La Ermita の記録

メキシコ隠遁生活の私的記録と報告
 @ユカタン半島。

歯医者と保健所

2021年10月22日 | ユカタン諸々

去年は相棒の闘病で専門医だのちゃんとした病院だのによく通ったが、普通に生活していられたらそんな金のかかるところへは行かない。特にここは日本と違って、やたら検査だの薬だのと言わず本当に必要な治療だけ…という感じでとてもいい。

が、歯だけはどうにもならない。日本人は歯並びに無頓着だが西洋圏ではけっこう重要なことで、ここも同じ。虫歯も歯並び矯正もホワイトニングも、して当然…それも必要なら即!という感じである。

話はそれるが、こないだ誰かがイギリスでのコロナの話をしていて「どんだけマスクが嫌いなんだ!」と言っていたが、日本人の対サングラス感情とよく似ている。別にブツに責任はないし目的に合った使用は当然だが、自分はちょっと…とか悪い人っぽくなるとか人前では…とかいう感じ。

絵文字が本当の絵になる前の絵文字を見るとよく分かると、どこかで読んだ。アルファベット圏では :-) がスマイルで口しか笑ってないが、日本のは ( ^ ^ ) で目しか笑ってない。だから、ヒーローでもバットマンは顔の下半分丸出しで、忍者は口元を隠している。

 

そんなわけで、春に加入した高額医療保険に年2回クリーニングと検診がついている。日本だったらおそらく健康診断とかミニ人間ドックかなんかになるんじゃなかろうか。

 行ってきました。

歯の形を使ったロゴはよくあるが、ここのは歯ブラシ。チェーン店でメキシコ中の都市にあり、どの支店でもそのクリーニングができる。保険会社お抱えというか上手いこと保険会社を取り込んだというか。クリーニング自体は日本と変わらずだったが、面白かったのがレントゲン。

 青赤黄色に色分けされた道具。

片方にフィルムを挟んで口の中に入れて、丸い輪っかを照射口?に当てる。

 

可愛くないですか? 初めて見たけど日本にもあるんだろうか。頭の周りをウィーンと回るやつが多いだろうけど、この撮るほうの機械はあると思う。何をどう色分けしてるのか、観察していてもよくわからなかったが、確かに角度と位置を決めるのは楽そうだった。

ちなみに保険に入る前は、隣村の歯医者に行っていた。ヤシの木が茂る一軒家、抗生物質の代わりにプロポリスを使うという、のんびりした歯医者である。

ーーー

続きまして、こないだエイに刺されたんだが、こちらは村の保健所で。村役場には、2年くらい前に24/7の診療所ができて救急医がいる…はずなんだが、行ったらいなくて近くの人に聞いたら時間外だと言うので、いつも降圧剤で世話になってる保健所に行った。

日本でいう国民健康保険の診療所で、田舎では各村にある。大都市圏だと企業とか公務員の健康保険に入ってる人の方が多いので、あまりない。

 うちの村の「健康センター」。

 中はこんな感じ。

これはエイに刺されたときじゃなくて今朝撮った写真で、もうすぐメキシコの誇る死者の日なのでその飾り付けがしてある。奥の部屋の壁には、村の地図が貼ってある。室内サインは、スペイン語とマヤ語の両方。

保険料も診察料も薬代も無料で、のーんびり受付してくれて、のーんびり診察してくれる。いつも飲んでる降圧剤をもらうだけでも、ゆっくりおしゃべりしたりして、診察時間は20分くらい。受付は、こちらもおしゃべりしながら血圧と体重とウェストを計って15分くらい。相棒は、機械を使ってて手を切ったときに行って、やっぱり無料で縫ってもらった。

重病なら行きたくないけど。


晩夏

2021年10月02日 | 設備/外構/庭

海の近くのこのへんではメリダ以南のように「食べられるものがなる」植物が少ない。ヤシの実と海のぶどうくらいじゃないですかね。なので、海のぶどうが終わると、ニホンジンは「夏は終わった。でも秋か?」と思ってしまう。

最近ようやく最高気温が31℃、最低気温25℃くらいになってきて、1月には最低気温が15℃まで下がって寒い寒いと大騒ぎするので、まあそれもまちがいではない。だが、一番暑いのが3月末から5月で、そのあと普通に暑い夏が来て…と変なので、四季感が狂う。植物も変な時期に芽を出す。今、真っ盛り。気温の話だけじゃないのだ。

 落ちた実から芽が出た海のぶどう。

 黄色い花が咲く木。よく街路樹に使われている。

 うちの畑のメロン。

  ドラゴンフルーツ。

もちろん、メロンとドラゴンフルーツは自然のものじゃなくて、買ってきて食べたあとの種だが、真夏だと暑さで死ぬのもあるので、35℃まで上がらなくなってから育てるほうが発芽率が高い。

