














えー、身内は当然知ってましたが、日本へ一時帰国しておりました。実に9年ぶりの日本だったが、今はインターネットのおかげで浦島太郎感はほとんどなし。ネットで見聞きしてたことを「ああ、こういうことか」とダイレクトに感じた程度だった。
さて、留守中に相棒に完了しておいてもらいたかったことがいくつかあって、相変わらず自分がやりたいことを優先していたため終わってなかったことのうちの1つ。デカすぎる木を切り倒す、あるいは天辺を切ってこれ以上伸びないようにする。隣のマリアに何人か業者を紹介してもらったんだが、誰も来なかったため。下見に来たときにはいついつ来ると言ってたので何が気に入らないのか分からないが、バックレられていた。今回はマリアが持っている果樹園で働いてもらってる人の仕事が終わるというので、続けてうちに来てもらえることになった。3人組。
1人がビーサンのままスイスイ登って、まずはマチェーテで枝を払う。
1本は3mくらいの丸太(電信柱状態)にしてもらい、もう1本はいろいろ密集しているので根元から切り倒してもらった。
こちらもデカイ。この木は切り倒して栽培用品種を植えろという意見もあったが、たくさん実をつけるまで年数かかるし、自分たちが食べる分には何でもいいんで、せっかくの大木を残すことにした。ただし、高すぎるので4mくらいの高さで切ってもらう。
葉っぱのついた枝がどっさり。これで低いところでたくさん身をつけるようになり、わたしのもぎ棒で簡単に取れるようになる。
これもヒョロ〜っと高いし落ち葉がいっぱい落ちるし、何よりこんな広い敷地なのに車で外出するときバックで道まで出なければならず、非常に邪魔な木であった。この高さまでビーサンで登って、重い電ノコを使うのすごい。
そのあとは、親方たちがやったように根元で切り倒すんだが、枝を先に払うのといい、3人だけで思った方向へピッタリ倒すのといい、とてもプロフェッショナルな仕事であった。当たり前。
ウアノとスギと何だか分からない木が3本、根元からひっついてそれぞれ大木に育ち、かついつだか知らないが近くで物を燃やした影響でスギの低いところがうろになっているという厄介者である。これは見た全員が、ハリケーンの襲来を心配したという代物。
こちらも、雨季にも関わらず何とか生き延びた(ジャングルに戻らなかった)遊歩道の伸びる方向へピタリと切り倒した。
あとは、葉っぱがついた小さめの枝・ふだん使い用の細い薪・ピビル用の太い薪・板に加工するための大きな木材の状態に分け、別々に搬出した。葉っぱは牛の餌になるなど、それぞれに売り先がある。ピビル用の薪は、死者の日が近づいてこれからピブを焼く人が増えるので、値段も上がりつつある。いい仕事をしてもらえるなら、より彼らの現金収入が多くなるように、この時期に仕事を頼むのがいいかもしれない。
板になる部分の丸太が太すぎるのでスライスしたときに出たおがくずと、切り倒す時に取れた葉っぱは、これから我々が掃除する。もうハリケーンシーズンは終わりに近いが、とにかく懸案事項がひとつ片付いてホッとした。
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実は、買い物もいろいろ片付けることもスイスイと捗る東京の真ん中の非常に便利なところに2ヶ月強滞在し、メキシコの田舎の州のそのまた田舎のちっぽけな村に帰ってくるんで多少の不安はあった。のどかなのは好きだが、要領を得なかったり諸事遅れてたり汚かったり…。嫌に感じたらどうしようと考えなくもなかった。が、帰ってきてみたら東京とはあまりにも別世界で、ぜーんぜん気にならないのであった。よかった。
トルティーヤをロール状に丸めて揚げたものにトマトサルサやチーズなどをかけるスナック。ユカタンにしかないらしい。我が家では、このサルサをかける前のロールを、三角のトスターダの代わりに使う。
