舞栗倉庫

過去ログ

さようなら。

2006-10-12 18:24:35 | Cancer
先週の初め、運び屋を頼まれて貰って来たヤクを奥さんに渡した後、
「今日はどうよ?」
と、声をかけながら部屋に入って行くと、なんとなく元気のない顔で
「はぁ・りぃ・がぁ・とぉ~」。
そして今までそんなことしなかったのに、自分から握手を求めて来た。

イヤな予感がした。






ウチのオヤジが亡くなったのは2年半前。

亡くなる3~4日前だっただろうか、オフクロと一緒に病院へ見舞いに行ったあと、帰ろうとする僕に向ってオヤジが手を差し出して握手を求めた。

見舞い後の握手自体はオヤジとの間ではいつもの習慣だったけど、基本的にはオフクロや僕、姉貴の側から求めるのが常だったので、一瞬「あれ?」とは思ったもののその時はすぐに忘れてしまった。

オヤジと会話をしたのがそれが最後で、次に顔を見たのは、もはや会話もままならない昏睡状態になってからだった。

そして最期の日の朝、病院に駆けつけた2時間後に息を引き取った。

後になって思い返してみると、オヤジが求めて来た握手は「別れの握手」だったんじゃないだろうか?
オヤジはあの時自ら悟っていて「後はよろしくな」の意味を込めた握手だったんじゃないのか?
と思う。

絶対にそうだ。






オヤジの時と同じだった。

ヤツを見舞って帰る際、互いの手を軽く挙げて「んじゃ、また」がいつもの挨拶だったのに、自分から握手を求めて来やがった。

さては覚悟したな、と直感した。

「昨夜なんか『もう俺ダメかもしんない』なんて弱気なこと言ってんのよ」と奥さんから聞いてたし、

「んじゃ、また天気のいい日に来るから」と言っても返事もしやしない。



車に乗り込んだ時、涙が出て来た。




それから5日後の朝、奥さんから「時間がなくなりました・・・」とメールが届く。

折り返し「昨日の悪天候と打って変わって快晴だから、お邪魔しようか?」

返って来たメールには

「旅立とうとしています」




うわぁ、ついに来ちゃったか、その時が。




急いで車に乗り込み20分後

「シカクまめが来たよ。このあいだ貰ったマウスパッドのお礼しなくちゃいけないでしょ!!ねぇ、目を開けてよ!!ねぇってばぁ!!」と奥さんが叫んでも、もう反応はなく、暫くして心肺停止。ホント静かな最期だった。






義母が亡くなった5年前もそうだった。前日は激しい雨が降り、明けた翌日快晴になり、そして逝った。

「『雨が魂を洗い落として、晴れ渡った空に向ってその魂が天に昇って行く』っていう言い伝えがあるらしいから、雨が激しく降ってる時に『会いに行ってくれば?』って言おうかなぁとも思ったんだけど・・・」とカミサンが。

だったらその時言ってくれれば良かったじゃない!






「もって8月いっぱい」と言われながらも良く頑張りました。ゲームは無理でもボウリング場に行くことは叶うんじゃないかと思ったけど、無理だったね。

アイバンクに角膜を、そして今後のガン研究の為に細胞を提供だって?アンタらしいね。

数々のボランティア活動、お疲れさまでした。

そして今までお世話になりました。




本当にありがとう。

見舞った日記 #4?

2006-09-15 17:39:30 | Cancer
「もって、8月いっぱいですね」と言われながらも未だに頑張って生きている友人が、12日の火曜日に自宅に戻って来た。最期は住み慣れた自宅で過ごしたいと、在宅ホスピスを選択したんです。

火曜日の午後に「ただいま!」とメールが奥さんから届いたので、やはり自分では携帯電話やPCを使うことは無理だよなぁ、と思っていたら「買い物して来て欲しいんだけど」と本人からメールが届いた。片道、直線距離でも10キロ以上はありそうな家具屋に行って、折りたたみの椅子を5脚買って来て欲しいと。別段断る理由もないし、ヤツに頼まれれば極力なんでもしてあげたいが、よりによってなんでそんなに遠い家具屋なのよ?

嫌がらせか?それともイタズラTVか?はたまた「初めてのおつかい」か?