ドラゴンフルーツはサボテンの一種なので、メキシコ中にある。ちなみに、ピタヤという。正確にはピタアヤ。ピタヤという果物は別にあるんだが、スペイン語人は長音短音の区別がつかないので、ピタヤで通じる。

 こういうふうに生産する。

放っておくと地面にデロデロ伸びるタイプなので、ある程度の高さになるまで丸い枠をかましたり、ぶどうみたいに棚を作ったりして育てる。

ーーー

一応、ススキっぽい草が生えてきたり、インドゴムという木の葉っぱが黄色くなって落ちるんだが、秋っぽいという気はしない。

 シュロの芽も急に大きくなり出した。

ずっと細長い1本の葉だけだったのが、ここへきて2枚目が。日本の春みたい。

 相変わらず、ビーチも快適。

拡大してもらうと、プログレソの埠頭に着いた客船が見えます。コロナがましになってきたので、クルーズ船が復活している。相変わらずユカタンだけで毎日死者10人以上だけど、来るものは拒まない・観光業大切!なので、そのへんは気にしない。

 手前のがペリ太郎。

1羽、頭の黄色い部分が他のと違うのがいて、泳いでるとずっと眺めている。眺めてはいるが以前のように警戒してないのがわかる。いつまでも泳ぎにくるヒト(個体)として認識したのか。お礼に名前をつけてやった。

 ピッグビーチの子豚。

2センチくらい成長してた。体育の授業(海水浴)を見たくて行ったんだが、獣医が来ないとかで時間割を変更されてた。残念。

 ピッグビーチの反対側。

村の漁師が船を止めているラグーンと海の間の水路。遠くに見える橋は、いつもプログレソへ行くときに渡る橋。

 海軍士官学校協会のユカタン支部。

基地もある。逆か。

 仏像ホテル。

ちょっとオリエンタルにしてみました風のトタン屋根。これからゴテゴテ飾るんだと思う。赤いゲートには何とか酒店の文字。よくできました。

 最近の朝。

太陽が昇るのがだんだん南にずれてきた。冬になるとココ林の上から日が出て、朝焼けが多くなる。こんな真っ平らなところで、こうして毎日観察してたら、マヤ人じゃなくともカレンダーくらい思いつく。


海藻ラビリンス2

2021年06月12日 | ユカタン諸々

海藻の話の前に、最近のご近所(別荘組)たち。

 マンゴーをもらった。

メリダじゃなくてもっと南の村に住むご近所さんで、今までもたまにライムとかマメイとかいろいろもらってる。大きなランチョ(農園)じゃないかと思う。マンゴーの木は大きくなるし、旬が来るとガンガン鈴なりに実がなる。どんどん採って誰かにどんどんあげないと、地面に落ちて腐るそうです。

 

 以前は見えなかった白い壁。

白い家はVさんち。建てる前にはメリダの両親が住むと言ってたが、両親はほとんど来なくてエアビーにしている。Vさんは、目の前の小道を、①自分ちの先で行き止まりにし②自分ちの前の部分を私物化するという傍若無人っぷりだが、今度は自分ちの隣の土地に手を入れた。その隣の土地はずーっと前から放って置かれて木がボーボーだったんだが、なんとヤシの木を残して残りは伐採という暴挙に。

もうこのへんはこんなんばかりで、緑豊かな村だったのがどんどん「草だけは生えてる汚らしい更地」に変わってきている。希少な木ボーボーの土地なのに、客に蚊が多いと文句言われたとかで、低木はバッサバッサと切り倒してしまった。そもそもそこの地主に話をつけたのかさえ疑問。

 

 選挙運動のTシャツ。

村の知り合いにもらった。この党の前回の選挙Tシャツはもっとカッコよかったんだが、もらい損ねた。東京に行ったときに着るつもりなんだが、別に恥ずかしいとかじゃなくて、ここでは日本のもの、日本ではメキシコのものを着てるとカッコよくないですか? あと、メキシコには諸外国にしてやられた歴史があり、外国人が政治に首をつっこむのは憲法で禁止されているらしい。正確には批判するとだったかな、よく知りません。中国みたいなわけじゃないが、外国に住むときはそういう面倒なことは絶対に避けなければならない。

オリジナルロゴなんかを入れられるTシャツかと思ってたら、プリントした布をロールで買って、支援者のおばちゃんたちがミシンでガーッと縫ったという。さすが人海戦術の国。

 

さて、海藻いじりの自由研究の続き。

 いぎす豆腐。

いろいろ調べていたら愛媛県だったかの郷土料理にたどりつき、ちょうど大豆の粉があったので作ってみた。磯の味。

 フルーチェ。

寒天は無理とわかり他のアガーをなんとか取り出して水まんじゅうみたいなのができたらいいなと思っているんだが、なかなか難しい。調べても家内制手工業は無理そうだったんだが、村の友達の娘がユカタン自治大学で海洋学を学んでいるので何か知ってるか聞いてみたら、輸出用に工業的な生産はしているという。やっぱりダメらしいんだが、まぁいくらでもあるんでいろいろ実験してたら、ゼリーじゃなくてフルーチェ状になった。課題は磯臭さ。

