La Ermita の記録

メキシコ隠遁生活の私的記録と報告
 @ユカタン半島。

かわいそうになってきた隣地の現場

2023年06月30日 | 新築

現場というより施主(アメリカ人のおばさん)。

「来週末に引っ越す!」と喜んでいたその週と翌週は、これまでと変わらず作業進まず、件の週末になっても窓や掃き出し窓など入ってなく、設備も終わらず。施主ヘラヘラの現場監督は相変わらずほとんど来なくて、親方は知らんぷりであった。

そのまた翌週である先週、何も進んでなさそうだし設備が来たわけでもないのにどこかのコンクリを壊してる音がしてると思ったら、玄関の床タイルの厚みが特異で、床面の高さ調整のために一旦打った床スラブを壊していたw。

残りの作業員は、うちの隣地のそのまた隣の現場で重い屋根の梁を乗せていた。ラッキーなことに、敷地入り口から苦労せず家の大きな開口部までトラックを入れて、荷台を使って。これは垂直水平とも、ずいぶん楽できたと思う。

  

その翌日、隣地は玄関のタイル貼りの1人を残して、残り全員そのまた隣の一階の天井のコンクリ打ち。以前、地主が小さい家を建てると言っていたので屋根だと思ってたんだが、2階建だったそうで一階の天井(2階の床スラブ)。午後3時ごろには終わって上棟式をやっていた。うちの

ちなみに隣地は、使えない現場監督がメキシコのやり方を知らないガイジンに教えなかったらしく、やらなかった。ただでさえガイジンの施主は煙たがられるのに、それで一気に現場崩壊が加速した感じ。やっぱり士気は大切です。

そして先日、雨季の時期が来たのにからっからだったところへ初めての雨、それも豪雨があり、翌日ふと見たら、壁にシミが見える。

 2階のシャワールームのあたり。

  内部(他の部位)。

設備で散々困っていたところ。右側の写真なんか、シミに鉄筋の錆びの色が出ている。あと、ガラスが入ってないんで雨が直接降り込んだところは、結構広い範囲で仕上げが剥がれ落ちていた。

モルタルにペンキのうちとちがって、今流行りの塗り壁仕上げ。以前、我が家側の外壁の色をどうするかと施主が聞いてきてくれたが、プールも内壁もすべて同じ左官仕事である。

 流行りのスタイル。

薄い肌色っぽいのが、ユカタンの奇跡の建築材料を使ったスタイル(c) 建築雑誌 ArchDaily。金をかけられる(デザインが良くて建築雑誌で紹介されるような)家で使うのが流行っている。ピラミッド建設などでも使われたらしい。伝統的っていうより「古くから貴重な建物に使われていた」奇跡の建材(セメントに混ぜる液体)である。普通のマヤの家では使わないようで、ユカタン人でも知らない人が多い。

流行りなんで不動産情報なんかに載ってるオサレな家で見た人たちも、詳しくは知らない。だから、紛い物の人工モルタルを使われる。色のチョイスが多いし本物より安価なため、よくわかってない建築士が勧めるのである。本物ほどの防水効果(本物は水をはじく)はないし、耐用年数も短い。

我々は、メリダの南にでっかいミニ農園を持っているという別のご近所さんがプールの仕上げに使っている本物を見せてもらって、その違いを知っていた。

 紛い物を使われた隣地。

雨で広い範囲で仕上げが剥がれ落ちた原因。

この写真は建具が一部入った後なんだが、プライバシー確保のためにミラーガラスを使うとこまでは聞いていた。暑くて死ぬんじゃないかと思ったが、案の定、ただのミラーフィルムを貼ったガラス。建具屋は日光を遮ると言っていたが、そんなのたかが知れている。あれだけ大きな開口部なら、断熱必須、できれば遮熱と行きたいが、建具屋も遮熱できるガラスがあること自体知らなかった。

おまけに、なんとマジックミラーじゃなくて内側もミラー、外が見えない。まぁ見えづらい程度だが、うちの絶景を奪っておいて、自分ちからも見えなかったらバカじゃありませんか? 建築士にミラーガラスのサンプルを見せられて、何も考えないまま選んだんだと思われる。

   かつての絶景。

これがきれいに見えず、温室効果で普通の壁に窓がついているよりめちゃくちゃ暑い。もう、バカにするというよりかわいそうになってきた。

同じくかわいそうな勘違いオサレ物件を。

 屋上にプール。

水漏れリスクの話を抜きにしてw。左側はよく高級リゾートホテルなんかで使われている「いい景色に向かって水が落ちるプール」の真似をしている。

 こういうやつ。

ところがウォーターフロントじゃないから目の前に家が建ってて、海(北)に向かって使えなくて、代わりに西側をそうしてある。西側はすぐ隣の敷地である。どんな家が建つのか建ってるのかw。低いのが建っていたとしても、この土地バブル移住激増の時期、うちのように隣地で売買があって完全にブロックされる可能性もある状態。アホ。なんか頭の悪いガイジンが増えてきた。

ーーー

気を取り直して、というかうちは関係ないんで、

 先日の猛暑でニームが狂い咲き。

今は春に咲いた花が実をつけ始めているんだが、2回目の満開。二期作?