まだ若いからだと思うが、いつも雌鶏に逃げられている。この鮮やかな外見にも関わらず、さっぱりモテない。外見だけじゃなく鳴き声も、我々には馴染みのあるコケコッコー。よく聞いてると、コッケコケーとかコグェーとかコケーッグォーとか色々で、文字通りコケコッコーなのは非常に微笑ましい。が、モテない。
続きまして、犬の自由エリアの塀。道から覗く人など村の住民に「あの家は敷地内で犬を放し飼いしている」と思わせられるようにする。別に門でも作って敷地中どこでもOKにしてもいいんだが、ヒルベルトんちとの間も囲わなければならないのと、犬が苦手な人も庭に好きに散策できるエリアがあったほうがいいので、最終的にこうなった。
この石垣は道から30メートルほどのところにあるので、道からは犬が行けないエリアがあるなんてことは分からない。あ、防犯のためです。
その手前(家の脇)には、新築工事中に親方がコンクリを流し込んだ大きなラハが露出している。
石垣と合わせて「ワイルドだけど散らかってない」状態になって、いい感じ。
岩おじさん達に頼んだ塀が全部できたので、最後にメインの石垣とブロック塀の接するところの柱を立ててもらった。親方達がブロック塀を作ったときに残してあった部分。おじさん達は型枠の板を足場とか他のことには使わない。うちのこれみたいな石垣と接するところの柱専用なので、コンクリの表面が非常にきれいだった。型枠を外してから隙間に岩を詰めて完成。
こちらは背が高いので、これまでに紹介したような積んだだけの塀でなく、基礎みたいな造りになる。
こちらもマヤらしい意匠で(遺跡でも見る)、モルタル多めとか、ブロック塀の表面にモルタルを塗ってそこへ石を埋めて飾っただけみたいなの(メリダの豪邸とか)もある。うちは、相棒から任せとけ(=口を出すな)と言われたんで、楽しみにしておく。ついでに言うと、坪庭の中の植栽や照明にも口は出せないらしい、勝手にしろw。
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ウアノは、シュロみたいにどっさり実がついた枝が、実が熟したタイミングだと思うが突然枝ごと落ちる。…というか、シュロの一種? 早く熟した実はその前に粒で落ち、枝が落ちると実が順にバラバラと枝から外れて転がっていく。それらをバタバタして拾えなかったため、ここへ来て敷地中で芽を出している。ウアノは葉が30センチくらいまで伸びるともう引っこ抜くのが大変なので、芽のうちに摘み取ってしまいたいが、この量! 毎日芽を摘んで回るのは大変すぎるんで、来年は絶対に実を拾う。
車で一軒一軒目の前に停まって、こちらが出ていくまで待っててくれる。メリダでは、敷地内に投げ入れて、後は風でどこかへ飛ばされようがお構いなしだった。海辺の村では、そういう配達があったり、なぜかお姉ちゃんが束を抱えて歩いて配ってたとこに遭遇して直接もらったり、役場に取りにいったり、全く別の店か何かが預かり場所になってそこへ行ったり…と目まぐるしく変わった。公社のプログレソ支店まで行って自動支払機で払ってたんだが、途中から請求書の紙がなくても払えるようになった。今はオンラインの人も多いです。
で、うちの村。なんとも親切である。オンラインに弱い年寄りや文字が読めない(携帯は使うけど電話とか音楽聴くとかだけの)人もいるので、請求書を店に持っていけば払えるやり方をキープしている。それも、一軒一軒、確実に手渡し。
しばらく待って留守だと思ったのか、配達人が少し先の家まで進んでたら、15分くらいして出てきた。そこまで歩いて引き返す配達人。どうだろ?うちの村の世帯数って2千くらいだと思うが、何人の配達人がいるんだろう?