 海苔。

えーと、日本ではいい海苔になるノリがとれるからいい海苔ができる(禅問答)んだが、いい海苔になるノリがとれなくてもよくない海苔ならできるだろうってことで、実験開始。

が、1回目(上の写真)は失敗。天日で干したら「何かが網に薄くこびりついてるだけ」になってしまった。というか、こびりついてるだけじゃなくて、洗っても取れず網をダメにした。よく考えたら当たり前なんだが、干し始めがこの状態では、乾燥したらほとんどなくなってしまう。

ここで諦めず、こんなに粘り気が出ないノリとかいろいろやってみるつもり。あの日本の海苔じゃなくても、何か板状の食材になればおにぎりには巻くぐらいできるからな。

 その自由研究の敵。

敵と言っては失礼である。前に記事に書いたサルガソ清掃部隊。うちの村あたりだとカンクンほど流れつかないんだがとにかく嫌われているので、嫌がってメリダから人が来ない(稼ぎどきに稼げない)ようなことにならないために市が清掃する。

清掃は、市の職員じゃなくて村の人がする。朝村役場へ行くといろんな作業プランがあり、好きなのを選んで参加する。役場まで行けばなんか日雇い仕事があるという、山谷みたいな感じ。

こういうグループも来るしメリダから来る人もめちゃくちゃ増えて、昔みたいにいつ行っても貸切状態!というわけにはいかなくなった。とても悲しい。が、ひとついいことがあって、このへんの人は波が嫌いなようで、ほんの30センチくらいの高さでさーっといなくなる。

 こんな波。

そもそも海で遊ぶ(彼らが使う言葉は「ビーチに行く」)と言っても、凪いでいるときに浅いところで風呂みたいに浸かって延々とおしゃべりしてるってのがほとんどである。子供でさえ、泳ぐどころかキャーキャー遊びもしない。貝も掘らない。城も作らないw。親は心配して、膝くらいまでの深さのところまで「入らせて」終わり。もう少し年長になると、浮き輪とかビニールカヌーとかで、波打ち際5メートルくらいのところでずっと浮かんでいる。ちなみに遠浅。(そのくせ、ジェットスキーなんかには憧れている)

何が楽しいのか理解に苦しむ。泳げる人が少ないのもあるが、そもそも遊ばないから泳げないのではなかろうか。

 


近所の火事など

2021年05月25日 | メキシコ 日常生活

子供の自由研究から少し離れて、最近の出来事など。

 火事があった。

プログレソから隣村まで行く道の向こうで火事があった。先週から雨季に突入したが、10日くらい前にはカラッカラに乾燥していて、多分刈った草を燃やしてたのが広がってしまったんだと思う。

現政権はエコ志向で、ゴミの野焼き禁止条例を作ったんだが、剪定ゴミも燃やしちゃダメになった。不便でたまらないし、手軽に燃やせない(日本でいう粗大ゴミ的な手間がかかる)ので、剪定自体することが減り、そうすると木が伸び放題になってゴミを捨てる輩も増える。その結果、手に負えなくなった地主が重機を入れて木も草もお構いなしにガーッと片付けるようになり、結局はエコどころかハゲ更地ができるという、本末転倒な条例である。

で、なんか煙たかったので「あれ?こんな昼間に誰か燃やしてるのか?(エコ警察が来るのに)」と思ったら、野焼きじゃなくて火事だった。いや、原因は多分野焼き。

この辺には消火栓などないので、消防タンクローリー(上の写真で赤く見える車)が一台来た。火を消しとめるというより、延焼防止で周りの草を湿らせる程度。何十メートルも離れてブロック造の家がある程度の過疎ぐあいなので、建物延焼のリスクは皆無、草さえ燃えなければ何の危険もない。

 小道で渋滞。

燃える危険はないが、煙で前が見えないので隣村まで行く道が通行止めになった。それで普段はひっそりしている小道に車が迂回してきて渋滞。うちの前の行き止まりの道にも入ってきて団子になってたので、出てって交通整理した。

 

昨年は国勢調査の年だったんだが調査中にユカタンにもコロナが来て、そういえばどうなったかな?と思って国立統計地理情報院のサイトを見に行ったら、ちゃんと統計が出ていた。うちは、プログレソから帰ってくる途中、ユニフォームを着た人を見かけて「ああ、今日調査票持ってくるんだな」と思ってたけど、今思えば来なかった。

 ユカタン州に住む外人の数。

上位5カ国なのか、その他大勢の数字が大きすぎて判断に迷うが、とにかく日本も入ってて、去年の時点でユカタン州には37人の日本人が住んでるそうです。何年か前に日本の外務省で把握している数字を調べたら60人ちょっといたんで、メキシコの統計には漏れがあると思われる。現に我々は入ってない(調査されてない)し。

