易ガスコンロでお湯を沸かしており

それに全く気づかなかったワタシは 

いきなり湯気の立ったココアが出てきて

ビックリ仰天してしまいました

朝方になると ホットパンも焼いてくれまして 

こんなにデキる子だったの? 

と かなり彼を見直してしまいました

てか この焼き器はワタシが子供の頃から母が使っていた遺品👇

キャンプに凝り始めた時は

「また金のかかること始めて・・・(; ・`д・´)

 もっとまじめに将来設計立てて貯金しなさいよッッ!」

と、かなりムッとしていたワタクシですが 

いやはや アウトドアグッズって 面白いし

なにより防災に役立ちますね

こんな寒い所でも 温かい食べものが手軽に

食べれちゃうなんて

「あとは寝袋だけあれば もうカンペキや」

「そうだねホントにスゴイね 

 最近のアウトドアグッズって 

どこでも野宿出来るね~(*^▽^*)」

ワタシもすっかりご機嫌で 

綺麗な夜明けも堪能し 

初日の出は きっと賑わうんだろうなぁ・・・と

思いながら 浜辺の朝食で お腹も満たされ

かなり満足して帰ってきました

そうそう!

UFOらしきものも観たんですよヾ(*´∀`*)ノ

始めは人工衛星かな・・と2人で言ってたんですけど

何回か南北を行ったり来たりした後に

L型の軌道でフラフラしながら 東の空に消えていきました

そんな へんな星みたいな物体が3回続けて 

同じ動きで やっぱり東の空に消えていったのです

もしかして・・(・・?

夜空は 眺めていると 

色々と面白いものも見えるものです

城ヶ島の崖が なんだか南の島の無人島みたいにも

感じられて

戦時中は 兵隊さん達は こんな所で

野宿してたんだろうなぁ・・

なんて思ったり 

そんなわけで

城ヶ島は 

ワタクシ、かなりお気に入りの場所なのです

年始にも、しぶんき流星群を観に行って

思いもよらず馬の背洞門の穴から昇る朝日(3,4日)と

朝日に照らされる富士山を拝みましたっけ

 

星空観測から帰って数日後

ワタクシ愛用のコタツの上に

寝袋のパンフレットが

バーンと置かれていたのは

言うまでもありません

息子・・・侮れません・・・

(てか買う気ないけど)

 





 



娘の面倒

2019年11月24日 10時00分39秒 | 家族のこと

10月に来た台風一過の朝の日の出ですo(^▽^)o

磯子の東京湾から上る朝日 とてもキレイでした

(街はめちゃめちゃでしたけど・・・

娘が結婚前提の男性と同棲を初めて早4ヶ月経ちました

「新橋」という人が住むのにはどうなの(・・?)

というような場所に住むことになり

どうなるものかと心配もしましたが

なんとかやっているようで この4ヶ月

我が家に帰ってきたのは1回だけでした・・・

しかも、仕事帰りに具合が悪くなって

同じ市内の我が家の方が近かったから・・という理由

お相手の方と すごく上手くやっているかというと

そういうことでもなく

新橋の住処を1日でも離れると

帰ってからの自分の仕事が増えるのがイヤ

なんだそうで 仕事をしながら

奥様業もどきなことをするのは 

なかなか余裕がないのかな・・なんて思いますが

借りてるマンションは そんなに広い間取りでもなく

(とはいえ家賃は バッカ高❗️( ̄◇ ̄;))