  海のぶどうのジュース。

去年シロップをいっぱい作ったんだが、とうとうこれで最後。あと2ヶ月で熟す実がなるので、またいっぱい作る!

 隣地の親方がくれたマンゴー(緑の)。

赤いの(トミー種)と黄色いの(アタウルフォ種)はスーパーで買った。緑のはヒガンテといって、意味は巨大。その名の通りすごく大きいが、親方曰く年寄りの木なんでこんなもんだが、もっと大きくなるらしい。

追熟させて食べる。こんなに大きいのに種は小さめで、果肉がたっぷりだという。味の違いが楽しみ!


灼熱地獄

2023年06月19日 | メキシコ 日常生活

死んでます。先週からメキシコ全土が熱波に襲われていて、海辺のこのへんでさえ40℃を超えている。カリブ海あたりの国々も同様らしい。メリダの体感気温は50℃。風もいつものようには吹かない。というか、当然だが海水温もめちゃくちゃ上がっているらしい。

気温自体は北部の砂漠っぽいところの方が高くて、45℃なんてところもちらほら。本来ならもう雨季の始まりで、昼間は気温が上がるものの午後に雨が降って下がったりするし、もう夜には結構下がる時期なんだが、全土でカラカラだという。

が、ユカタンの悲劇は湿度が高いこと。そりゃ砂漠のカンカン照りも厳しいだろうけど、このへんでは熱い空気が時間とともに止まっている感じ。何が違うのか、なぜか日本みたいに蒸し暑いとは感じないんだが、ほぼ年中暑いところにもう8年近く、たぶん慣れただけ。

 よくあるユカタンジョーク。

普段からこうやって話題にするくらいで、逆に言えばコンクリートジャングルのメリダでなければ、ユカタンの住民は概して暑さに強い。実際、この暑さが始まった先週、ユカタンの中でも特に暑い南部の友達に大丈夫?と聞いたら、暑いの一言もなく「雨、降ったー!」と喜んでいた。その日の気温は40℃を超えていたんだが、人々は雨を心待ちにしていたのである。ところがその後はほとんど降ってないらしく、暑さもひどくなるが、日本でいう田植えの時期でそっちのほうが深刻らしい。

海辺のこの辺りでも、普段のように「今日は珍しく南風だねー」「明日は暑くなるねー」で済まず、その後ずっと暑いまま。連日暑いんで、ブロック造の家そのものが温まってしまった。水圧確保のために屋根の上に上水タンクがあるんだが、朝方でさえ蛇口から湯が出てくる。昼間は熱くてシャワーも浴びられない。家中で冷たいものと言ったら冷凍庫の中身くらい。涼をとろうにも、海まで行く200メートルの間に死にそうだし、政府からは「11時から午後4時の不要不急の外出は避けましょう」なんて注意が回ってくるほどで、コロナ騒ぎの頃のような非常事態である。

この熱波が始まってすぐ、エアコンの使い過ぎが原因でメリダ中で停電した。当然、他州では熱中症による死者も毎日10人前後出ている。通学をやめてオンライン授業に切り替えた学校もあるらしい。

そういうわけで、ほとんど何もせずに家に引きこもり中。

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 丸型のサボテン。

暑さとは関係ない話。隣地の現場のせいで土地の境界近くにあったサボテンパークの柱サボテンが全部ダメになってしまった。施主は買ってきて賠償するとかほざいてたが、この辺の自生のものをコツコツと集めた自慢のサボテンパークである。4角柱から8角柱まで揃えられるとは思えない。少なくとも、開発が進んでこの村の名前の由来になっている種類なんかそもそも売ってない。とりあえず死んでない希少種だけ避難させた。

 キビとポルカン。

ポルカンはキビ以上に珍しいらしく、他州に住んでいる知り合いは誰も知らなかった。詳しいことを書きたいが、暑さでへばってきたのでまたの機会に。


エヒード

2023年06月09日 | ユカタン諸々

前の記事の続きみたいな話なんだが、南部の村々は保守的なユカタンの中でもさらに保守的。頑固という意味でなく、いろんな意味で古い物がとても多い。

まず、メキシコの遺物、エヒード(農業共同体、あるいはそのシステム)について、ここんとこいろいろ学んだので書き留めておく。簡単にいうと、メキシコ革命で大農園解体が行われて、支配層の所有地をそこで従事していた民衆に共同所有させたシステム。

