そうそう、ナープアさん繋がりで、昨年のミスアロハフラ、マナラニ・イングリッシュさんの写真もご紹介します。
彼女がメリーモナークで踊った時に私が撮った写真ですね。
バレンタインコンサートではハワイからのゲストの写真が撮れないし買えないので、ダンサーの写真が手に入らないのです
こちらがカヒコです。
これだけスカートが動くほど躍動的な動きをしているところなのに上半身がブレてないし綺麗な姿勢が保たれているのは、ひとえにマナラニさんの踊りの安定感の良さゆえですね~。
あと写真では分りませんが、マナラニさんのチャントはハスキーな声質と優しくとおる発声、正確な発音でとても美しいのです。
そしてアウアナ。
バレンタインコンサートの時は、同じ衣装で髪をおろしたヘアスタイルで同じ曲を踊ってくださいました。
この時も写真を現像した際に思いましたし、バレンタインコンサートでも近場から拝見して改めて思ったのは、マナラニさんが本当に基本に忠実に、丁寧できめ細やかな踊りを踊る方だという事です。
安定しているけれど悪い意味でこなれた踊り方ではなく、しっかりと踊っているのも好印象でした。
「クム」「指導者」でもなく「プロダンサー」でもなく、「学び手」として美しい踊りとでも言いましょうか。
それに、ナープアさんのヴォーカルやチャントで踊っているところを観ていると、師弟の信頼関係が固く結ばれている事が良く分ります。
こうした来日時も(毎回必ずではないのかもしれませんが)師であるナープアさんと共に出演しているのは彼女のフラにとってとても良い事だと思われます。
今後もナープアさんの導きのもとで踊り続ければ、ジョニさんのとこのナターシャ・オダさんや、ナニ・リム・ヤップ先生のバーニスさんのように、軸を見失わず自分のスタイルを確立した上で、無限にレベルアップしていける事でしょう。
マナラニさんがますます素敵なダンサーになっていくのを楽しみに注目したいと思います。
なんかマナラニさんの事えらい褒めとるな、私(笑)。
要するに私は若手ダンサーに限って言えば「実年齢の若さから想像がつかないほど老成しているダンサー」か「今後の伸びしろを感じさせるダンサー」のどちらかが好きなんですね。
前者はケアリイさんの従妹チェリッサさん、後者は前述のマナラニさんを思い浮かべていただければよろしいかと。
やっぱり(年齢もそうだけど技術的な意味で)若いうちはアウトプット=教える/見せる事よりインプット=学ぶ事に情熱を傾けた人の方が、後々魅力的なダンサーになれると思います。
そんなわけで、私はウチの生徒さん達には是非とも「インプットの重要性」を理解して頂きたいと思っている次第です。
まあそんな難しい事じゃないです。「千里の道も一歩から」の要領で、基礎を重視して毎回のレッスンを大切にしてくださればそれでいいのです。
でも、それはあくまでもいつもどおりの個人的見解ですからして、もしどこか他所の教室の人達が「練習なんてつまんないコトしてないでとにかくステージに出たい出まくりたい」という方針でステージで恥ずかしい代物を晒しまくっていたとしても、私は「そりゃあんたのためにならないぜ」と心の中で突っ込む(&このブログのネタにするw)だけで、ご本人達には何一つ申し上げますまい。
だってどういう考え方を持っていたってそれは個人の自由だもの。
そもそもこんな風に偉そうにブログ書いてますが、自分の考え方や言い分だけが大正義だとか宇宙の真理だなんて、私はこれっぽっちも思ってないです。
自分の考え方に誰か一人でも共感してくれたら勿論嬉しい。でも考えを異にする人がいても一向に構わないし、そんな人は大勢いて当然だと思います(なんせ私はこんな変人ですし、キャラ設定からしてバツイチ喪女という特異さですしw)。
中には自分から見たらものすごくヘンな考え方の人、自分と正反対の意見の人、自分の価値観では悪としか見なせないような人もいるでしょう。
それでも、誰がどう思ったって、それは個人の自由だ。
たとえば私は40度の熱を出している人が雷雨でずぶ濡れになっていたとしても他人の傘を盗むのは悪だと思っていますが、「他人の傘は俺の傘」とのたまう人をいちいち糾弾したりはしません(もちろん現行犯なら遠慮なくおまわりさんに突き出しますよ)。