ワタシだったら これくらいの間取り

全然楽勝❗️❗️ なんて思ってしまいますけど

何しろ 

「人間ホコリじゃ死なない」という言葉は

娘には通用せず

冗談抜きでホコリが命に関わる体なので・・・

毎日、必死にお掃除を頑張っている模様です・・

(狭い間取りに空気清浄機も2台・・

お相手の方も 意外と潔癖性のようなので

案外、娘の体には合った方かもしれないな

と、少し安心しました

我が家のダンナ様のように 

散らかし放題でだらしない人だったら 

大変ですので・・

とっても体の弱い娘を生んでしまった母として

少なからず責任を感じながら育ててきたので

自分の命のある限りは 

娘を助け、支えていかねば・・という

強い決意を抱えているワタクシ

娘が家を出て独り暮らしを始めてからも

病気になれば バイクや車を走らせ

看病やお世話をしてきました

たとえ「新橋」という県外の地に住んでいても

その気持ちは変わらず 

夜中でも駆けつける覚悟はあるのですが

金曜の夜 

娘が「39.5度・・苦しい〜」という

電話が19時に入り 

この寒い寒い雨の中・・・ 

新橋までいくべき?(・・?)・・・

と、さすがのワタクシも 

 「げ・・・( ̄◇ ̄;)」

「お相手の方に連絡した?」

「・・してない」

「とりあえず 連絡しなさい」

「やだ〜」

「なんでよ」

・・と聞けば

昨夜 娘は「暑い❗️」と言っては

何度も布団をはいでいたようで

5回も6回も 掛け直してくれた彼が

朝起きて

「何度掛けても 嫌がって

   絶対に風邪引くからね❗️」

と、怒ったところ

「絶対に引きません❗️❗️」

と啖呵を切ったそうなのです

「怒られるから言いたくない(;_;)」

・・・・・(ー ー;)

「自分が悪いんだから連絡しなさい」

「きっと今接待中だもん(;_;)」

などと、頑なに連絡を拒むので

「とりあえず水分だけは取りなさいよ」

と、言い電話を切りました

相手の方は23時頃まで帰ってこない様子ですし

接待ならばお酒も飲んでいるでしょうし

熱が高いので困ったなぁ・・

行って連れて帰ってくるべきか・・

と、悩んだところで 

そうだ 息子の職場が大手町だった❗️

ということを思い出し

息子に電話すると 

「これから飲み会が始まるところだから

その前に ちょっとポカリか何か買って届けるわ」

と、様子を見に行ってくれたのです

いつも愚息だなんだと 

けちょんけちょんに言っちゃってゴメンなさい

意外と役に立つではありませんか(;_;)

息子に行ってもらい

とりあえずワタシも一安心

10時頃に娘から

「これから相手の方が帰ってくることになりました」

と、LINEが入ったので 

やれやれ 誰かがいれば 

急変しても死にはしないだろう と

ひとまず就寝につきました

明朝には連れて帰ってこないといけないかな・・

などと思い

翌朝、早く起きて 娘を迎え入れるために

大掃除(これが一番大変)を徹底的にやっていると

娘からLINEが入りました

「彼が一晩中看病してくれた

今は病院行くためのタクシーを

探しに行ってくれている

食べるものも作ってくれた

彼を見直した 感謝」

というような内容が書いてありました

今まで娘の病気はずっとワタシが看病してきたので

ワタシ以外に娘を思いやって看病してくれる人が

いるという事に 肩の荷がおりた気持ちになりました

母のワタシでさえ

娘の面倒を見るのは しんどいと思うくらい

体が弱いので 

いつ見切りをつけられるか分からないけれど

娘を思いやって守ろうとして下さる方に

出会えた事は 何より幸せな事だ・・と

本当に 相手の方には

心から感謝です・・

ワタシのダンナ様なんて 

ワタシが病気になっても看病なんてした事ないし 

とんでもなく薄給でしたが

仕事で疲れてる❗️休ませろ❗️と、

家にいる時の自分の自由が奪われる事を

何より嫌うので

子供の面倒すら

見てくれませんでしたから 

そういう人も フツーにいるので

本当にありがたいなぁ・・・

と、思いたいところですが

入籍の話が

全く全く聞こえてこないので

ふぅ・・

ため息の漏れる毎日ではあります・・・


 


 




 

 

 

 

 

 