とにかく、こないだは黙ってても殺虫剤噴霧車が回ってたし、役場のアナウンス車(プブリモト)もマメだし、何というか至れり尽くせりな村である。
先日書いたようにワサビを効かせて丼にした。前に食べたのより苦味が強かったので、さらし玉ねぎもつけた。玉ねぎだけならパンの方が合う。ワサビは思った通りバッチリ合う。つまり、シシュってのはディープ・マヤの料理だがトルティーヤには合わない味なのだ。
コチニータ・ピビルは、紫玉ねぎを付け合わせるとパン、つまりタコスじゃなくてトルタのほうが合う。肉だけならトルティーヤも合う。ユカタン人は、よく肉だけくるくる巻いて食べている。
ユカタン料理は、なんちゅうかメキシコの中央部や北部の「メキシコらしくて、美味しいタコスになる料理」とは違う。あちらのタコスはタコスとして美味しいが、こちらは日本でいう「どんなおかずでも、まぁご飯で食べる」みたいに「主食=炭水化物」としてトウモロコシを食べている感じ。タコスは売り物で見るだけで、家庭ではトルティーヤでおかずをすくってそのまま口に入れるという食べ方がほとんど。
マヤ人は太古の昔からトウモロコシを主食にしてきたんだが、どんなマヤ料理にも合うかというと実はちょっと疑問だった。が、最近わかってきたのは「トルティーヤ以外の形で摂る」ことも多いということ。もちろんユカタン以外の地域にもとうもろこしを使う料理はいろいろ豊富にあるが、メインの料理と一緒に食べるんだろうか。
先日書いたポソルも、水に溶いて飲むがトウモロコシの生地なんか水に溶けないので、実際はかき混ぜながら3分粥…というか、白く濁った液体は飲んで底に粒々残ったのは食べる。それを、おかずと一緒に食事の一部としてとる。他にも生地にして焼くだけじゃなくて茹でたり蒸したりいろんな食べ方飲み方があって、そうやって摂取している。「メキシコ=タコス」のイメージとずいぶん違う。
マヤの石垣にとても満足して、造ってくれたおじちゃんたちの仕事っぷり(開始時間時間とか支払いに関する会話とか)も気に入ったので、追加の石垣をお願いした。元々造る予定だったんだが、親方チームで苦労したので仕事を見てから発注しようと話していた、ヒルベルトんちとの境界部分。
左がうちで、右がヒルベルトんち。うちのバカ犬がヒルベルトんち経由でどこかに逃げ出さないように…というのが当初の目的だった。他の事情がハッキリしたので、ここに造らなくても構わなくなったんだが、境界はきちんとしておこうという相棒の希望で造ることにした。
実際、ヒルベルト達と、どちらかが土地を売るかもしれないし…という話になったんだが、彼らにとっては特に冗談でもなさそうな表情だった。まぁそのときに造ってもいいんだが…。うちはともかく若い一家なら、その時々で住まいを変えることは当然あるだろう。ただ、今の時点で両家の動線を双方で考えて、石垣はヒルベルトんちの壁のところまで、電気を引く目的で作った道側の臨時境界は道に近い部分を残す。
ヒルベルト一家は前庭と後庭を分けたくなったとき、この石垣を利用できる。
うちも、ここまでにしておけば東側(この壁の脇)が狭っ苦しくならない。つまり、ヒルベルトんちに多少はみ出しながら歩けるwってことなんだが、その代わりというか前々から置いてあるヒルベルトの雇い主のバカでかい機械は、うちの敷地内に置いてあるまま。細かいことはなしw。基本、家の中以外、挨拶しながらお互いいつでも相手の土地に入っていける状態を保つ。
さらに、自分たちで造ろうと思っていたところを追加で発注した。
その「ハッキリした他の事情」なるものの関係に合わせて、犬の自由エリアを確定するため。
残念ながら風呂の外に作る坪庭の囲いは、見積もりが大幅に予算オーバーだったので、おじちゃん達には頼まず当初の予定通り相棒が少しずつ造ることにした。