 エヒードの土地の分布。

えーと拡大しないとよくわからないと思いますが水色のところで、上の図で黒く見えるのが小さい水色が密集してるところです。特にユカタンに多いわけではなく、結構メキシコ中に残っている。残ってるんだから遺物とは言えないか、でも政府としては農民は別の決まりで守っていくつもりなんで、エヒード自体は歴史上の出来事の落とし子って感じでしょうか。

 ユカタンではこんな感じ。

拡大図で北西端の近くにある丸い白エリア(エヒードじゃなくて現登記システム)が、メリダ。その他の白か薄緑はジャングルで、誰も住んだり使ったりしていなかったところ。ちなみにジャングルと言っても低木が多いので、東南アジアやアフリカのとずいぶんイメージは違う。遺跡なんかもそういうところにあったり、そういうとこで見つかったりする。あとは国や州の自然保護区。

 うちの村の近く。

少ない(白か薄緑の部分がほとんど)のは別に保護してるわけじゃなくて、湿地で使いようがなかっただけである。幹線道路の海岸側はよく売買されるため、すでに現在の登記システムに変わっている。我が家も来た当時、あまりの安さにエヒードの土地を1カ所検討してやめた。ちなみに最近は開発が進んで、湿地の中でも村に近いところのエヒードはよく売りに出ている。地元の人間は、乾季に草っ原に見えてもあんなとこ住むところじゃないと分かっていて、いくら?とか正確にどこ?などと反応しているのは他国か他州から来た人間だけ。

海岸エリアには大農園などない。農業(畑や牧場)用でなく、漁業(製塩業も)に従事していた村民の居住スペースとして確保された。農業じゃないので、共有する土地で共同作業をして適当に住居が散らばっているわけでなく、漁師の誰それさん一家が住むとこ…という感じでエヒード構成員それぞれに独占使用権みたいなものが設定されている。話を聞く限り、我々が引っ越してくる10年くらい前から、共同所有者で協議して現登記システムに書き換えることが進んだらしい。組織自体を構成員自ら解体したり、独占使用権を持っている人がその土地を現登記システムに変えたいと言ったとき組織としてはそのまま残ってその人だけに許可を出したりして、変わっていく。

現在エヒードのタイプは、この決まり事が一番ゆるい独占使用権型から「ガチガチの共同所有&共用」型まで、4種類に分かれている。場所によっては3種類しか残っていないこともある。

エヒードの土地の売買は、不可能じゃないんだが、メキシコの農業保護のための法律で厳しくて細かいルールが定められている。メキシコの「民衆守る!」は社会主義革命の要ですから、金に明かして…とか無知な民衆を騙くらかして…ってなことが起こらないように、そこんとこは大事に守られているわけです。

それにしてもエヒードの土地は安い。うちの村のあたりで、手頃なサイズでロケーションがいいところが、高くても一般的な市場価格の3分の1くらい。下手すると10分の1なんて値段もある(ちなみにここでは一般的な市場価格の他にガイジン価格というのもあるw)。これらのエヒードは独占使用権型なんだが、売る側からすればめちゃくちゃ安くしないと売れない。

買う側…というか一般的には、「買っても現登記システムに変えるのが大変」と認識されている。まぁマンションの管理組合(集合住宅だと住民の意見がまとまらない問題がある)と同じで、一定数の賛同が得られなかったら却下。つまり、最終的にエヒードの賛同が得られず売買お流れってなリスクは負えないということですね。あとはやはり民衆を守る目的から、構成員の数だけでなく許可する組織や立場の人なども多くて、手続きが煩雑。

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ユカタン南部で土地を探すにあたり(詳しくはまた後日書く)、エヒードの土地がやたら多くて苦労した。古き良きメキシコ人同士では、エヒードの売買は特に珍しいことじゃないのである。さらに、ユカタン南部はガチで農業をしてる地方なので、この「ガチガチの共同所有&共用」型も多く残っている。独占使用権であっても、教育レベル的な問題もあってよく分からず現登記システムと勘違いしていることも多い。見に行ってみたらエヒード…ということも多々あった。

でもユカタンの田舎の農民というか、古き良きユカタンを地で行ってる人たちって、本当にいい人が多い。独占所有権になっていても外国人はエヒードは買えないようになっているので、わざわざ弁護士と話して名義貸しを法的に有効にする方法を調べてきてくれた人たち(同じエヒードの構成員複数)もいた。

