というわけで、今日「Festival Na Hiwahiwa O Hawai'i」を観て参りました
会場の「JCBホール」に行くのは初めてだったんですが、まあずいぶん立派な劇場ですね。
収容人数が2,000人を超えるにも関わらず、配置を工夫してどの席からも舞台が遠くなり過ぎないようになっています。東京ドームのそばにいつの間にかこんなホールができていたなんて知りませんでした。
というよりフラがこんな大劇場で踊られる日が来たことが私には衝撃です。一般人がフラダンスとフラメンコの区別がつかなかった時代からなんと遠く隔たってしまったことか。
かように大流行の時代が訪れたのは我々のような古参者からすればたいへん嬉しいことなんですが、問題は踊りたがる人が多い割に観ようとする人が少ないってことです。
一昨日書いたように、こんにち多くのフライベントは日本人出演者がチケットを買って舞台に立ち、これをハワイからのゲストを呼ぶ費用に充てています。
それなのに、出演をすませた日本人ダンサーはこれからようやくハワイからのゲストが踊ろうというその時に荷物をまとめて帰ってしまうんですよ。
私は東京のイベントでしばしばそういう光景を目撃して驚愕しています。
皆さん、自分が踊ればそれで満足してしまい、本場の人の舞台を見たいと思わないのでしょうか。
私は「質の高い」舞台を選んで観るべきと思っています。
なぜなら質の高い舞台は見る目を養い、向上心をかき立て、良いインスピレーションを得るのに役立ちますが、そうでない演技は誤った美意識を育てかねないうえ、「自分の方がまだしも上手い」と思ったが最後その人の上達はそこまでで終わってしまうのです。
フラは若さや体力、運動神経がすべてではありません。
むしろ何十年単位の経験を経ないと得られないものが数多くあり、取り組み方次第で一生上達し続けることができる踊りなのです。
それこそがフラの一番の魅力といえます。この楽しさを味わわない手はありませんね。
日本人ダンサーの多くが出来る限り質のいい舞台を見ようとし、自己満足に終始するのみでなく「観賞に堪えうる踊り」を目指して努力するようになって初めて、フラが本当に日本に根づいたことになるのでしょう。
で、その第一歩。本物のハワイのフラを観ようではありませんか。
今日のステージはまずミス・アロハフラのスガヌマさんから始まりました。私が観たのは昼の部なので、うれしいことにカヒコを観ることができました。
そして、もっとうれしいことにスガヌマさんの踊りは見事な上達を遂げていました
大会のときは正直「踊りの力じゃなく血筋でミスになったクチだなあ」という印象だったスガヌマさん。
しかしこの数カ月の間の上達は目覚ましかったとみえ、すっかり地に足のついた、誇り高い踊りを踊っていらっしゃいました。
大会の時気になった肩の揺れも今日はだいぶ抑えられていましたし、ステップの足運びにマミちゃんの嫌いな誤魔化し(=必要以上にカカトを上げるなど)がなく、基礎がきっちり出来ていることをうかがわせました。
私が好きだったのは「表情」と「背中」です。誇り高く頭を上げ、「Pali e ke kua」を体現したまっすぐな姿勢、しかもそれらが決してわざとらしくありません。
フラはどんな技巧を凝らすより自然に踊ることが難しい踊りですが、弱冠20歳にしてかなり自然な領域まで達しているスガヌマさん、今後が楽しみなダンサーです。
続いて出て来たのはカピオラニ・ハオさんのチームでした。
すいません、なぜか私オブライアン・エセル氏が出ると思い込んでたんですけど、氏は夜の部だったのですね。カレオ・トリニダッドさんが出られなくなり一部出演者に変更が生じたせいで記憶が混乱してしまったようです。
ともかく、カピオラニさんはかの人間国宝アンクル・ジョージ・ナオペのお弟子さんです。
アンクルジョージの系列の踊りの特徴なのか、こちらのグループは男女にさほど大きな差がない気がしました。というより女性の踊り方がかなり男性っぽい。私あたりの感覚からすると女性にしては脚が開きぎみのように感じました。