そのための岩を搬入できるよう、移動する。
砂利はいろんな場所で利用できるので、位置には困らない。重いけどw。
うちの敷地は隣のマリアの亡きお婆さんのもので(相続の関係でまだ売買契約が完了してない)、当然、マリアの家との境界には電気を引くためにつけた臨時の柵以外何もない。隣のゴミ屋敷との間にあった低いボロボロの石垣は、すっきり高めのブロック塀にした。あと、前の道との境にも、ずーっと前から放ってあったというボロボロの石垣がある。
今回、これを新しく積み直してもらった。
亡きお婆さんは今のマリアの家側に住んでいたのか、うち側は植物が植わってただけだったのか、元は道に沿ってずっと続いていた。それを、建設資材を搬入するために我が家の入り口になるところだけ壊してあった。どう壊したかはお察しのとおり、テキトーに岩を落としただけ。
ちなみにこういうマヤの石垣をアルバラダという。畑の境界などは高さ70センチくらいの低いものもある。メリダでも古い地区の家はこういう石垣だったけど、今も残っているかは知らない。海辺の村では逆に、マヤっぽいというお洒落理由で採用するガイジンがいる(多くは防犯目的のめちゃ高いブロック塀を好む)。
この辺ではフツーにあって、風化したり壊れたり一部の岩を崩して別のところに使ったりと、うちみたいなボロ塀もある。
この後、マリアんち側から積み直していく。
片方から順に高くしていくのではなくて、一旦離れたところに置いて、間は後から埋めたりもする。
この金槌は、岩をぶっ叩いて砕くためのもので、とてつもなく重い。
入り口のところまで終えた。少し高めになるようにきちんと積み直しているので、当然岩は足りなくなる。本日、オンボロピックアップにて1回目が搬入された。
入り口の逆側、ゴミ屋敷との境界まで。まずは、位置を確定する。こちら側はマリアんち側よりひどい。長年ゴミ屋敷が積んでいたゴミがはみ出していて、角のところはその重さで崩れている(今はブロック塀があるし、うちの影響で、きちんとゴミ出しも始めたw)。おまけに道から内側に少し凹んていてまっすぐになってない。
やたら大きい岩もあって、めちゃくちゃ大変。
1日目2日目と同様、積んでいって、
素晴らしい!
マヤの穴太衆。道側から見て表面に凸凹がなくスッキリ整っているという見映えと、自然のままの形の岩を載せた安定性の、2つのバランスの最適解を見極める。ホント、重い岩を扱う筋力もさることながら、ここの岩を熟知しててすごい。
入り口の部分にはないので全部で20メートルくらいを、2人で3日で完成させた。ちなみに彼らに払ったのが3千ペソで、買った岩が900ペソ。最近ペソの動きが激しくて正確に計算するの意味ないんで、感覚的に「材料工賃合わせて3万2千円くらい」といったところでしょうか。
えー、1週間たちまして、今は新居にいます。が、まだ完全に住める状態じゃないので、邪魔なんでまだ引っ越してない犬猫の世話と、シャワーを浴びるために借家に毎日通ってます。風呂とキッチンができたら奴らを連れてきて、借家の掃除をして、引越完了。
なんでまだこんなことをしているかというと、親方が20日に約束した「あと2日、22日の土曜までに全部終わらせる」が、例によってその通りにならなかったからですねw。ただ、こちらは「2日じゃダメだろ、23日の日曜も来なきゃ無理だろ」と思っていたところ、約束通り終わらなかった翌日曜、他の現場で屋根をかけていた。で、「やっぱり逃げた、あてにならん、もう来なくていい」とブチ切れた。
