( 8½ )(19)VR奥儀皆伝 TP-VR Attract. 謎解き・テーマパークVR Web版

2020-12-22 | バーチャルリアリティ解説
 Number19  / 本家テーマパーク(DL)の設計思想 DLの地獄 (VR之極意 ①-1-3)
                          【( 8½ )総目次
 テーマパーク構築技法の序論を (11)~(16)に書いておきました。そして、
 (18)には、VR之極意 ① 「ディズニーランドが10倍楽しくなる」のうち ①-1 本家 テーマパーク( DL、1955年)の設計思想の ①-1-1 と ①-1-2について書きました。カリフォルニアにある DLの、①-1-1『1939年のNY万国博 フューチュラマ』と ①-1-2『ヴィーナスの洞窟』について考察しました。
 ちなみに、DLのオープニング当初のアトラクションは、次の通りでした。


 □ Opening Day Attractions (July 17, 1955)

 Autopia
 Disneyland Band
 Disneyland Railroad Main Street Station
 Disneyland Railroad New Orleans Square Station
 Jungle Cruise
 King Arthur Carrousel
 Mad Tea Party
 Main Entrance
 Main Street Cinema
 Mark Twain Riverboat
 Mr. Toad's Wild Ride
 Peter Pan's Flight
 
Snow White's Scary Adventures
 Storybook Land Canal Boats


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 フロリダのディズニー・ワールドにあるエプコット・センターに典型的に見られるような美しい「未来社会」の構築を、各国の政府が 2050年を目標に試み始めています。ところで、私は「追いつき追い抜け」の行政指導型開発、つまり、海外の新規 AIシステムなどの華々しい事例を 誰か(例えば、行政のアドバイザー)が いち早く見つけて、その成功を目標に「追いつき追い抜け」の行政指導によって 特許に抵触しない製造方法を工夫して 2050年に製品化するという行政の目標設定の方法を「1960年代高度成長期の機械論」と名付けて、(80年代に通産省の研究会で成功しなかった事例を多く見てきた経験から)「そんなやり方では画期的なVR製品は、この国から生まれない」と批判しています。

 それは、機械論というアプローチが、既存の試作品のモデルがあって初めて着手できる(オリジナリティに欠ける)方法論だからです。改善方法を見つける F・ベーコン型の「学習」と、新規のシステム開発(化生論、ジョン・ディー博士の方法論)は 担当者を分けるべきだと私は考えています。
 1955年の Disneylandは、化生論で建てられて成功しました。
 ただし、機械論は、機器の維持・安全管理には必須です。そのための要員は、けちってはいけません。
 ですから、エプコットのように そこに住む住民全てが満足できる「未来社会」を各国政府が 2050年を目標に造るのであれば、エプコットが どのような「開発手法」で造られたのかを推測して、ウォルトと同じように造れば 余分な手間が省ける、というのが 本『謎解き』の方法論です。

 ※ また、国民性の違いというのも大きいので、他国で商品化されたシステムが そのままで日本人に歓迎される可能性も、ケースバイケースです。これはまた、別に論じます。

 前回の 第十八回には、ディズニーランド(DL)の作り方 (①-1)のうち、①-1-1『1939年のNY万国博』と ①-1-2『ヴィーナスの洞窟』を考察しました。ウォルト自身が、しあわせウサギの「オズワルド効果」第16回の ふしあわせな結末にこりたので、テーマパークの最も貴重な開発ノウハウを(インタビューなどでも)隠していたことが障害になっていますけれど、(ですから、各国のテーマパーク開発者も政府もウォルトの方法を真似ることができなかったのですが)彼の開発技法についての推測を今回も続けます。

 ※ Epcot Centerのウォルトや来場客にとっての意義も、現時点のディズニー社の経営層に余り理解されていないようです。

 ところで、今回は「19」回という凶数なので、テーマパーク序論「① 入場口・地獄・天国」のうちの 地獄を特集 することにしました。(極意 ①-1-3)
 映画美術に興味を感じる人は、バロック美術の地獄の「照明技法」から勉強を始めると良いかも知れません。