堤防

2019年10月15日 07時29分40秒 | 家族のこと

台風19号は

東日本のあちこちを水浸しにして

去っていきました

ワタシの両親・そしてご先祖様は

遠い昔から、川の氾濫と密接な関係で

暮らしてきました

というのも日本一長い信濃川、

長野では千曲川と言いますが

この川のほとりにある村で生きてきたからで

しかも、ここが超氾濫ポイント

父は上京し、結婚後、横浜に居を構えた後も

長野が台風や大雨になれば

母と一緒に

「堤防持つかな」

「切れなければいいんだけどなぁ

など、常に心配していました

横浜の家は

高台にあり洪水の心配は全く無いので

「洪水の心配が無いのは

  本当にありがたい」

と、子供の頃から常々口にしておりました

堤防は切れるたびに

どんどん高くされ

今では

ワタシが子供の頃より

随分高く立派な姿に変貌しました

昔の面影が全くないほど見違えた

立派な堤防を今年の春

菜の花畑から眺めたワタシは

「これは もう洪水の心配は2度とないだろうなぁ」

と、しみじみ感じ入ったものでした

とはいうものの

昔から川の氾濫と共存して生きてきたワタシの親戚は

土曜日の昼間の動けるうちに 

こぞって親戚の家に避難してしまいました

今回は切れずにすみましたが

父はというと この堤防について

色々不満があるとのことで・・

側面には 

美しい桜の木が何本も植えられていて

堤防脇の桜を眺めながら

堤防を超えると

その先は一面の菜の花畑

という、春は全くもって

心踊るように美しい

本当に素晴らしさ満載の

その桜の木たちが

父は解せない❗️とおかんむりなのです

「なんだってまあ

 あんなところに桜の木なんか植えるんだ!!!」

堤防ときたら「桜」はお約束では(・・?)

桜のない堤防なんて

クリープを入れないコーヒーと同じじゃないの・・

と、かなり古いCMのキャッチフレーズを

持ち出しても分かる人がいるかどうか・・

(昭和生まれでございます故・・)

なんで桜が悪いのか❓

そもそも日本人は桜が好きなので

桜のある所に人は集まる

ということは、たくさんの人が

土を踏み固めて地盤を強くしてくれる

というメリットがあるそうで

景観もよくなるし

観光客も集うし 観光収益にも

つながるし

いいことづくめだと思うんですけど

父の言い分はこうです

桜を植えるとミミズやモグラが増える

それが堤防の中にたくさん穴を作る

堤防が決壊するときは

越水するから崩れるのではなく

堤防の中のわずかな穴が原因だ

わずかな穴に一気に水が流水することで

巨大な圧がかかり決壊につながる

難しいので ちょっと父の言い分と

違うかもしれませんが

川幅が狭い所の流れが速い原理と

似た感じ?

そんなこんなで

必ずしもモグラやミミズだけのせいでは

ありませんが

万に一つでも可能性があるものは

出来るだけ排除する

完璧主義の父ならではの言い分なわけでして

堤防の強度を考えた時に

そんなことまで考えるとは

さすが土木の仕事を40年やってきた人は

目のつけどころが宇宙人だぁ・・と

思いました

先週、遊川ドラマの「同期のサクラ」が

スタートしましたが

主人公のサクラは生まれ育った島に

橋がかかることを願いながら育ち

それが実現すると知り

自分もその事業に関わりたいという気持ちで

請け負う会社に入社しました

父は 子供の頃から堤防工事を

ずっと見ながら育ちましたが

その工事で

「ああしろ こうしろ」と

腕を組んで指図だけしている

「現場監督」に憧れ

現場監督になりたくて土木の道に進みました

とにかく現場監督になることだけが

夢だったようなので

絶対切れない堤防を作って この村を救いたい

とか、そういう方向へ気持ちが

向いたわけではなかったようで

就職した会社も建設業ではありませんでした・・( ̄◇ ̄;)

そんな彼に 桜を植えやがって〜

などと怒る資格はないんですけど

堤防が父の人生に大きな影響を

与えたことだけは間違いないのでした

父は、発達障害っぽい性格ですし

母は天才すぎる(奇人)父に疲れ果て

精神を病んでしまい

姉は、そんな家庭環境で育ったせいで

うつ病になり

もう一人の姉は よくわからない宗教に

ハマり会話が成立しなくなりました

考えてみたら

遊川さんが

ドラマの脚本作りに

好みそうな要素たっぷり?