CCDカメラが縫い付けてあるリュックサックを持たされるのか?電気工事のオジサンや、植木のお手入れをするおばさんに扮したADさん達にVで撮られた映像が、ゴールデンタイムにお茶の間に流れるのか?「お茶の間」なんて言い方するの、明石家さんまぐらいなモンだけど。

んで、仲のよいお姉ちゃんと手を繋いで歩かなくっちゃいけないのか?困ったなぁ、今更姉貴となんか手は繋ぎたくないぞ。奇麗で可愛くてスタイルが良くて節操がなくて、焼鳥ならタレより塩の方が好きで「この砂肝、チョ~美味しい」なぁんて首をちょっぴり傾けながら微笑む、エクボのとってもチャーミングなオネェちゃんなら、まんざらでもないんだが。

「椅子を買ったその足で、漁師のケン兄さんの家にも寄って、その日水揚げされた新鮮な魚を10匹程、ビニール袋に入れてもって帰ることも忘れないでね。ちゃんとお礼も言うのよ。」なんて、お母さんに念を押されちゃうのか?




そろそろ番組改編の時期だから、近々放送はあるのかなぁ。出演の話はいっこうに来ないから、今回も一視聴者かぁ。

半分やらせだろうけど、エンディングで「泣かないでよ・ベイベェ~」なぁんて聞いちゃうと、涙出ちゃうんだよなぁ。




もうしつこいから、話を先に進めろ?

わかりました。




えと、なんでしたっけ。あ。

10キロ先の家具屋だと遠すぎるので、近くのニトリじゃダメ?と聞くと、ヨキニハカラエ、と。
ただし全権委任ではない。現地からのリアルタイムリポートは必須とのこと。

昨日の昼に現地入り。

入り口付近でキョロキョロしました。いえ、ニトリには何度も買い物に来ているので、どこになにがあるのかは大体把握していますから、お目当ての折りたたみ椅子を探したのでは無く、日テレの隠しカメ・・・




ベキッ!!




うしろから殴られました。続けます。

ニトリだからなのでしょうが折りたたみの椅子って安いんですねぇ。自分で買ったことがないので相場を知らなかったんですけど、背もたれのないタイプだと600円くらいから揃ってました。

5種類程携帯で写真を撮りヤツに送信。選んでもらって1,490円の送った中ではちょいとオシャレなものになりました。追加でコルクボード。励ましの手紙やFAXを貼付けておく為のもんだとか。ハイハイ、完全にツカイッパになってしまいました。でもヤツが喜ぶことをしてるので、僕もうれしい。




午後、ヤツと奥さんの待つマンションに買ったものを届けて「どうよ、今日の調子は」と聞くと「ちょっと悪い」。

病気もケガもなんでですかね、天気の悪い日は具合も悪いってのは。気圧?湿度?どんな因果関係があるんでしょうか?素人なのでサッパリわかりません。それでも「好天になれば調子も良くなるから」って本人が言うからには「秒読み状態」ではなさそうで、調子が悪いと言いながらも2時間は話をしてくれたし、起き上がってノートPCの配線も自分でしていたし、入院中に撮ったデジカメ写真をPCに取り込んで見せてくれたし(題名が「看護婦と私」なのに、写ってるのがヤツと弟だけなのはご愛嬌)、エロなサイトを覗いてニヤニヤしてたし。とても医師から危篤宣言を出された末期がん患者とは思えないほど元気だった。

在宅ホスピスでは点滴って病院でオーダーメイドされたものを、大量に持って帰って来るもんだと思ってたら、1袋?ずつ調合するそうです。なんて呼ぶのか聞いたけど忘れましたが、基本となる液体にアンプルって言う頭の部分を指でピンピンと弾いてポキンと折って注射器で中のクスリをチュウチュウ吸い取る、テポドンのミニチュア模型のようなアレを、何種類かヤツの病状に合わせて奥さんが1日に2回調合してるんだそうで、看護というのも大変なんだなぁ。

医療行為になるので、点滴の調合や痰の除去は家族以外は出来ないから、ヘルパーさんに来てもらって代わりにやってもらうと医師法?違反になる。




以前、植物人間になってしまったお父さんを、息子さんとお母さんが24時間交代しながら看病してるというドキュメントをTVで見たけど、やはり医療行為となるとヘルパーさんは手が出せなくって、お母さん1人じゃ手が足りず、とうとう息子さんが会社を辞めざるを得なくなっちゃたという内容だった。

唯一収入が有ったのは息子さんだけだから、辞めてしまえば生活費も治療代も賄えなくなる。でも医療行為の為にお母さんが24時間起きて対応するなんてコトもまた不可能なこと。

ヘマをすると命に関わるようなことはヘルパーさんにはさせられないけど、中には危険じゃないことだってあると思うんだけどなぁ。どうにかならないものかなぁ。

まぁ、とっても偉い議員センセイ達は、もしそんな状況になったら◯◯医大から派遣される「プロの看護婦さん」が就くんだろうから、家族が医療行為で・・・なんて心配もなく「身近な問題」という認識にはならないんだろうなぁ。

オフクロの介護認定が要介護1から要支援1に2段階も下がっちゃった。
よっちゃんのお母さんも同じ要介護1だったけど、今回の更新でもそのまま要介護1だっていうじゃない。どゆこと?整合性がないじゃん!!
まぁこれは別の話だけど、あんまり庶民を無視してると一気飲み、いやこりゃ毎晩のこと。そうじゃなくって一揆にかもね!!