 この絵は ルーベンスの『最後の審判』(1615-18年)ですが、画面の照明設計が抜群だと思いませんか。上半分の透明感のある天国と比較して絵の右下の地獄の使者の姿は 暗く、じめじめ~とした嫌な感じです。もしこれが、映画の撮影現場の映像でしたら、照明器具をフレームの外のどこに置いて どちらを照らせば こういう絵柄になるか、と想像して下さい。また、これだけの人数をワンフレームに納めて写そうとすると普通はレンズの収差でボケますから、収差の少ない高級レンズを使い、また 近くに身体の大きな人、遠くには小さな人を立たせるなどして遠近感を稼ぐことになります。

 ところで、バロック美術に「闇」を持ち込んだのは、画家のカラヴァッジョでした。映画『カラヴァッジョ 天才画家の光と影』(2007年)を観ると、彼の破天荒な生涯から生まれた作品が どれだけ映画美術に貢献しているかが良く分かります。映画の予告編を「撮影時の照明のポジション」を意識しながら観て下さい。

 画像借用元:https://bijutsufan.com/baroque/pic-caravaggio/malta_baptist/

 ちなみに、テーマパークのアトラクションに「闇」の効果を持ち込んだのはウォルトでした。『白雪姫と七人のこびと』(1955年)の重要性(これがウォルト流の「地獄」表現だったこと)については、この後で論じます。

 煉獄や地獄の闇があることで、天国の崇高さが より高まるのです。

 地獄に対比される天国については、バロックのベルニーニの建築が多用した遠近法が映画美術に影響を与えました。1955年のDLでは、Main Street USAについて、2階より上の建物の大きさを だんだん小さくすることで遠近感を稼ぎました。1階も少し小さめですが、2階は 5分の3くらいの大きさです。
 東京ディズニーランドの「お城」も、ワールドバザールを出てお城までは 2町ほどなのに、途中の地面をえぐってあるので 遠くに見えることに気がつきます。日本のお城が、お堀があるので天守閣が遠くに見えるのと同じ理屈です。


 そして、ローマのサン・ピエトロ広場では、信徒の入口が一箇所に誘導されて、信徒は受難の道を通って広場に入ると天使たちの歓迎を受けるのです。訪れた信徒の目からは遠近法で造られた大聖堂が より天国的に崇高に見えました。
 バロック美術の遠近技法を活用すれば、VR作品で広大な地獄も天国も 自由に空間として描けることを覚えておいて下さい。例えば、観客の身体の一部が機械に置き換えられて「体感映画の一部に観客が参加している」という没入感を観客が感じている時には、背景のCG映像に(気にならない程度の)「自然らしさと重厚感」が求められます。

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 本家 テーマ―パークの設計思想
 『白雪姫と七人のこびと』 VR之極意 ①-1-3

 黒澤明の『天国と地獄』(1963年)には、犯人が高濃度の麻薬を横浜、伊勢佐木町の酒場で入手しようとする場面が出てきます。(リバイバル公開1977年の予告編) 今だったら どんな時代の背景でもCGで造れますが、この映画における煉獄・地獄に相当する伊勢佐木町の酒場や黄金町私娼窟の町並みは、実物をモデルにして東宝スタジオに実物大で建てたものだそうです。刑事たちが伊勢佐木町に張り込む有名な場面も、銀座のセットを造り直して伊勢佐木町の路上に変えたものだとか。多数のエキストラと俳優たちの真に迫った演技が、真冬のセットの撮影を酷暑の横浜の路上に変えました。予告編の画面を、照明の当て方を意識して観て下さい。
 この映画では、スラムである港町を見下ろす丘の上の天国の権藤邸(大企業の役員の豪邸)が、地獄を際立たせる背景として使われています。

(菅井きんさん = 麻薬患者役、三船さん、刑事たち)