あと、プログレソ市にはカナダ人がすごく多いと言われているが、ノイジーな数人の存在感が多いだけなのか、5カ国に入ってないのが不思議である。どうでもいいけど。

 先住民族の言語を話す人の数。

メキシコには先住民族の言語が60くらいあるそうで、我がユカタン州(yuc)のはマヤ語。田舎に行くと両親祖父母世代はマヤ語を話す家庭も多い。かじる程度だが、小学校でも教えている。この表は、貧困世帯の数ともある程度一致していて、メキシコの課題…的に語られることが多い。

こういう統計は見ていて面白い。ちなみに移住者がめちゃくちゃ増えている体感どおり、実際も増えていた。が、ユカタン州だけでなく全体的に増えている。危ないとかああとか言われるけど、やっぱりみんな暖かいところところに住みたいんだよ。

 

 メリダの交通標識。

よくご覧ください。この先セントロ(中心部・歴史的地区)の標識の下に、バーガーキング。こういう私企業の看板?が結構ある。まあ、目印だと言われればそうだが、しょっちゅうつぶれたり引っ越したりするのに、無駄にならないんだろうか。ただでさえ走り慣れない道路なのに余計な情報が目に入ってくるもんだから、免許取り立ての頃は本当に閉口した。

 

 村の水屋(飲料水を売っている店)の注意喚起張り紙。

大きいヤシの木をピンクに塗って目立つようにしている店で、ヤシの木なんでヤシの実が付いている。落ちてくるから真下に車止めるなという意味です。

メキシコでは水道水は飲めない。飲料水は、都会はデリバリーサービスが多いが、村ではみんな大きなボトルを持って買いに行く。来た当時はデリバリーだろうが何だろうが面倒だったが、もう慣れた。どっちかというと、うどんとか大量の水で茹でたいときにケチりたくなるのがたまにきず。

 

  夜、猫が遊んでいた虫。

体の側面に発光する部分があって、目が光ってるように見える。コードギアスみたいでかっこいい。調べたら、ヒカリコメツキというらしい。確かに、猫に追いかけられてコメツキムシみたいに跳ねていた。


死者の日のピブ

2020年11月03日 | ユカタン諸々

映画「リメンバー・ミー」のおかげで日本でも知名度が上がったらしい、メキシコのお盆・死者の日(リンク先は2017年の村の)がやってきた。

死者のパンというほのかなオレンジ味のパンなどは共通しているが、ユカタン地方独特の食べ物に、ピブがある。簡単にいうと、トウモウロコシ粉で作った生地に肉や野菜を入れて焼いたもの。おそらくこの説明から連想される料理はいくらでもあるので、これを読んで想像してください。

とにかくそのピブは、日本のおせちと同じく、もう食べないという人や、どこかで買うという人や、焼くには焼くがオーブンで…という人などいろいろいる。メキシコへ来て4回目(正確には5回目だが、初年は到着してすぐで存在を知らなかった)にして、本来の作り方である、焼いた石と一緒に地中に埋めて焼いて作る工程を見学する機会を得た。その記録。

というか、前から見たいと思っていて、先週、誰かしないか聞こうと村役場へ行ったら、ちょうど来た女性がうちでするというので、見に行った。朝5時からと言われて5時20分に行った(メキシコでは「何時からと言われたら一時間以上経ってから行くのが普通」だが、念のため早めに)ら、この時期はまだ暗く、裏庭の電球が切れたので6時からと言われた。

 

   穴を掘る。

この一家の玄関先。年配男性が指示を出し、ときにやって見せながら、その子供世代が作業する。

   肉と野菜と生地。

その間、女性陣がピブそのものを作る。鶏肉と豚肉(ユカタンには美味しくて安い牛肉はない)。トマト、玉ねぎ、チリ唐辛子2種、エバソテ(日本ではアリタソウというらしい)と、クローブなどの香辛料。生地は、トウモロコシ粉。タコスでも何でもこの粉で作る。日本にあるやつとちがって、ここのは白いトウモロコシ。

 エパソテ。

 包むのに使うバナナの葉の準備。

大きい葉っぱをきれいに拭いて、左右二枚に分けて筋を取り、さらに大中小の幅になるように切る。

 

  

ブロックで湿った地面部分との境を作り、掘った穴にトタンみたいな板を敷いて、次に薪、その上に石。全部その辺にあるもの。今年はハリケーンも来たしここんとこ天気が悪いので、地面も薪も湿ってて材料集めが例年より大変だった。

 左側の橙色の壁の家。

この家は村の中心部にあって、うちのあたりほど木が生えてない。共同ゴミ集積所が閉鎖されてから剪定ゴミの処分で困っていた(以前はかまどで燃やしていた。野焼き禁止条例を受けてゴミ収集が始まったが、剪定ゴミの量が半端ない。でも別料金を払いたくない)が、今度から大きいのは取っておくことにした。