100人いたら100通りの考え方を持っているのが、人として自然な状態です。
だから相手が友達であれ、親であれ、先生であれ、はたまた国家元首であれ、それが自分以外の人物であるなら「その人にはその人なりの考え方があるのだ」という事を念頭におく必要があります。
で、とりあえず自分への実害がないなら、放っておくのが賢明というものです。
(もちろん国家元首が「明日から消費税30%にします」とかほざいたら容赦なく糾弾していいんですよ、それは立派に「自分への実害がある」状態なのですから)
それって本来当り前の事なんだから、世の中の人がみんなそういう風に考えられるようになったらいいんだけどねえ~(遠い目)。
なんで急にこんな当り前の事を言い出したかって、こんな当り前の事を改めて考えさせられる一連の出来事がここ数ヶ月、私の周囲において見受けられたからですね。
私も母も完全な個人主義でありますから、今さんざん言って来たとおり「どう考えようと個人の自由」説の熱烈な支持者です。
そんな我々から見ると、「異なる意見を持った他人を自分と同調させようとする人」「個人レベルで判断すべき事まで集団の足並みを揃えさせようとする人」っつーのがどうしても理解できない。
もちろんいくら好きな事をやりたくて集まったメンバーとはいえ、集団で決めなければならない事もあります。
新曲を何にするかとか。メンバー10人が今やりたい曲をそれぞれ1曲ずつ出したらえらい事になります(そもそも「生徒さんに曲を選んでもらう/希望を訊く」という我がスタジオMの方針自体、一般的には特異なモノらしい)。
そりゃ1人ずつそれぞれのやりたい曲をレッスンしてあげたいけど、流石にそれは物理的に無理です(笑)。
でも、たとえばレッスンの前後にトイレに行くのは個人で決めるレベルの事柄ですよね。
(流石に大人の趣味の教室では起こりえない事ですし実際の出来事とも違いますが、昔ながらの分りやすい例なので採用しました)
ある人が今トイレに行きたいと言う。
するとそれに同調し、(大して行きたくもないのに)私も行く!そうだみんなで行こう!と呼びかける人が出てきて、多くの人が賛同し、最終的に殆どのメンバーで行く事になる。
しかし、グループの数名のみが「私は今行きたくないからやめとく」と言う。
そしたら、その「行きたくないからやめとく」と言った人が行く人達から責められる。
え、ちょ、待って、どうしてそういう事になるわけ。
私にはサッパリ理解できないんですけど。
そもそも最初にトイレに行くと言い出した人自身、みんなに一緒に行って欲しいと思っているとは限らないじゃないですか。
大して行きたくもないのに付き合わされた人に悪いなあとか、私一人の判断なんだからむしろ放っといてもらって一人でササッと行ってきたかったなあとか、そういう思いがあったとしてもここでは無視されているわけで。
もっと悪い場合は「じゃあ私も………あ、いややっぱり行きたくないからやめるわ」と意見を翻したりした人がさらに責められることになったりするのですから困ります。
もちろん、自分の強い意志を持たずに右に習えするのもまた個人の自由です。
ただ、全員にそれを強要したり、従わない人を責めるのは完全なお門違いです。
真にグループの和を乱すのは「みんなと同じにしない人」ではなく「他人に同調を無理強いする人」である事は、仕事や習い事で集団に属するすべてのオトナの方々に知って頂きたいなぁ~。
ちなみに、そういう徹底した個人主義の母娘が主宰する教室では、遅刻したとしても怒られる事はありませんし、ノートは取っても取らなくても自由ですし(書きたいけど書き方が分らない生徒さんには勿論きちんとアドバイスしますが)、レッスン時の格好にしたってまったくの自由で、過去の衣装を着ても膨大なレッスン着のワードローブをとっかえひっかえしても車に置きっぱなしの1着の着た切り雀でも何でもいいし、あっそうそう、途中でトイレに行ってもまったく無問題です(笑)。
ま、今回の記事の特に後半は普段以上に戯言というか愚痴なんで、軽く読み飛ばしてくださいまし。