これもTVで1週間前だったか、英国の女性で余命半年と診断された人が、5キロマラソンからフルマラソン。その後トライアスロンを完走し、北米に渡って自転車での大陸横断まで成し遂げて、未だにご存命で診断から早くも6年が経過してる。というドキュメンドを見た。

「生きていたい」という気持ちと、ご家族の「彼女を支えたい」気持ちがそれを可能にしてるんだろう。

ご本人もご家族も、偉いなぁ。




起き上がってPCだのカメラだのいじってる間、身体に刺さってるインプットとアウトプットの管を指差して「お~ヤバいヤバい、これ抜いちゃうとすぐ死んじゃうんだよ」なんて笑ってたけど、なんか話してると、とても末期だなんて思えなくて、冗談抜きでボウリングで1ゲームぐらい平気な顔して投げてしまいそうだったなぁ。

どうにか実現できないだろうか。

最期の1投は叶うか?

2006-09-07 13:34:28 | Cancer
5日の火曜日にもう一度ヤツの見舞いに行って来た。

別の日に見舞った人から状態が悪いと聞きつけて「私もお見舞いに行っておきたい」という人がいて、その人は直には懇意にしていた訳ではないけれども、親しくしていたご主人が仕事が忙しくて抜けられないとのことで、半分代理のような格好になった。

病室に入って行くとヤツも奥さんもいた。
状態は前回よりも随分と良く、僕に向って手をあげた。そして僕がベッド脇の椅子に座るなり「粗大ゴミが来た」なんて2人でニヤニヤしてやがる。

この時点ではいつ自宅に引き上げるのかスケジュールは決まっていなかったんだけど、来週にでも自宅に連れて帰って最期を迎えることになりそうだ。そうなったらお母さんが越して来て看病を手伝うことになったんだとか。ただし今現在粗大ゴミがつまっていて、空いている一部屋が使えない状態なので、そのゴミを市役所に持って行ってもらう必要がある。

もちろん奥さん1人の手に負えるシロモノ家電ではないので、後輩1人に頼んだんだけど男女1人ずつでは心許ない。
「◯ちゃんが見舞いに来てくれたら、頼んでみるか」と2人で手ぐすね引いて待ってたそうだ。そこへ僕が顔を出したモンだから「飛んで火にいる・・・」なんて末期ガン患者のくせに勝ち誇ったようなカオしやがった。

「知力・体力ともにないからねぇ」と一応は返してみたけど、どうせ暇だからと快諾。今夜ヤツの自宅へ行ってきます。どんな「粗大ゴミ」が待ち受けてるのか解らない。「昼間には外に出せない量」で「金曜日の午前中に市役所が取りに来る」ので、23時に集合・作業開始なんだとか。これって見た目には「夜逃げ」のテイだなぁ。まぁ「人類みな他人」だから、どう見られたってかまわないけど。

持ち物は、手押しの台車と軍手なんだとか。ハァ~イ、わかりましたぁ。
最期の職場はビデオの制作・販売会社だったそうだから、何か素材の掘り出し物でもあったら・・・ムフフだなぁ。



30分程談笑して、これからホスピスの医師とスケジュールをつめるということで部屋をあとにすることに。

「ず~っと一緒にいるから解らないけど、彼は前回より痩せたように見える?体重40kg切ったんだけど」と聞かれたけれど・・・答えられる訳ないじゃん、そんな辛いこと。

プロボウラーになりたいからなんて、バカなこと言って会社を辞めたヤツだけど、結局夢は叶わず終いか。でも医師に「1ゲームでもいいから投げたい」と目をキラキラさせて言ったらしい。せめて車椅子に乗ってでもある程度動けるのなら、いくらでも連れて行ってあげられるのに・・・。