   生地。

ラードにアチオテというユカタンの調味料を入れて、熱して溶かす。これをトウモロコシ粉に混ぜる。パンみたいにこねるわけじゃないが、量が多いので大変そう。このアチオテ、日本でいう固形ブイヨンみたいな粉末を固めたものが売られていて、それしか知らなかったが、メルカード(市場)で売ってる黒い粒がそれだと判明した。粒ごとラードに入れて煮る。

  

そのアチオテを苦いオレンジの果汁に溶かしたものにコンソメとこしょう(たっぷり)を入れて、肉を漬ける。この方法で漬けた肉を焼いたものが、ユカタン料理として有名なコチニータ。

 

  

石の入れ方は、長老格がチェック。薪が燃えて石が熱くなり、薪が燃え落ちると石が穴に収まるという仕組み。

 シュロの葉の準備

バナナの葉で包んだものをさらにシュロの葉で包む。まず軽く炙って、葉の付け根を削って綺麗にして、2枚取って端っこの葉同士を結ぶ。

 本体と蓋部分の生地の計量。

  いよいよ成形。

シュロ、バナナの葉の筋、バナナの葉の順で敷いて、そこに生地を広げ、縁を立ち上げてお盆みたいにする。

    

肉と野菜を入れる。

  最後に肉のつけ汁をかけて蓋。

蓋の生地はくっつかないようビニールの上に広げておいて、詰め終わったら上から載せる。端をくっつけて形を整える。

  

バナナの葉をバナナの葉の筋で作った紐で閉じて、二枚組にしたシュロの葉でさらに包む。自分たちが食べる分だけじゃなくて、希望者に売る予約販売をするので、我々の分も合わせて21個。

 

 石も焼けて、包んだものも完成。

 石の上にトタン板を乗せて、シュロの葉を敷く。

   

ここからは、石の温度が下がらないように急ぐ。ユカタンでは滅多に目にしない、手早い作業w。シュロの葉の水分が蒸発して湯気が上がってくるところへ、包んだものを投入。上にトタンを乗せて、隙間を掘って出た土(この辺ではほぼ砂)で埋める。

  石の上にも薪など

今年は湿った地面によって熱を奪われて生焼けになるのを避けるため、念入りに薪を積んでいた。が、何しろ乾いた枝や丸太が足りないため、アスファルトの波板やヤシの葉も積んで火を付ける。

 

  2時間後、焼きあがる!

熱いから、出すのも大変。

   こんなの。

 まずは日本でいう盆棚にお供え。

話しかけることが大切なんだそうで、誰それさん、降りてらっしゃい、ピブ焼けましたよ、どうぞ…と、祭壇に向かって話しかける。

 ピブが焼ける前の祭壇。

一家はカトリックなので、マヤ文化バリバリの盆棚とはちょっと違う。

 

というわけで、念願の地中焼き(スペイン語でエンテラーダ、マヤ語でピビル)を見学することができた。ここからは、おまけ画像。

 一家の荷物運搬車。

1台のバイクをハンドル・前輪と、エンジン・モーター・後輪、に分解して、鉄製の枠で荷台、そこへプラスチックの椅子を乗せて座席部分も作り、荷台の片側へエンジン、もう片側へ別のタイヤをつけてある。究極の部品取り&改造。

 朝ごはんのコチニータ・タコス。

 死者の日のお供えの一部「甘いもの」。


ハリケーン再び、とさらにもう1個

2020年10月27日 | ユカタン諸々

正確にはハリケーンの前にトルメンタ(嵐)というランクがあって、勢力を増すとトルメンタがハリケーンと呼ばれるようになる。感覚的には、日本での熱帯低気圧と台風の分け目より強くなってからしか、ハリケーンと呼ばない感じ。インフラが脆弱だし、ヤシの木ってのはグイングインと揺れてビジュアル効果が高いため、ハリケーンより弱いはずのトルメンタで、結構不安になる。被害も出る。

前回と同様、ユカタンでの大きな被害は水害だった。えーと、カンクンがある隣の州はカリブ海に面していて、到達時にちょうどハリケーン(デルタ)の勢力が高まっちゃったんで、国際ニュースで出たかも。

ユカタンの悲劇は、そのデルタの前のガンマという嵐でもう十分な降雨量があり、泣き面にスズメ蜂だったこと。注目を浴びたカンクンを通り過ぎたあと、勢力は弱まったがメキシコ湾に出てたっぷり水を吸って半島に戻ってきたこと。向かってくるときも荒天、東から北へ去っていくときも荒天というルート。

