白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

Keith Jarrett Trio @ Orchard Hall , Sep 23 , 2010

2010-09-25 | 日常、思うこと
Set list : Sep 23,2010

1st
1 Solar
2 I have got a crush on you
3 Stars fell on Alabama
4 Conception
5 Someday my prince will come
6 g-blues

2nd
1 Django
2 My ship
3 Sandu

encore
1 Too young to go steady
2 When I fall in love





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17時、本郷Fire House で Double Cheese Burger を食べ、
丸ノ内線と半蔵門線を乗り継いで渋谷に着いた。
オーチャードホールまでの道で、冷たい風に随分濡れた。





批判を承知で、結論から先に書こうと思う。
やはり、老いたという印象が強かった。
特定の誰かが、というわけではない。
トリオのメンバーの3人に、共通して言えることだ。
キースは65歳、ディジョネットは68歳、
ピーコックは75歳である。
無理もないことなのだろう。
1st set の演奏に、その兆候が強く表れていたように思う。





Solarの冒頭、キースのピアノの音が弱く感じた。
物理的な音量ではなく、キース独特の音自体の持つ強みが
以前に比べて減退しているように思われたのである。
即興における音の組み方、あるいは汲み上げ方は
相変わらず、僕に評価できる水準を遥かに超えていて、
神秘的な色彩感を湛えつつ、静謐さの中に不穏感が聴こえ、
その後の予測もつかない展開を期待していたのだが、
誰からの仕掛けもガイドトーンも聴こえないまま、
曲はサウンドチェックのようにして、終わってしまった。





決してピアノの調律に狂いがあったわけではない。
休憩中の調律も、照明のトラブルも、この日は無かった。
聴衆は緊張感を保っており、度の過ぎたノイズも無かった。
トラブルがあったとすれば、おそらく演奏者側であろうと思う。
1st setでのキースは、明らかに集中力を欠いていた。
言いたくはないが、あれほどの技術にも、衰えの影が見える。
Stars fell on Alabama では、明らかに冒頭の即興を投げ出し
唐突に主題に入ったのがわかった。
普段ならじっくりと歌い込むはずの即興にも粘りは無く、
クリシエと呼ぶべきか、手癖と呼ぶべきか迷う旋律も聴かれた。
Conception では、珍しくイントロで躓く場面もあった。
Someday my prince will come に至っては、明らかに興が乗らず
打ち切るように、わずか3分ほどで終わってしまった。
g-blues はほぼワン・コード1発もので、おそらくは万策尽きて
お茶を濁して、逃げの方向に意識を向けたのかもしれない。





ピーコックは思っていたほど老け込んではいなかったし、
血色もよかったが、おそらくは加齢に起因すると思われる
握力の減退からか、ややピッチが定まらない場面があった。
ラインの組み上げ方にもいささか単調さを感じることもあった。
特に、ソロの部分で、リズムのキープに時折危うさが見られ、
キースがガイドトーンを弾く場面が、小節の頭や表拍の位置で
多くみられた。





僕が最も違和感を感じたのは、ディジョネットだった。
周囲が明らかに不調なら、ピアノやベースが弾くはずの音を
先回りして叩き、焚き付けにかかるのが普段の姿である。
この日は手探りの状態だったのだろうか、迷いがあったのか、
それとも、音に対する脊髄反射が衰えたのだろうか。
常に後手に回り、周囲の音を引き立てるのならまだしも、
他の音への接近の仕方が、フィルインやコンピングも含めて
創発的でないばかりか、乖離して聴こえて仕方なかった。
場違いとも思える音が、彼の手からしばしば聴こえたのである。





つまりは、彼らの音の最大の特徴であった創発性が薄れて、
集中と安定を欠いた結果、「とっ散らかったような」演奏が
1st set の間、ずっと続いたように思われたのだ。





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僕は、このトリオの演奏に、30年近く前の彼らの音を
期待してはいない。
かの「Still Live」のように、音を構成するあらゆる要素が
その発生主体をも孕み込み、臨界点に達したままの状態で
フラッシュオーバーするような演奏ではなくとも、
せめて「The Out-of-Towners」のような、
無音に最も近い静寂と、人智に最も近い微温を感じられる、
シンプルな演奏を聴かせてくれればと思っている。





かつて、一分の隙もない音は、2007年5月3日に、
今は無き、大阪・旧フェスティバルホールでのコンサート、
「yesterdays」に聴くことが出来たから、満足している。

「胸の奥底に暖色の光が点り、
じりじりとこころを炙り出してくるような感覚に、
身体が溶け出していくような時間が過ぎて、
焦がれるような記憶となっていくのを悔やみながら」

「消えた後の音が消えない」

僕は、こんな歯が浮くような記述を残しているくらいだ。





もっとも、2nd set に入り、幾分調子を取り戻したようで、
Django は実にシンプルな、在るべき音がそこに確かに在る、
極めて充実した演奏だった。
この日の白眉は encore にあったと思う。
Too young to go steady は、無音に最も近い静寂と、
人智に最も近い微温を感じさせてくれるという意味で、
このトリオにしか演奏することのできない至福の音楽だった。
そして、When I fall in love のアウロトダクションにおいて
不図、キースが弾き始めたピアノソロは、
僕自身がピアノを弾くきっかけとなった、このひとの存在と、
このひとにしか弾けない音そのもので、震えた。





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さりながら、一抹の寂しさを感じたことは事実である。
キースに再び病が宿っていないのか、心配になるほどだった。
せめて、聴けるだけは聴いておきたい、という思いから、
来週の仕事の都合もついたので、今回の来日公演のうち
東京公演は、すべて観に行くことにした。
次は、9月29日である。





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それにしても、冷たい朝だ。
3日前は33℃もあったというのに、今は14℃しかない。
布団に包まる。とても切ない。






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