 VR作品にはCGが使えるという とてつもない利点があるのですから、照明の当て方を工夫してみて下さい。
 画面の印象は、照明ひとつで全く異なってくるはずです。

 ともあれ、地獄の深みが描かれて、天国は より高く感じられます。『白雪姫と七人のこびと』Snow White's Scary Adventuresも、ウォルトは「これは、お化け屋敷」ですと明確に宣言しました。(だって、Scaryな Adventuresなのですから。)
 2021年に公開が予定されている『白雪姫』アトラクションのリニューアルでは「より怖くなくする」改変が予定されているそうです。しかし、それはウォルトの意向にかなった改変なのでしょうか。本当は怖いグリム童話の中の白雪姫は、ホラーでした。個人的な意見ですが、このアトラクションでは、小さな子供は恐怖に「ママ!ママ!」と泣き叫び、そのお姉ちゃんは泣くのを我慢して出口で母親に抱き着くという反応が、ウォルトの狙いではなかったかと思います。例えば、名作『高慢と偏見とゾンビ』のバー・スティアーズ監督などに依頼をして、もっと怖くして貰う改変の方が適切ではなかったでしょうか。
 ファミリーやカップルが、お化け屋敷で肝を冷やしてから 「アリスのティーパーティー」(Mad Tea Party) などに乗れば、ゲストの気持ちは高揚します。ちなみに、1955年の DLで インタラクティブ性があるアトラクションは、このティーカップだけでした。ティーカップの真ん中のハンドルを廻すと、ゲストは より早く回転して高揚します。地獄と天国の対比です。直前の地獄が暗いという効果で、当たり前の日常が 照明を当てたように輝き始めるのです。
 小松左京氏原作の映画『日本沈没』(1973年、森谷司郎 / 中野昭慶 監督、橋本忍 脚本)では、日本人が故郷を失うまでのパニック特撮が大ヒットしました。観客は 映画館から帰れば ご自宅があったので、ほっとしたことでしょう。

 もしかすると、ウォルトは 中央にある お城を(映画美術的に)遠近法で より遠くに崇高に演出するために「たまたま」、一つの入り口(三途の川)という宗教施設と同じ効果を手に入れたのだったかも知れません。ともあれ、ウォルトは、DLのアトラクション開発を通して、
   「三途の川」「地獄」「天国」
という山岳宗教の験徳を得る構成という鉱脈を掘り当てたのでした。

 ダンテが『神曲』(14世紀初頭)の中で、三途の川(一つだけの入り口)、地獄・煉獄・天国の順に神界の旅を続けていることは先に記しました。西欧の地獄のイメージには『神曲』の記述からイメージされたものが多いようです。例えば、「フランチェスカ・ダ・リミニ」の悲恋には チャイコフスキー(全曲 / 後半はじめ多くの作曲家が霊感をかきたてられました。地獄の炎の表現が、迫力です。


 画像借用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%AB
 シェフェール画『パオロとフランチェスカ』(1855年) ルーヴル美術館
 ※ ザンドナイ作曲『フランチェスカ・ダ・リミニ』あらすじ 


 『神曲』は、全体が天界テーマパークの順路マップになっています。この作品はイタリア語の文法を確立した作品でもあるので、誰でも学校で習いますから、イタリア人の恋人ができた人は読んでおくと必ず良いことがあります。Nel mezzo del cammin di nostra vita / mi ritrovai per una selva oscura (人生の歩みの半ばで、進むべき道を見失い、気がつくと私は暗い森のなかにいた)などは暗唱しておくと良いでしょう。
 この本の日本語訳は「格調高く」翻訳するのが伝統ですが、私は 河出の文学全集「ダンテ 神曲」カラー版(平川祐弘訳)が家にあったので、この本は すらすらと読めました。完読に挑戦する人には、河出文庫版 の平川氏訳が 私はお勧めです。無料サンプル の試し読み。)できれば 図書館で、ギュスターヴ・ドレ(19世紀のフランスの画家)の大きな挿絵が付いた「神曲【完全版】」(平川氏訳)も眺めてみて下さい。