その前からヒルベルトに引越を手伝ってくれる人の紹介を頼んでいたんだが、24日の月曜にできるとちょうど言ってきたので、決行することにした。ちなみに、海辺の村から来たとき使ったようなきちんとした引越業者でなく、ただのこの辺の村で荷物運びをするおっちゃん達です。フレテという。車も小さいので何往復かすることになるという(全然OK)。
24日の月曜、借家で荷物を積んで新居に行ったら、親方チーム+設備屋が当然のことのような顔で作業をしている。風呂以外の設備とドアの取り付けは、彼ら自身も「しなければならない」作業と認識していたらしい(本当は他にもいろいろ直すところがあるんだが)。前の週の土曜日まで…など、まったく御構い無し。
で、あなたがした約束に合わせて引越日時を決めておいたので、今日は引越が優先だと言ったら、結果的にその日はいろいろ中途半端な仕事をして帰っていった。日中、建築資材屋の掛けを我々だけで行って清算したのも、「ああ、これ以上は延ばせないのか(バラバラといろんな物を買いに行ったりできないのか)、言い方変えればやらんでいいのか、ラッキー」と親方に思わせたんじゃなかろうか。別に関係悪化とかじゃないですよ。我々側の原因としては、マヤ人の認識を予測しきれなかったことがあるが、我々側が悪いわけじゃありません。
そういうわけで、ここ1週間の苦労を連投する。まずは、
【6/22, 24の作業】 風呂の蛇口、湯沸かし器設置、モップシンク、ドアノブ取付
途中、水が出なかったり漏れたりしてガタガタ言ってたが、日本から取り寄せたものに不要な部品も余計な部品もないことは確認済みだと言ったら、最後にはどうにか取り付けていた(もちろん少し曲がっている)。
給水用の管を繋いで、湯沸かし器まで水が来ることは確認したが、ガス管をつなぐパーツがないとかどうとか。結局繋げないでドロン。
コレが曲者だった。午前中に親方が台を作って、午後は設備兼組積工に変わって、完成したかに見えた。が、排水口のために差してあるパイプは、
パイプは差してあるだけで、型枠代わりに使ったタイルに穴が空いてないw。午後の彼は上ばかり作業していたのでそれに気付かず。後で我々で直す。
我々と引越し屋が到着したとき。奥の寝室の2ヶ所を親方とベテラン2人でつけていた。ほら、きれいに付いただろ?と言われて確認したらOKだったが、その後、引越し屋に家具や箱の搬入先を指示している間に付けたドアは、手抜きというか、ちゃんとできてないじゃんというか。海辺の家では塩害でノブが壊れて、相棒が何度か付け替えたんだが、結構大変である。ドア屋に頼めば?と言ったのに自分たちで全部できると言った結果がコレ。玄関脇トイレのドアには、
どうにか閉まるようにごまかしてある。そのためか、ドア枠自体もまっすぐ付いてないし、ノブを付ける穴の位置も一度では決まらなかったらしく傷跡が残っている。おまけに開く向きも指定したのと違ってたので、ここはあとから専門業者に別のドアをつけてもらう。ちょうど別の「言っておいたのに忘れてる」箇所で扉が必要なので、このドアは取り外してそっちに流用する。
こないだ水道局が来たときに付けたパイプが地面から飛び出していたので、モップシンクを作ったあまりのモルタルを打ってもらう。
先日よく分からなかったやり直し(前の記事の最後)。床面タイルの貼り終わりがスロープのコンクリよりタイル厚の分だけ高いので、タイルが壊れないようにモルタルで小さいスロープをつけたと言う。
ここの大工にとって重要なのは、「基礎掘り!基礎造り!ブロック壁!コンクリ屋根!床タイル!内外壁の仕上げ!」のみだとつくづく思う。だから、こうんな「竣工遅れてる!風呂台所ちゃんと終えて施主に引き渡ししなければ!」ってな段階で、こういう細かいことに人員を割く。