どういう状態だったかは、世界中の「ヤシが生えてる南の島」に台風などが来たときと変わらない。自分の動画を貼り付けられないので想像してください。

 ガラス飛散防止。

ここは紙が高く、宅配も日本の足元にも及ばない(梱包や配送のクオリティ)のであまり利用しないもんだから、余計な段ボールってものがない。家が無駄にでかくて窓も多いし。しょうがないのでテープ。

直撃前に知事やら市長やらが「窓ガラスにバッテンにテープを貼れ」と発言したもんだから、ユカタン半島全域で防災のうちそれだけは皆しっかりやっていた。というか、前日からそれらの投稿を見た知人たちからバッテンに貼れバッテンに貼れとやたらに連絡が来てうるさかった。

うちはそういうことはもちろん知ってて、ダクトテープと称して売られていたテープも買ってあったんだが、なんとこいつの接着力が何か別の工作用テープ?と思うほど弱く、そのくせ自分たちでくっつき合って扱いづらいという最悪なテープだった。なので、すごいテキトーなことに。まあ、破損防止じゃないんだからいいか。ただ、日本人の誇りを込めて米スタイルで貼りたかったよ。

  我が家の庭

前回のクリストバルのときは、近所のあちこちでこういう状態が発生したものの、うちは例の地下貯水タンク内までしか水位は上がらなかった。そのときから完全には下がりきってなかったようで、今回はうちもこのように。当然、メリダや各地の村々もうちの村も水没。

 ラグーンにピンクのフラミンゴ

メリダ − プログレソ間自動車道からうちの村へ向かってそれるバイパスは、海岸線から1キロ弱離れた位置にでーんと伸びるラグーンを横切っている。そこ。高潮で水辺が増えて、普段はもっと道路や村から遠いとこにいるのに、すぐ近くまで遊びに来ていた。

 プログレソでは、道路を横断していたらしい。

ハリケーンが去った後は、ユカタン州のあちこちで断続的な停電となった。電気公社が直しに来ない(手が足りない)とか、洪水状態の道に倒木が電線もろとも浸かり、そういうこと専用の官庁が来るまで電気公社が直せないとか。直した後で原因不明の…とか。うちは幸い、暴風域に入っていた数時間以外は、普通に復旧した。あ、電気だけじゃなくてネットも当然止まっていた。

   村の臨時簡易診療所。

いつも世話になっている診療所の停電が長引き、新興宗教の教会かなんかに設置された。いつも診療所には小さい子を連れた若いお母さんとおばさんと妊婦しかいないんだが、なぜかおじいさんたちもちらほら。(おじいさんったって、こっちより若いかも)

…と先週ここまで書いていて、またしてもハリケーンが来た。先ほど(日本時間で28日の朝早く)うちのあたりを通過してメキシコ湾へ出た。今回はユカタン半島を横断したので勢力が弱まったため、まあそこそこの強さ。カリブ海から直撃される隣の州は大変だったらしい。

ただ、名前がクリストバル、ガンマ、デルタときて今回はZETAである。メキシコにはそういう名前の麻薬カルテルがあるので、語感だけならだんだん強くなるって感じで非常に嫌であった。


死者の日

2017年10月31日 | ユカタン諸々

メキシコで最も重要な伝統行事のひとつで、日本でいうお盆。11月1日に子供の魂が帰ってきて、2日は大人が帰ってくる。

確か、世界遺産になっている(メキシコは本当にこれが好き。そんなことよりゴミや道路の瓦礫を減らしたほうが観光産業は潤うと思う)。

我々は2年前の10月末に移住してきて、そのときは何もわからず身動きも取れず。去年はメリダの借家の契約期間(1年)が終わってここへ引っ越してきたのがやはりこの時期で、バタバタしていつのまにか終わっていた。

さあ、ことしこそ自慢の死者の日を見物するぞ!と張り切ってたんだが、わざわざメリダまで出かけて行くのも面倒だと思ってたら、うまい具合にチェレム村でも何かイベントをするという。例によって、村役場がFBで宣伝していた。

ちなみに各州でお土地柄が出るそうで、メキシコシティのは直近の007に出てきたんでしたね。だいたいこんな感じで、極彩メキシコの明るいお盆!みたいに紹介されるんじゃなかろうか。ガイコツ装束でのパレードがあって、オフレンダという祭壇飾りを競い合う。

 

 夜7時半頃。広場に村人が集まってくる。

 村の共同墓地を出発した骸骨パレード到着。

みんな子供だが、見物客の大人の中にも、ちょろちょろと骸骨メイクの人がいる。

 

 祭りだというのに暗い。さすがチェレム村。

 ちびっ子のダンス。

ユカタンの民族舞踊。ゆるいタップみたいなステップを踏みながら、手に持ったハンカチみたいな布を振って踊る。メリダでは自慢の民族舞踊お姉さんプロ達がガイコツ化粧で踊ったそうだが、ここはカワイイちびっ子たち。手古舞みたいなもん。

 