 ※ ダンテが『神曲』を書き終えたのは、1321年。2021年は700年祭です。

 ※ 河出書房の『神曲』新装版(平川訳)は、文学全集カラー版の評判が良くて単行本になったものでした。挿絵も全く同じです。中世には書籍が高価だったので一冊の本を何度も読み返す人が多く、そんな人のためにダンテが配慮したという その配慮が、美しい訳文に生きています。聖フランチェスコの有名な『創造讃歌』の詩篇も、おまけで載っていました。現生の旅日記よりも、読んでいて ずっと楽しい内容です。ただ、同訳者が 訳文・注釈の見直しをした 河出文庫版が 2008 - 09年に出版されたことから、『神曲』新装版の古書価格は下がっています。

 また、ドレの絵については googleで「divine comedy dore」を検索しても有名な絵が出てきます。


 画像借用元:http://eclectic-indulgence.blogspot.com/2012/06/review-purgatory-by-dante-alighieri.html

 ドレの『神曲』の美術展もあったようです。MUSEE企画展 ギュスターブ・ドレの『神曲』※ ドレの挿絵の代表作がホームページの下の方に載っています。

 地獄に限定しなければ、宗教施設から引用して展開できそうなパーク・アトラクションのアイデアを いろいろ紹介できるのですが、今回は 地獄に限定しましたので、有名な地獄を下に挙げておきます。


 オーギュスト・ロダン 地獄の門 1880-90年 / 1917年(原型)国立西洋美術館(庭に立っています。)

 ※ 本稿を書き終えてから気付いたことですが、1955年の DL開園時のアトラクションでは、「Snow White's Scary Adventures」と「Toad's Wild Ride」の二つが「ライド型」のアトラクションで(ゲストがベルトでくくられて逃げられずに怖い体験を無理やり感じさせられる)恐怖もの。他のアトラクションの、船によるクルージングなどは、自分が船長になって「航海という未知の経験にチャレンジして幸せを獲得する」アトラクション、という大きな区別が、もしかするとウォルトの中には あったかも知れません。これは まだ、仮説ですので、また後で論じてみようと考えています。(2021.01.06追記)

 日本の地獄は、恵心僧都 源信 えしんそうず げんしん(942~1017)が 984年に著した『往生要集』が中国も含めたベストセラーになっていて、その地獄の表現の方向を決めました。源信は、比叡山延暦寺のお坊さんでした。宇治平等院の鳳凰堂は、地獄ではなく極楽の表現ですけれど『往生要集』からの引用です。『往生要集』も 地獄 → 極楽の順に記述されていますから、怖い思いをしてから極楽で ほっとするという DLの『白雪姫』と同じ効果で記述されています。『往生要集』については、「だから お念仏しなさい」というのが結論です。ダンテもベアトリーチェたちの案内によって、無事に 天国を見学できました。

 『往生要集』については、名著『インド思想史』の中村元先生の書かれた、源信が典拠にしたお経を原典のサンスクリット語とパーリ語で読んで、源信が要約した箇所を指摘するといった「源信も びっくり」の『古典を読む 往生要集』という著作があって、これが秀抜の内容です。今 勉強していますが、改めて、源信の地獄と極楽が日本の美術史にどんな影響を与えたか、とかについて紹介しようと考えています。
 例えば、九品仏にある焔魔堂 https://twitter.com/m_hosokawa0207/status/1332839678291140614 などは中に入れますから、彼女がデートコースに選んでいれば 焔魔堂では 嘘がつけないので 別れ話を切り出されるのかも知れません。まさに、男の地獄です。

 ※ 前回にタンホイザー大行進曲の一部だけしか載せませんでした。こちらが全曲です。 対訳(幕の なかほど)     

VR奥儀皆伝( 8½ )(18)本家テーマパーク(DL)の設計思想『フューチュラマ』『ヴィーナスの洞窟』→ こちら

( 8½ )(9)「暫定総目次

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