医者の診断はとりあえず外れた。

2006-09-01 19:35:09 | Cancer
今現在、連絡が来ていないということは・・・ヤツの心臓はまだ動いてるって言うことか。

ホスピスには結局ヤツの実弟が奥さんに付き添うということになったので、僕の出番はなくなった。どんな話を聞くことが出来たのか気になるところだけど、看病で病室にいる時は、奥さんは携帯電話の電源を切っているから番号を聞いても意味は無いと思って聞かなかったし、「今はなにを考えればいいのかが解らない」と言う程混乱しているようだったから、奥さんから連絡があるまでは自宅待機で良いのかなぁ。
まぁヤツのお母さんもちょくちょく看病に行かれているようだから、第三者が出しゃばるのも変な話だな。

正確なニュアンスは汲み取れなかったけど、お母さんの心の中には「嫁が一時息子を置いて出て行ったおかげで、結果取り返しのつかない状況になってしまったんだ・・・」みたいな気持ちがあるようだから、この状態での深入りはしない方が良さそうだ。



あとは誰に連絡を取るべきか、だけど。

我々が見舞いに行った翌日のヤツの状態はそれほど悪くはなく、ある程度の時間は奥さんと会話をしたようだけれども、毎日毎日見舞が押し掛けたら疲れちゃうだろうしなぁ。
もっと元気な時期なら思い出せるだけの人間に連絡して皆で押し掛けても良かったのに、本人が「病院には行かない」と拒絶して、やっと入院させることが出来たのが2週間前。診断は「持って8月でしょう」だったとか。

3年前の検診でガンが解ったその時点で、人生投げちゃったのか?ヤツは。

僕ならどうするだろうか。
仮にカミサンが居なくてオフクロも近くに居なければ・・・「どうでもいいや」かもなぁ。いや、きっとそうなるな。



世話になった先輩で「人間の価値は、葬式に何人の参列者があるかで測れる。だから俺は人を大事にする」と言う人が居た。ヤツとも昵懇にしていたので連絡をとったらしいのだが、現在は先輩自身が若年性アルツハイマーに罹り退社し、友人の会社を手伝っているのだとか。
電話では誰の件で話をしているのかは理解したようだが、いつまで覚えていられるか・・・だそうだ。
自分で言った「人間の~」も覚えているのだろうか。

僕は自分の価値なんて「屁」みたいなもんだと思っているから、将来自分の葬式にはまぁ親戚しか来ないだろうなぁと思っているし、仮に今僕が死んでも、元の会社の人々にはネットワークがないから誰にも知ることが出来ないだろう。
そんなことどうでもいいと思ってる。


そんなことより、僕の生きてる間は奥さんから電話が来なければうれしい。

お前が先に閉店か?

2006-08-29 13:49:36 | Cancer
昨日、新宿の病院にお見舞いに行った。

僕より若い友人だけれど、肺から転移したガンが消化器系すべてを壊して、もはや何も食べることも飲むことも出来なくなったていた。痛み止めを打っているので意識はもうろうとしていたけれど、「おぉい、◯◯だよ」と呼びかけて指を握ると、ベッド脇に置いてある椅子を指差して、か細い声で「年寄りなんだから座りなよ」なんて冗談言いやがって、うっすら笑みを浮かべやがった。

額にはかすかに血の気はあるものの、手も顎も蝋人形のようになりやがって、なんでこんなになるまで放っておいたんだ?3年前の検診でガンが解ってたと言うじゃないか。解った時点で治療してたら助かったかもしれないのに。3年前にも2年前にも会った時、自分で知っていながら何も言わずに・・・誰にも言わずに。

一度別れた奥さんが戻って来た時にはもう手遅れだったじゃないか。何やってんだ!段々腹が立って来た。自分の命、粗末にしやがって。




「振り返って考えてみたんだけど、2人でどこかに出掛けたっていう思い出がないのよ」と奥さんに言われた。

彼ら夫婦は同年で結婚したのは20歳の時。以来ヤツは子供達のキャンプだったり運動会の手伝いだったり、スケジュールが空くと今度はボランティアでハンディキャッパーのお手伝いで休みでも家にはいない。ヤツが好きでやっていたことだけど、引っ張り回していたのは僕だったんだ。

僕のサラリーマン時代に一緒にいる時間が一番長かったのはこの友人じゃないだろうか。
先に彼が退社し、僕も退社してしまうと接点がなくなり、噂で彼が離婚して転居したと聞いてからは連絡先も解らずじまいだったのだが、2日前に共通の友人からの電話で危篤だと聞き言葉が出なくなった。




打つ手はないらしい。様態が落ち着いたら自宅に連れて帰る、と奥さんが言う。

明日奥さんはホスピスを運営していらっしゃる方に、自宅での最期の迎え方を聞きに行くと言う。運転手をかねて一緒に聞きに行こうと思う。元気な頃、人一倍世話になったヤツに僕が出来ることをしてやりたい。

ちきしょう、涙が出て来た。