 ひどいピンボケ。

えー、祭壇を撮ってもいいか?と尋ねたら、お姉ちゃんたちが一斉にポーズを作ったので笑ってしまったため。もう1枚撮っときゃよかった。残念。

神輿小屋の小さいのみたい。屋根は採ったばかりのヤシの葉。他の州の写真と比べて、けっこう渋い感じで、日本の仏壇っぽい。

で、このイベントは村人が参加できるように29日(日)の開催で、明日明後日は家でお盆をするんだと思う。このときだけの料理もあって、死者のパンというのは全国共通。バターたっぷりな割にふわふわタイプで、ほのかにオレンジの味がして美味しい。

あと、ピブというユカタン独自のメニューがある。こちらはおそらく、日本でいうおせち料理みたいな存在で、基本は各家庭で作るものの、手間がかかるので買う人もいる。ただし、日本みたいにデパートや料亭で予約…みたいのはなくて、料理が得意な個人が「作るよー!」と宣伝してるのを探して直接注文するらしい。プログレソで見つけたんだが、家で作るので当然のことながら店舗を構えているわけではなく、全部配達で、チェレムまでは来ないとのこと、残念。


2017年05月14日 | ユカタン諸々

またしても両親の渡墨にて、その準備とアテンドのため、更新ままならず。もう数回目なので大した準備はないんだが、猫のために使っていた客間を空けたり(床掃除・臭い消し含む)、カーテンをつけたり、窓&網戸をキレイにしたりと、結構バタバタした。

網戸は、網というより手作りならではの隙間にこびりついた砂の掃除。窓はたまにキレイにしてるんだが、前の週に嵐があったため、これまた砂埃がこびりついて掃除。

その嵐、なんと最大瞬間風速26メートルを超える猛烈な嵐で、かつ雨が一滴も降らない、日本人にはなんとも馴染みのない嵐であった。ユカタン名物トゥルボナダという。そして、トゥルボナダ(嵐)のうち5月上旬に来るものを、コルデナソという。聖なんとかという人が鞭でなんとか…という昔話が語源だそうで(要はよくわからない)、ここは年中聖なんとかの日というのがあるので、嵐が来た日の聖人名をつけて呼ぶ。今年のは、コルデナソ・デ・サンタ・クルスという。こんなの

夕方犬の散歩に行って、海の様子がいつもと違うからとっとと帰ろう…なんて話しながら早歩きで帰ってきたら、家の中に入った途端、猛烈な風が吹き始めた。空も暗くなってきたんだが、結局雨はパラパラのパ…くらいしか降らず、ただ窓の外ではヤシの木がゴーゴーと揺れていて、東南アジアのどこかの島に大型台風上陸みたいな状態になった。

そして、お決まりの停電。ヘッドランプとロウソクを出して、今回のはすぐには復旧しないだろうということで冷凍庫の開閉禁止、冷蔵庫も必要最低限、夕飯は常温のものでテキトーに済ます。

風が少々収まって屋根から近所を見渡すと、玄関の電気が付いているところがある(防犯のため、ドアの上の裸電球を留守中つけておく。留守だと言ってるようなもんだと思う)。地域の停電なら待てばいいんだが、うちだけとなると何か行動を起こさなければならないと思って、ちょっと外へ出てみた。近所のお兄ちゃんとすれ違ったので聞いてみたら、町中停電していると言う。あちこちの玄関の電気は?とたずねたら、みんなソーラーだと言う。

へー、そんなにソーラーシステムに頼ってたんだ。そりゃ、これだけ天気が良ければ、太陽光を利用しない手はない。どうせロクな品質じゃないだろと思って電源としては検討もしなかったんだが、確かに非常灯くらいなら大いに役立つであろう。

翌朝、犬には関係ないのでいつも通り散歩に行くと、東南アジアのどこかの島に上陸した大型台風の被害が半端ないみたいな状態で、ヤシの葉やゴミや建設資材が吹き飛ばされていて、ビーチも木の葉や小枝や打ち上げられた海藻で、すごいことになっていた。

そして、お決まりのなーんも気にしてない村民。ちなみにちったぁ都会のメリダでは、信号機が倒れる/街路樹が倒れて車下敷き/ショッピングセンターの大ガラス割れる…などの被害があり、小都会的な騒ぎになっていた。

そして! 翌日も停電は続き、浄水タンクへの給水ポンプが止まったままなので「こりゃ断水時の不便さ再び…か?」と思って心積もりしていたら、そのまた翌日(嵐の二日後)、近所の人が「公社に連絡しないと電気来ない」と教えてくれた。知らなかった。順に復旧するもんだと思っていた。電話したら、切った30秒後についた。

 

 玄関アプローチ。

風で地表の砂が飛ばされて、いろんなところがハゲチョロになった。もちろん、逆に砂山になったところもある。玄関だけはそのままではカッコ悪いので、改めて石灰と小砂利を敷いた。