男女の踊りをことさらに変える教室と、あまりそうしない所がありますね。
つい自分を基準に考えてしまうけれど、もしかするとうちの系統「イリマ・スタイル」は特に女らしい踊り方なのかもしれません。
パーティーの余興で「イリマスタイル物真似」をしてくださったハワイのミュージシャンの方も、そういえばことさらに女っぽく踊ってましたっけ。
もちろんうちの男性の生徒さんは女らしく踊る必要はありませんが(笑)。
その点、次に出てきたアロハ・デリレイ先生のところのスタイルは、今日見た3つの中では一番うちに近い感じがしました。
教室の成立年代や地域を考えると不思議はないんですけどね。
センターをつとめたスガヌマさん(彼女はここに所属しているのです、というより幼少のうちにご本人でここを選んだそうな)のキッチリした基本動作を見ると特に近さを覚えました。コアカでわざとらしくカカトを上げたり歩幅を広げたりしないところとかね。
ただ、こちらの方がイリマより古典的なスタイルに忠実だと思います。イリマフラスタジオはその昔、カハラヒルトンのようなオアフの主要ホテルのディナーショーなどを手掛けていたような教室なので、もっとショーの要素を重視しているのですね。
ちなみに私のいう「イリマスタジオ」は現在の「ハーラウ・モーハラ・イリマ」とは一切関係ありません。
あちらは非常に典型的なアンティ・マイキの系統で、私もアンティ・マイキの上品なスタイルは好きですが、様々な点がうちとはだいぶ違います。
最後に出てきたオラナ&ハワード・アイご夫妻の教室は日本でも有名ですね。
しかし実はこちらの踊りはいわゆるフラとはちょっと違います。いわばネイティヴ・ハワイアンよりむしろアメリカ人受けしそうなスタイルですね。
とてもショーアップされていて、ゴージャスな衣装も派手な振り付けも豊かすぎるほど豊かな表情もたいへん分りやすい。三女シェルシーさんが踊る姿を見て白人女性が涙を流したというのにもうなずけます。
衣装がゴージャスなのは素晴らしいことです。こちらの衣装には見習うべき点がたくさんあります(マミちゃん的視点で)。
ただ、そのたっぷりしたスカートの分量をフルに活かすためか、スカートをしっかり揺らそうとするあたりに作為のにおいを感じずにはいられません。
ほかにも、腰を大きくスウェイするためか大きくとった足幅といい、アップダウンの激しい動作といい、見る目が完全に養われていない段階でうかつに真似しようとすると事故が起きる要素です。
私がフラに詳しい人に「オラナさんとこの物真似」をやると必ずといっていいほど受けます(笑)。
しかし真似しやすい特徴は両刃の剣です。本当は抑えるべきところを抑えた上でしなければならない動作を、安易に目立つところだけ真似してしまうことによって、踊りは間違った方向に向かいます。
じっさい、後半でクムのオラナさんが若いダンサーたちに混ざって踊ったところを見ると、オラナさんご本人には私がダンサーたちを見て「アレわざとらしいなぁ」とか「鼻につくなぁ」と思った要素は見られず、自然に綺麗に踊っておられました。
ほかの先生方も同じでしたね。ダンサーたちがするとわざとらしかった動作も、クムには一切見られないことがほとんどでした。
これはプロとそうでない人の技術の違いといってしまえばそれまでですが、私は「伝達の過程で起きた拡大解釈」ではないかと思います。
先生がほんのわずか持っている癖や、ごくたまにだけ使うスパイスを、あたかもそれがすべてであるかのように取り入れてしまうと、元の先生にはない作為的な踊りが生まれてしまいます。
あるいは、教えているインストラクターに悪い癖があるのかもしれません(それが怖くてインストラクターは使えないんだってば)。
いずれにしても、どこかで拡大解釈された結果であるのは違いありません。
これらの拡大解釈が淘汰され、身体に馴染んだ自然な動作になったとき、「本当に上手いフラ」が出現します。
この自然淘汰には時間がかかる。だからこそ、フラはある程度の年数に達しないと十分に上達できないし、一生上達の楽しみが終わらない踊りなのです。