考えてみれば、マヤ人はたらいで行水するし調理は薪を使うような人たちなんで、家なんか壁で囲って屋根がついてればOKなのである。親方と初めて会ったとき、メリダやプログレソ方面でも工事をしたことがあると言っていたので、ある程度「今の家」も経験あるかと早合点したのが悪かった。きっと孫請けだったのであろう。
本日は、市の水道が来る日。12月頭に申し込んで、ウェイティング・リストに乗っていた。申し込んだときには2ヶ月後と言われたが、延び延びになって本日。
道具を運ぶトゥクトゥクのお兄ちゃんと、同じくお兄ちゃん3人が来た。現場の若い衆(ほとんど子供)と同じくらいなのでビックリした。配水管は、うち(写真左側)でなく、道を渡ったお向かいさん側を通っているという。
海辺の村では金属管だったが、こちらは水道が整備されたのがもっと最近なのでPVC。さらに、海辺の村では黒ホースで各戸まで引いていたが、やはりそれ用のPVCだった。あちらでは管が破裂して水漏れして、その結果圧が下がって水が来ないなんてことがしょっちゅうだったが、こちらではそんなことはなさそう。
4人のうち2人はアスファルト掘り部隊だったようで、それ用の管を埋めたら帰っていった。
長さは合わないし、固すぎて差せない様子。というか、そのへんを確認してから取水口を開ければこうして手で押さえてなくていいんだがw。
うちの石塀の中まで引いて、とりあえず蛇口をつけた。新しい石塀を作ってから、しっかり固定する。
井戸があるので、実のところ水道はいらない。が、メキシコでは免許の更新とか税務署でのやり取りとか銀行口座開設とか、ときに公的でないものまで、住所を証明する書類が必要で、手っ取り早いのが電気や水道の請求書なのである。それがないと必要書類が2種類になったり、我々の場合わざわざ移民局まで行って一筆書いてもらったりしていたので、それぞれの名前が載っている住所証明をさくっと提出できるように、水道も申し込んだ。
とはいえ、それだけというわけではなく、井戸から配管したり長いホースを伸ばして木に水やりするのは大変なので(敷地の長い方の辺が40m)、道側にも蛇口があれば便利なのである。海辺と同じく、メーターなし。料金は月々300円くらい。
前日までと変わって、最初から掘っていた作業員が来た。正の字が増えて、終わりが見えてきた。
手抜きして挿してあった排水管のルートを変えようとしたら、準備しておいた太い管のすぐ外に、ラハ発見。すでにいろいろ造ってあるため、基礎掘りと違って力任せに砕くことができない。
さらに周囲のモルタルと岩1つを取り除いて、排水管を通す。
直角にならず無理やり繋げたが、何とか完了。
容量が15立米もある(海辺の家のは2立米弱)ので、汲み取りの必要はほとんどない。我々が死んだ後のことは知らない…というくらい。万が一必要になったら、この辺の業者なら何も気にせずどこか壊してホースをぶち込むのであろう。
とにかく足場の悪いところ。ほぼ屋内工事を残すだけになったので、これ以上庭にモルタルや瓦礫を落とされることはないということで、集めて埋め始めた。
雨季が来て結構な雨が降った翌日、庭中にいろんな芽が出ていた。大きな木になるものやつる草などいろいろ。これが全部育ったら本当にジャングルになる。なる前でも厄介なので、目についたらひっこ抜く。
浄化槽のために掘り出している礫岩の中から、黄色い粘土(この記事の真ん中へん)に続き、薄緑色の粘土を発見した。
あと庭には赤い岩も転がってるんだが、そちらは砕いてみないと粘土になるか分からない。でもマヤの陶器に使われてるから、可能性はある。
で、その薄緑。遺物の青・緑系の色はマヤブルーか翡翠(ここ産ではない)が多そうだが、長い年月で欠け落ちたり劣化したりすることもあるだろうから、こういう色の粘土も使ったかもしれない。古代文明はともかく、面白そう。(ただ、どうやって焼く?)
