舞栗倉庫

過去ログ

61回目の夏が来た。

2006-08-08 15:31:04 | Weblog
鰹節の製造と砂風呂と大うなぎの池田湖・・・くらいで、あとはな~んにも無いような鹿児島県指宿市に行く機会があり何日間か滞在したんだけれども、当時若かった僕にはなにもない街ではやることもなにもなくって最後は発狂しそうだった。いや、多分自分では気がついてないようだけど実は発狂してしまったんだろうな。あれ以来周囲の人の僕を見る目に軽蔑の色が濃く見えるようになった。と書くとそれまでは尊敬のまなざしだったのか?と勘違いされてしまいそうだけれども、それはあり得ない話で勘違いは明らかに勘違いですから、勘違いのなきように。

今では、だ~れも読みに来ない中身のな~んにもない日記を書いていても羞恥心を憶えなくなったし、日記を書くことすら毎日続けなくても神に詫びる事も無くなった。元々神の存在を信じていない事でさえ思い出せない程だ。ってなにを書いてるんだ?
きっとあの指宿に行ってしまった事がターニングポイントとなって、僕の脳が何か良からぬ作用を受けてしまったに違いない。最近PTSDだとかFOMCだとかSMAPだとかKATーTUNみたいな病名なのか症状なのか得体の知れない文字を見かけるけど、僕にもやっぱり何か異常があるぞ、なにかが。

宅建の過去問を眺めていて・・・解いてはいない、眺めてるだけ。日本語で書いてあるのは解るんだけどなにを聞かれてるんだか理解できない。そうか、これは自己防衛本能から来る無意識な行動なのだ。自らが欲していないものや自らの能力を超過しているものに対しての拒絶反応なのだな。理解できないものを本能的に拒絶するのだから我ながら大したモンだ。ヨカッタヨカッタ、これなら詐欺に遭う心配もない。ん?でもこれでは今後新しい資格を取得する事ができないではないか。人間やめますか?それとも資格を取りますか?の究極の選択を迫られてるみたいだなぁ。もっとも人間やめたら資格とってもしょうがないか。
ってまた中身のない文で文字を稼いじゃった。

指宿にはもう一つ名物があった。「ソーメン流し」。初めて聞いた?見た?時になんとな~く違和感を感じた。僕としては「流しソーメン」が正しいように感じるからね。
「ソーメン食べに行く?」「どんなソーメン?」「流れるヤツ」「だったら流しソーメンだね」「いや、ソーメン流しだよ」。
というのであれば・・・「ラーメン食べに行く?」「どんなラーメン?」「とんこつのヤツ」「だったらとんこつラーメンだね」「違うよ、ラーメンとんこつだよ」っていうのと一緒じゃないのかなぁ?と明晰な僕の頭脳は0.0035秒で分析した。

「ソーメン」という名詞に「流れている」状態を表す言葉をくっつけるんであれば頭に付く方がしっくり来るんじゃないのかなぁ。
「大きい川」を訳すとき順番が逆になってリオ・グランデ。「白い家」や「ホワイトハウス」の順番がヒックリかえって「家・白い」のカァサ・ブランカとなるように、鹿児島じゃ逆なのか?
ソーメン風の「流し」って食べ物があるんだったら「ソーメン流し」でもいいだろう、よし、こうなったら堂々と勝負してやろ~じゃぁないかとレストランに行ってみると・・・

偉そうな事を申し上げてしまいました、あいすみません。てっきり竹を半分に割って節を抜いた滑り台を下るソーメンをすくいあげて食べるのかと勝手に思ったおりましたが、テーブルの上に置いてある綿飴製造マシ~ンのような容器の中で、グルグル回る水に自分たちでソーメンを投入する行為をもって「ソーメン流し」と称するするのですね。回っているソーメンを食べるのか食べないのかは二の次で、店側はクッソ暑い夏に涼を求めて入店した客に目で涼しさを味わってもらいたいという演出をしているのでありますから「ソーメンを流す」という、一般家庭では通常行う事のできないエンタテイメント自体を売っているのでありました。その証拠にソーメン以外に鮎の塩焼きや味昆布の入ったおにぎり、馬刺など食べきれない程の料理が目の前に並んでおりました。美味しかったのは言わずもがなでありましたし、ナニより嬉しく思ったもは案内してくれた人のゴチだったという事だ。人間長生きするものですねぇ。
でもこれだと「ソーメン回し」じゃ・・・。

別の日だったと思うけど「知覧特攻平和記念館」へ案内してもらい見学を。
ここは太平洋戦争末期の沖縄決戦へ向けて十代半ばの今で言えば高校生の兵隊さんが、片道分の燃料積んで鬼畜米英の戦艦めがけて戦闘機で飛び立って行った特攻隊の出撃基地があったところ。今、その地に建物を造り、遺品や資料を展示してる。
当時使われてた武器だとか、身に着けていたもの、寄せ書きされた国旗、戦友と写ってる写真などが見られる。
広い館内をぐるっと一回りした僕の目に苦手なものが映った。

「お母様 私を今まで育ててくださって 本当にありがとうございました・・・お体をお大事に それでは明朝 出撃いたします・・・」と書かれた手紙が展示されてるショウケースのガラスの上に、日本酒の瓶と数滴の涙のあとがあった。涙はたった今落とされましたってくらい、まったく乾いていない状態。
感極まって周りにだ~れもいなければ「うぅ」じゃ済まない状態になってしまった。すぐにその場をあとにした。

僕は何事にもすぐ感情移入してしまい、いい歳をして「うぅ」っと泣いてしまいそうになる。脳の構造が女性と同じようになっているのかなぁ。

今年も夏が来て恒例の「火垂るの墓」は放送されるのだろうか。あれを見ると・・・泣いちゃうんだなぁ。「にいちゃん なんでホタルはすぐ死んでしまうん?」「またドロップ舐めたい」「ドロップ 無うなった にいちゃん ダイエーで 買うてきて(これは無い)」なんてシーンを見ちゃうと顔がグジュグジュになる。スーパーでサクマのドロップ缶を見ただけで泣けて来る。だから飴コーナーには近づかないようにしてるんだけど、この季節、夜店つながりで入り口近くのテーマコーナーに出てくるからタチが悪いったらあありゃしない。つい目に入ってしまい「うぅ」となるのは、あたしだけ?

パールハーバーにあるアリゾナ記念館を訪れたときの話。
日本軍の奇襲を受けて沈没した戦艦アリゾナ。終戦後も撤去される事無く沈んだ船の上に建物を造り、どでかい大理石の壁に日本の攻撃を受けて亡くなった人約2,400名の名前を刻んで残してある。
僕の前で説明を聞いてたおじいさん、現地の人だったんだろうけど肩が小刻みに震えてた。下を向いて泣いてたんだな。10年も前の話だからその時点で50年以上前の出来事なんだけどおじいさんにとって戦争は終わってないんじゃないだろうか。少なくとも年に1度はこうして涙を流してんじゃないのかなぁ。

通路から水面を見下ろすと綺麗な水を通して海の底がくっきり解り、コバルトブルーの小魚が泳ぎ回っているのが見える。船体の隙間からオイルが滲みだしているのが見える。半世紀以上前に沈没した船なのに、当時のアブラが今でも生き物のように水面に浮き上がって来ている。

奇襲を仕掛けた日本が悪いだとか、ハルノートを叩き付けられた以上戦争を仕掛けるしか方法がなかったとかそんな事じゃなくって、勝っても負けてもどちらの国にもこうして何十年経っても泣いてる人がいるんだからさ、それをやっちゃぁおしまいよ。