会場の「JCBホール」に行くのは初めてだったんですが、まあずいぶん立派な劇場ですね。
収容人数が2,000人を超えるにも関わらず、配置を工夫してどの席からも舞台が遠くなり過ぎないようになっています。東京ドームのそばにいつの間にかこんなホールができていたなんて知りませんでした。
というよりフラがこんな大劇場で踊られる日が来たことが私には衝撃です。一般人がフラダンスとフラメンコの区別がつかなかった時代からなんと遠く隔たってしまったことか。
かように大流行の時代が訪れたのは我々のような古参者からすればたいへん嬉しいことなんですが、問題は踊りたがる人が多い割に観ようとする人が少ないってことです。
一昨日書いたように、こんにち多くのフライベントは日本人出演者がチケットを買って舞台に立ち、これをハワイからのゲストを呼ぶ費用に充てています。
それなのに、出演をすませた日本人ダンサーはこれからようやくハワイからのゲストが踊ろうというその時に荷物をまとめて帰ってしまうんですよ。
私は東京のイベントでしばしばそういう光景を目撃して驚愕しています。
皆さん、自分が踊ればそれで満足してしまい、本場の人の舞台を見たいと思わないのでしょうか。
私は「質の高い」舞台を選んで観るべきと思っています。
なぜなら質の高い舞台は見る目を養い、向上心をかき立て、良いインスピレーションを得るのに役立ちますが、そうでない演技は誤った美意識を育てかねないうえ、「自分の方がまだしも上手い」と思ったが最後その人の上達はそこまでで終わってしまうのです。
フラは若さや体力、運動神経がすべてではありません。
むしろ何十年単位の経験を経ないと得られないものが数多くあり、取り組み方次第で一生上達し続けることができる踊りなのです。
それこそがフラの一番の魅力といえます。この楽しさを味わわない手はありませんね。
日本人ダンサーの多くが出来る限り質のいい舞台を見ようとし、自己満足に終始するのみでなく「観賞に堪えうる踊り」を目指して努力するようになって初めて、フラが本当に日本に根づいたことになるのでしょう。
で、その第一歩。本物のハワイのフラを観ようではありませんか。
今日のステージはまずミス・アロハフラのスガヌマさんから始まりました。私が観たのは昼の部なので、うれしいことにカヒコを観ることができました。
そして、もっとうれしいことにスガヌマさんの踊りは見事な上達を遂げていました
大会のときは正直「踊りの力じゃなく血筋でミスになったクチだなあ」という印象だったスガヌマさん。
しかしこの数カ月の間の上達は目覚ましかったとみえ、すっかり地に足のついた、誇り高い踊りを踊っていらっしゃいました。
大会の時気になった肩の揺れも今日はだいぶ抑えられていましたし、ステップの足運びにマミちゃんの嫌いな誤魔化し(=必要以上にカカトを上げるなど)がなく、基礎がきっちり出来ていることをうかがわせました。
私が好きだったのは「表情」と「背中」です。誇り高く頭を上げ、「Pali e ke kua」を体現したまっすぐな姿勢、しかもそれらが決してわざとらしくありません。
フラはどんな技巧を凝らすより自然に踊ることが難しい踊りですが、弱冠20歳にしてかなり自然な領域まで達しているスガヌマさん、今後が楽しみなダンサーです。
続いて出て来たのはカピオラニ・ハオさんのチームでした。
すいません、なぜか私オブライアン・エセル氏が出ると思い込んでたんですけど、氏は夜の部だったのですね。カレオ・トリニダッドさんが出られなくなり一部出演者に変更が生じたせいで記憶が混乱してしまったようです。
ともかく、カピオラニさんはかの人間国宝アンクル・ジョージ・ナオペのお弟子さんです。
アンクルジョージの系列の踊りの特徴なのか、こちらのグループは男女にさほど大きな差がない気がしました。というより女性の踊り方がかなり男性っぽい。私あたりの感覚からすると女性にしては脚が開きぎみのように感じました。