その浄化槽は、残り2立米を掘り始めた。
底で水平方向に穴を広げている。
風呂の外に坪庭を作るのでリクエストしたんだが、それに排水管が刺さっている。
掘り始めに縁を固めたとき、排水管の傾斜を考えて太い管を挿してあった。
掘り出した礫岩で埋まってるので手抜きして立ち上がりを通してあった(勾配が取れない)が、これは手抜き工事なため当然やり直し。
わざわざ大きい岩を砕いてコンクリに混ぜようとしていたので、庭に散らばっている割れたブロックや割れたタイルやセメントが固まったものなどを入れるように指示した。瓦礫が残ったって困るだけなのに、何考えてるんだか…。
先日、切り倒してもらった(この記事の後半)木のあたりに埋まっているゴミを片付けて地面を均してたら、さっそく休憩場所にしていたw。自分達はゴミをポイ捨てするくせに、我々がきれいにしたところへ飲み物休憩や昼ごはんを食べる場所を移動する。まったくw。
前にきれいにしたミニ・セノーテは、きれいな岩肌の大きな穴になってたんだが、知らないうちに「鳥や動物が飲めるように」と作業員が水を入れていた。2日くらい放ってあったんだが、案の定、ボウフラが湧いた。それも大量!
井戸から流れ出る水を見て、所詮たまり水なんで一気に興味を失ってしまっていたのもあるが、ボウフラはとんでもない。工事が終わっても、雨季には防ぎようがない。
いらない岩を入れたかったが、蚊の野郎はほんの小さい水たまりでも卵を産む。土ではつまらないので、岩混じりの砂の砂だけを入れた。ついでに、マヤ仮名で我が家のイニシャル(一文字目)を描いた。
ちなみにマヤ仮名というのは古代のマヤ文字を単純化したもの。マヤ語の勉強を始めたとき、ローマン・アルファベットで a だの á だの a´ だの áa だの tza だの tz´a だの dza だの書くのが非常にうざったく、どうにかならないかと思っていた。実際、マヤ文化好きーなメリダ人の間に起こる「それ間違ってる」や「その語源、違う、別の言葉」といった議論の原因は、彼らは自覚していないが絶対にこの面倒くささにある。
それでとりあえずカタカナで書き始めたんだが、ふと、なんでマヤ文字があるのに仮名を作らないのかと不思議に思った。ランダという宣教師が焚書したせいでマヤ文字は歴史上の過去のものになっている。考古学の範疇。それは分かるが、解読が進んだのだから、西洋のアルファベットを使ってこんな面倒臭い書き方をするより、表音文字くらいリバイバルさせればいいのにと思ったのだ。ほら、漢字から平仮名やカタカナを作ったみたいに。
ある日、マヤ人の友達とその話になって、1人が「いや、マヤ語にも文字がある」と言って上のみたいな káabá とか書き始めたので、「違うそれはマヤ語じゃない、ローマン・アルファベットだ、君たちが侵略だなんだと批判しているスペイン語での表記だ」と言った(ついでにカタカナでマヤ語を書いて、日本語で表記したらこうなるんだと説明した)ら、もう1人が非常に興味を持った。他にも「そういうふうに考えたこともなかったが、確かに」と言う人が数人出てきた。
が、彼らは学校でスペイン語を覚えた母語=マヤ語話者で今では完全なバイリンガルだが、文字セットはローマン・アルファベットしか知らない。マヤ語の専門家でもない。マヤ語は基本的に話すためのもので、何か書くときはマヤ語を使わずスペイン語で書く。人によっては上の黄色いやつみたいになら書ける(逆に言えば、スペイン語を解しないマヤ人は、実質文盲である)。
自分たちにはマヤ仮名というものが分からないからちょっと作ってみてと言われてしまって、ある日本人に協力を求めた。結果、わたしがテキトーに単純化するよりすごいものができた。由緒正しい古代マヤ文字とその決まりに則った、かつ文字セットとしてもとても美しい仮名。
これまでアルファベットで書くことに何の疑問も持たず、日本語の漢字→仮名の知識などまったくない社会への提案なので、すぐに「さあ、使いましょう!」とはならない。少しずつ話を聞いてくれる人を探して、どうか?と聞いていくつもりなんだが、いかんせん家ができて落ち着くまでは身動きが取れない💢。とりあえず、自分ちにだけ書き記したというわけです。