ヤシの実ジュース

2017年02月20日 | 設備/外構/庭

<最近の作業>

① 庭(というか外構)
② 洗濯場の外


チェレムには似たような白い犬がたくさんいる。毎日散歩に来るときは、だいたい3〜5匹くらいのグループになっている。それら全部を(みんな似てるんで)、ナタリーと呼んでいる。


以前、借家で育てていたパパイヤとマンゴーとアボカドを地植えしたら、翌朝には若芽が齧られていた。我々は最初、犬の仕業だと思った。Lさんの奥さんは蟻だと言い、植物に詳しいLさんの奥さんのお母さんはイグアナだと言った。

新居祝いにお隣さんがくれたバナナを植えたら、しばらくのあいだはしょんぼりしていたが、1週間くらい経って根がついて元気になり、新しい葉っぱが出てきたところをまたやられた。


 齧られる前のバナナ(3日ほど前)。

 今朝。

 ナタリー(のうちの一匹)。

慌ててブロックで囲み、本日見てみたところ、被害はなかったが周囲に犬の足跡がたくさんついていた。やっぱりナタリーの仕業だった。

 

 洗濯場の外、完成。

この丸いのは、工事中に混ぜたモルタルがバケツの底で固まってしまったもの。その辺に転がっていたのをかわいいから取っておいた。ここはビーチから帰ってきたときの外シャワーになるので、ちょうどいい。

 

 ヤシの実。

冬が終わって、賃貸用のビーチハウスの庭掃除や自分の別荘の大掃除に来たりする人が増えてきた。お向かいさんも昨日久しぶりに来て、床を水で洗ったり天井のスス払いをしたり電灯を付け替えたりしていた。お向かいさんちには大きなヤシの木があり、ずいぶん収穫したらしく、5個もくれた。デカイ、重い。

マチェーテだと危ないし大変なので、電動ドリルで穴を開けて、ジュースを飲む。ここでは、ヤシの実ジュース(jugo de coco)とは果実ごとミキサーにかけて甘くした乳白色の飲み物のことで、実の中の汁をそのまま飲むのはヤシの実の水(agua de coco)という。氷を入れるとさっぱりしていて美味しい。

ちなみにナタデココっちゅうのは nata de coco というスペイン語で、ナタとは乳に張った膜のことで、ヤシの実の内部にできるゼリー状のもののことをいう。知ってました、奥さん? あたしゃ知らんかった。


本場のタコス

2016年10月06日 | 新築

<本日の工事>

① 2階内壁の下地第2弾・3弾
② 巾木(続き)
③ ペンキ塗り(続き)
④ 電気配線


 Lさんとコビーさん(水道工事)と親方で確認作業。

借家のシャワーは固定式で、水質のせいでシャワーヘッド内にミネラルがこびりついて、すぐにいくつかの穴から水が出なくなる。あと掃除のことを考えて、ホースの先にシャワーヘッドが付いているタイプにした。スペイン語で「テレフォノ」という。意味は電話。

 その後、親方は巾木の続き。

 マヤさんとホセ君と柳沢くんで2階の壁のペチペチ。

マヤさんが立っているのが、階段の吹き抜け部分。1階の床からだと結構な高さになる。


 昼頃のテラスの風景。

新マヤさんがいるときは、村に買いに行かずに新マヤさんが料理する。本日は、鶏肉のタコス。・・・というか、鶏肉と野菜をエスパニョールという名の調味料その他で煮込んだものがおかずで、トルティーヤで食べる。とにかく、本場のタコスは日本で出てくるものとはまったく違う。日本のは、米国経由のテックスメックス(テキサスメキシコ)と呼ばれる、なんちゃってタコス。本場のはマジで美味しいですよ、奥さん。

新マヤさんの腕もいいんだが、ブロックと鉄筋で作ったBBQ台で、我々が伐採した木を薪にするってのが大きな違いを生んでいる。お気に入りのトルタ屋もそうだし、炭火焼なんかが美味しいのと一緒ですね。

 午後、弟くんはペンキ塗りの続き。

 コビーさんは電気の配線。


 本日の間違い探し。

ようやく残っていた大きな根っこをすべて退治して凸凹になっていた地面を均したので、畑の土つくりに着手。土つくりといっても、もともとジャングルだったところなので、ちょっと掘ると腐葉土混じりの砂になる。とりあえずは混ざっている砂利を除去する程度で、今後生ゴミを捨てたりして畑らしい土にしていく。

植えるのは、シラントロ(パクチー)やメキシコパセリ、ハバネロ、ハラペーニョなど。畑の外に、アボカドとマンゴーとパパイヤの木。

 その他に、マヤさんがとっておいてくれたココナツも。

 パルマ。おそらくパームヤシ。

2枚上の写真に写っているホリデーハウスのオーナー夫婦が久しぶりに来ていて、プレゼントだと言ってくれた。これは庭ではなく、玄関側に植える予定。