男女の踊りをことさらに変える教室と、あまりそうしない所がありますね。
つい自分を基準に考えてしまうけれど、もしかするとうちの系統「イリマ・スタイル」は特に女らしい踊り方なのかもしれません。
パーティーの余興で「イリマスタイル物真似」をしてくださったハワイのミュージシャンの方も、そういえばことさらに女っぽく踊ってましたっけ。
もちろんうちの男性の生徒さんは女らしく踊る必要はありませんが(笑)。
その点、次に出てきたアロハ・デリレイ先生のところのスタイルは、今日見た3つの中では一番うちに近い感じがしました。
教室の成立年代や地域を考えると不思議はないんですけどね。
センターをつとめたスガヌマさん(彼女はここに所属しているのです、というより幼少のうちにご本人でここを選んだそうな)のキッチリした基本動作を見ると特に近さを覚えました。コアカでわざとらしくカカトを上げたり歩幅を広げたりしないところとかね。
ただ、こちらの方がイリマより古典的なスタイルに忠実だと思います。イリマフラスタジオはその昔、カハラヒルトンのようなオアフの主要ホテルのディナーショーなどを手掛けていたような教室なので、もっとショーの要素を重視しているのですね。
ちなみに私のいう「イリマスタジオ」は現在の「ハーラウ・モーハラ・イリマ」とは一切関係ありません。
あちらは非常に典型的なアンティ・マイキの系統で、私もアンティ・マイキの上品なスタイルは好きですが、様々な点がうちとはだいぶ違います。
最後に出てきたオラナ&ハワード・アイご夫妻の教室は日本でも有名ですね。
しかし実はこちらの踊りはいわゆるフラとはちょっと違います。いわばネイティヴ・ハワイアンよりむしろアメリカ人受けしそうなスタイルですね。
とてもショーアップされていて、ゴージャスな衣装も派手な振り付けも豊かすぎるほど豊かな表情もたいへん分りやすい。三女シェルシーさんが踊る姿を見て白人女性が涙を流したというのにもうなずけます。
衣装がゴージャスなのは素晴らしいことです。こちらの衣装には見習うべき点がたくさんあります(マミちゃん的視点で)。
ただ、そのたっぷりしたスカートの分量をフルに活かすためか、スカートをしっかり揺らそうとするあたりに作為のにおいを感じずにはいられません。
ほかにも、腰を大きくスウェイするためか大きくとった足幅といい、アップダウンの激しい動作といい、見る目が完全に養われていない段階でうかつに真似しようとすると事故が起きる要素です。
私がフラに詳しい人に「オラナさんとこの物真似」をやると必ずといっていいほど受けます(笑)。
しかし真似しやすい特徴は両刃の剣です。本当は抑えるべきところを抑えた上でしなければならない動作を、安易に目立つところだけ真似してしまうことによって、踊りは間違った方向に向かいます。
じっさい、後半でクムのオラナさんが若いダンサーたちに混ざって踊ったところを見ると、オラナさんご本人には私がダンサーたちを見て「アレわざとらしいなぁ」とか「鼻につくなぁ」と思った要素は見られず、自然に綺麗に踊っておられました。
ほかの先生方も同じでしたね。ダンサーたちがするとわざとらしかった動作も、クムには一切見られないことがほとんどでした。
これはプロとそうでない人の技術の違いといってしまえばそれまでですが、私は「伝達の過程で起きた拡大解釈」ではないかと思います。
先生がほんのわずか持っている癖や、ごくたまにだけ使うスパイスを、あたかもそれがすべてであるかのように取り入れてしまうと、元の先生にはない作為的な踊りが生まれてしまいます。
あるいは、教えているインストラクターに悪い癖があるのかもしれません(それが怖くてインストラクターは使えないんだってば)。
いずれにしても、どこかで拡大解釈された結果であるのは違いありません。
これらの拡大解釈が淘汰され、身体に馴染んだ自然な動作になったとき、「本当に上手いフラ」が出現します。
この自然淘汰には時間がかかる。だからこそ、フラはある程度の年数に達しないと十分に上達できないし、一生上達の楽しみが終わらない踊りなのです。