万葉集ブログ・1 まんえふしふ 巻一~巻八

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0853 大伴旅人

2008-05-02 | 巻五 雑歌
遊於松浦河序

余以暫徃松浦之縣逍遥 聊臨玉嶋之潭遊覧 忽値釣魚女子等也 花容無雙 光儀無匹 開柳葉於眉中發桃花於頬上 意氣凌雲 風流絶世 僕問曰 誰郷誰家兒等 若疑神仙者乎 娘等皆咲答曰 兒等者漁夫之舎兒 草菴之微者 無郷無家 何足稱云 唯性便水 復心樂山 或臨洛浦而徒羨玉魚 乍臥巫峡以空望烟霞 今以邂逅相遇貴客 不勝感應輙陳□曲 而今而後豈可非偕老哉 下官對曰 唯々 敬奉芳命 于時日落山西 驪馬将去 遂申懐抱 因贈詠歌曰

松浦河に遊ぶ序

余以(やつがれすで)に暫(しまら)く松浦縣(まつらがた)に徃きて逍遥し、聊(いささ)か玉嶋の潭に臨みて遊覧せしに、忽に魚を釣る女子等に値(あ)ひき。花の容(かほ)雙(なら)び無き、光(て)れる儀(すがた)匹(たぐひ)無し。柳の葉を眉の中に開き、桃の花を頬の上に發(ひら)く。意氣雲を凌ぎ、風流世に絶(すぐ)れたり。僕問ひて曰く。誰(た)が郷(さと)、誰が家の兒(こ)等ぞ、若(も)し疑はくは、神仙といふ者かといふ。娘等皆咲(え)みて答へて曰く、兒等は漁夫(あま)の舎(いへ)の兒、草菴の微(いや)しき者、郷も無く家も無く、何ぞ稱(なの)り云ふに足たむ。唯、性、水を便とし、また心、山を樂しめり。或は洛浦に臨みて徒(いたづら)に玉魚を羨み、乍(また)、巫峡に臥して以ちて空しく烟霞を望めり。今以(すで)に、邂逅(わくらわ)に貴客(うまびと)に相遇ひ、感應に勝(あ)へず、輙(すなわ)ち款曲を陳(の)べつ。而今而後(いまよりのち)、豈(あに)偕老にあらざるべけむやといふ。下官對へて曰く、唯々(をを)、敬(つつし)みて芳命を奉(うけたまは)りぬと。時に、日、山の西に落ち、驪馬将(まさ)に去(い)なむとす。遂に懐抱(かいほう)を申べ、因(かれ)、詠歌(うた)を贈りて曰く


阿佐里須流 阿末能古等母等 比得波伊倍騰 美流尓之良延奴 有麻必等能古等

あさりする 海人(あま)の子どもと 人は言へど 見るに知らえぬ 貴人(うまひと)の子と


松浦川に遊ぶ:序

私はしばらくの間、松浦の県(あがた)に行く(出張する)ことになり、(松浦まで)そぞろ歩いた。たまたま玉島川の渕を望み遊覧していたさい、魚釣りに夢中な少女たちに会った。(少女たちの)花のような容貌は(他に)並ぶものはなく、光り輝く容姿は(他には)類が無い。ヤナギの葉のような(整った)眉、モモの花のような頬。意気は溌剌とし、風雅さに優れている。

私は(彼女らに)問う。

「お郷はどこですか? どこのお宅のお嬢さんですか? もしや仙女様ではありませんか?」娘たちは笑って答えた。「わたしたちは漁師の娘。粗末な小屋(に住む)まずしい者です。古里もなく屋敷もなく、名乗る程の者ではございません。ただ、生まれながらに水を縁(よすが)とし、また心に、山を楽しんでいます。あるいは、洛浦(ロプ)のそばに行き、ぼんやりとアユをうらやみ、ある時は巫峡(ふきょう)に横になり、空しく煙霞を望んでおりました。(しかし)今すでに、セレブなあなたとめぐりあい、感激です。つまりは、気持ちを曲にして述べました。今後は、ともに老いるまで連れ添うことができますか?」下官(私)は(彼女が)言うことに対し「おお、謹んで仰せを遣わります」

時に、日は山の西に落ち、(乗馬した)黒いウマは去ろうとする。ついに、(彼女を)抱擁し(思いを)述べ、(その)方法として、詠歌(うた)を贈る。曰く


「漁業を生業とする、漁師の娘と、他人(ひと)は言うが、見ればちゃんとわかります。(あなたは)貴族の子女であると」

●佐賀県唐津市浜玉町

●ロプ(洛浦)県:中国新疆ウイグル自治区 ホータン地区の県

●巫峡(ふきょう):中国 長江三峡の2番目の峡谷

●序は、唐の時代の週刊誌「遊仙窟」を翻案したもの