よってブログランキングのバナーも貼りません。ひっそりスルーしていただきたく。
彼女がメリーモナークで踊った時に私が撮った写真ですね。
バレンタインコンサートではハワイからのゲストの写真が撮れないし買えないので、ダンサーの写真が手に入らないのです
こちらがカヒコです。
これだけスカートが動くほど躍動的な動きをしているところなのに上半身がブレてないし綺麗な姿勢が保たれているのは、ひとえにマナラニさんの踊りの安定感の良さゆえですね~。
あと写真では分りませんが、マナラニさんのチャントはハスキーな声質と優しくとおる発声、正確な発音でとても美しいのです。
そしてアウアナ。
バレンタインコンサートの時は、同じ衣装で髪をおろしたヘアスタイルで同じ曲を踊ってくださいました。
この時も写真を現像した際に思いましたし、バレンタインコンサートでも近場から拝見して改めて思ったのは、マナラニさんが本当に基本に忠実に、丁寧できめ細やかな踊りを踊る方だという事です。
安定しているけれど悪い意味でこなれた踊り方ではなく、しっかりと踊っているのも好印象でした。
「クム」「指導者」でもなく「プロダンサー」でもなく、「学び手」として美しい踊りとでも言いましょうか。
それに、ナープアさんのヴォーカルやチャントで踊っているところを観ていると、師弟の信頼関係が固く結ばれている事が良く分ります。
こうした来日時も(毎回必ずではないのかもしれませんが)師であるナープアさんと共に出演しているのは彼女のフラにとってとても良い事だと思われます。
今後もナープアさんの導きのもとで踊り続ければ、ジョニさんのとこのナターシャ・オダさんや、ナニ・リム・ヤップ先生のバーニスさんのように、軸を見失わず自分のスタイルを確立した上で、無限にレベルアップしていける事でしょう。
マナラニさんがますます素敵なダンサーになっていくのを楽しみに注目したいと思います。
なんかマナラニさんの事えらい褒めとるな、私(笑)。
要するに私は若手ダンサーに限って言えば「実年齢の若さから想像がつかないほど老成しているダンサー」か「今後の伸びしろを感じさせるダンサー」のどちらかが好きなんですね。
前者はケアリイさんの従妹チェリッサさん、後者は前述のマナラニさんを思い浮かべていただければよろしいかと。
やっぱり(年齢もそうだけど技術的な意味で)若いうちはアウトプット=教える/見せる事よりインプット=学ぶ事に情熱を傾けた人の方が、後々魅力的なダンサーになれると思います。
そんなわけで、私はウチの生徒さん達には是非とも「インプットの重要性」を理解して頂きたいと思っている次第です。
まあそんな難しい事じゃないです。「千里の道も一歩から」の要領で、基礎を重視して毎回のレッスンを大切にしてくださればそれでいいのです。
でも、それはあくまでもいつもどおりの個人的見解ですからして、もしどこか他所の教室の人達が「練習なんてつまんないコトしてないでとにかくステージに出たい出まくりたい」という方針でステージで恥ずかしい代物を晒しまくっていたとしても、私は「そりゃあんたのためにならないぜ」と心の中で突っ込む(&このブログのネタにするw)だけで、ご本人達には何一つ申し上げますまい。
だってどういう考え方を持っていたってそれは個人の自由だもの。
そもそもこんな風に偉そうにブログ書いてますが、自分の考え方や言い分だけが大正義だとか宇宙の真理だなんて、私はこれっぽっちも思ってないです。
自分の考え方に誰か一人でも共感してくれたら勿論嬉しい。でも考えを異にする人がいても一向に構わないし、そんな人は大勢いて当然だと思います(なんせ私はこんな変人ですし、キャラ設定からしてバツイチ喪女という特異さですしw)。
中には自分から見たらものすごくヘンな考え方の人、自分と正反対の意見の人、自分の価値観では悪としか見なせないような人もいるでしょう。
それでも、誰がどう思ったって、それは個人の自由だ。
たとえば私は40度の熱を出している人が雷雨でずぶ濡れになっていたとしても他人の傘を盗むのは悪だと思っていますが、「他人の傘は俺の傘」とのたまう人をいちいち糾弾したりはしません(もちろん現行犯なら遠慮なくおまわりさんに突き出しますよ)。
100人いたら100通りの考え方を持っているのが、人として自然な状態です。
だから相手が友達であれ、親であれ、先生であれ、はたまた国家元首であれ、それが自分以外の人物であるなら「その人にはその人なりの考え方があるのだ」という事を念頭におく必要があります。
で、とりあえず自分への実害がないなら、放っておくのが賢明というものです。
(もちろん国家元首が「明日から消費税30%にします」とかほざいたら容赦なく糾弾していいんですよ、それは立派に「自分への実害がある」状態なのですから)
それって本来当り前の事なんだから、世の中の人がみんなそういう風に考えられるようになったらいいんだけどねえ~(遠い目)。
なんで急にこんな当り前の事を言い出したかって、こんな当り前の事を改めて考えさせられる一連の出来事がここ数ヶ月、私の周囲において見受けられたからですね。
私も母も完全な個人主義でありますから、今さんざん言って来たとおり「どう考えようと個人の自由」説の熱烈な支持者です。
そんな我々から見ると、「異なる意見を持った他人を自分と同調させようとする人」「個人レベルで判断すべき事まで集団の足並みを揃えさせようとする人」っつーのがどうしても理解できない。
もちろんいくら好きな事をやりたくて集まったメンバーとはいえ、集団で決めなければならない事もあります。
新曲を何にするかとか。メンバー10人が今やりたい曲をそれぞれ1曲ずつ出したらえらい事になります(そもそも「生徒さんに曲を選んでもらう/希望を訊く」という我がスタジオMの方針自体、一般的には特異なモノらしい)。
そりゃ1人ずつそれぞれのやりたい曲をレッスンしてあげたいけど、流石にそれは物理的に無理です(笑)。
でも、たとえばレッスンの前後にトイレに行くのは個人で決めるレベルの事柄ですよね。
(流石に大人の趣味の教室では起こりえない事ですし実際の出来事とも違いますが、昔ながらの分りやすい例なので採用しました)
ある人が今トイレに行きたいと言う。
するとそれに同調し、(大して行きたくもないのに)私も行く!そうだみんなで行こう!と呼びかける人が出てきて、多くの人が賛同し、最終的に殆どのメンバーで行く事になる。
しかし、グループの数名のみが「私は今行きたくないからやめとく」と言う。
そしたら、その「行きたくないからやめとく」と言った人が行く人達から責められる。
え、ちょ、待って、どうしてそういう事になるわけ。
私にはサッパリ理解できないんですけど。
そもそも最初にトイレに行くと言い出した人自身、みんなに一緒に行って欲しいと思っているとは限らないじゃないですか。
大して行きたくもないのに付き合わされた人に悪いなあとか、私一人の判断なんだからむしろ放っといてもらって一人でササッと行ってきたかったなあとか、そういう思いがあったとしてもここでは無視されているわけで。
もっと悪い場合は「じゃあ私も………あ、いややっぱり行きたくないからやめるわ」と意見を翻したりした人がさらに責められることになったりするのですから困ります。
もちろん、自分の強い意志を持たずに右に習えするのもまた個人の自由です。
ただ、全員にそれを強要したり、従わない人を責めるのは完全なお門違いです。
真にグループの和を乱すのは「みんなと同じにしない人」ではなく「他人に同調を無理強いする人」である事は、仕事や習い事で集団に属するすべてのオトナの方々に知って頂きたいなぁ~。
ちなみに、そういう徹底した個人主義の母娘が主宰する教室では、遅刻したとしても怒られる事はありませんし、ノートは取っても取らなくても自由ですし(書きたいけど書き方が分らない生徒さんには勿論きちんとアドバイスしますが)、レッスン時の格好にしたってまったくの自由で、過去の衣装を着ても膨大なレッスン着のワードローブをとっかえひっかえしても車に置きっぱなしの1着の着た切り雀でも何でもいいし、あっそうそう、途中でトイレに行ってもまったく無問題です(笑)。
ま、今回の記事の特に後半は普段以上に戯言というか愚痴なんで、軽く読み飛ばしてくださいまし。
よってブログランキングのバナーも貼りません。ひっそりスルーしていただきたく。