山(日本人的には丘)のてっぺんで360度地平線!というすごい土地があった。ある家族が怪我をして8万ペソ(50万円くらい)必要なので、山のてっぺんだけその家族が売ってもいいってことに構成員全員で決めたという。共同体の持ち物なんで土地へのアクセスがなくて(道路に面してない、私道でさえ存在しない)、傾斜25度超えるデカイ岩ゴロゴロの斜面に、構成員を動員して道を作るから買ってくれと言われた。遺跡ですか!スペイン人侵略者でもそんなことしろと言わないんじゃないか!ってな斜面。これだけ売るのに熱心なら大丈夫かも…と思ったが、逆に、家族や元々の構成員に何かあったら新しい約束よりそちらを優先するだろうと思って、つまりいい人たちの集まりならではのリスクってものがあるなぁと思って、申し訳ないが断った。早く買い手が見つかって怪我した家族が治療を受けられたことを願う。

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  チャクムルトゥンという、近くの遺跡。

 雨水を貯めておく洞窟。

世界遺産ウシュマルと同じ様式の都市で、建物群から2キロくらい離れた山の上にピラミッドがある。

 そのピラミッド。

この写真の少し先まで車で行ったんだが、疲れてたんで登るのは次回のお楽しみにした。上に書いた360度地平線の土地は、このピラミッドより凄いとこだった。


ユカタンとマヤ

2023年06月01日 | ユカタン諸々

マヤ文明というのはユカタン半島だけじゃなくて南のグアテマラやベリーズ、ホンジュラスまで、広い範囲で栄えていた。ユカタンのマヤ語はユカテカマヤという(それぞれの地域のマヤ語に名前がついている)。メキシコの多くの地域と違って、ここではあまり「先住民の!」文化的に特別扱いしない。もちろん政府は大切に保護する姿勢を取っているが、一応地方都市であるメリダはともかく、住んでいるあたりではマヤ語を話す人も結構いるし、料理や行事なども、普通にずっと続いている伝統的なものが多い。

なので、これまでは「ユカタン半島の」マヤ文化をつらつらと学んできたし、なんとなくユカタン文化的にひとまとめにごっちゃになっていた。が、ここんとこ南部の村に足を運んで、その辺の村側が発する情報に接して、実は奥深いと分かってきたので書いておく。先住民文化なんてのはメキシコに限らず第三者の声だけが大きいこと多々ある。ここは政治的な思惑というより(突き詰めればそうだが少なくとも国内事情)で、まぁ日頃ネットで目にするのは「観光業界視線」です。

 ユカタンの旗。

隣のカンペチェとキンタナロー州と一緒に独立していた(メキシコじゃなかった)ときの旗。正式な国旗あるいはスペインからの独立運動の象徴…とか、どう使っていたか正確には忘れてしまったが、とにかくユカタンのアイデンティティを象徴するものとして今でもときどき使われる。

で、独立していた頃(1840年と1847年の2度)のユカタン政府というのは、侵略者スペイン人の子孫、つまり支配階級で、マヤ人は彼らに酷くこき使われていた。メリダ中心部は、スペイン植民地時代から支配階級だけが住んでいたエリアで、その外側とは隔てられていた。

 内外を隔てる門。建設当時。作業しているのがマヤ人。

 今も残っている。

先住民に対する仕打ちに関する話はメキシコ中にあるが、ユカタンでは特にひどかったという。理由は、スペイン植民地時代、アステカなんかと違ってマヤの都市には財宝や鉱物などが一切なく労働力以外に搾取できるものがなかったこと。さらに、時が下ってメキシコが独立したときも、独立を目指した層というのは要は支配階級の人々だったわけだが、中央からアクセスが悪く、遠く離れた半島ということもありメキシコ新政府になってもその目が届かず、やりたい放題だったのだという。ちなみにメキシコシティからベラクルスというメキシコ湾側の港まで陸路で1週間、カンペチェまで海路で3日、カンペチェからメリダまで再び陸路という遠さ。

アシエンダといって古い大農園がユカタンにはたくさん残っていて、最近の投資ブームで大きな屋敷を改修してホテルなんかにもなってるが、当時のマヤ人の苦労を考えると「きゃーステキ!」とか手放しで褒められない。

そして一時なれども独立したユカタン政府、要は多少混ざってはいるが「白人」という支配階級に対抗すべく、マヤ人は反乱戦争を始めた。カスタ戦争という。これがなんと50年も続いた。

 その旗。

どこかの小さい村を通過するとき、家の中に貼ってあるのをちらっと見かけた。ただの飾りかと思って(ほら、メキシコ人ってクリスマスや誕生日の飾りつけをいつまでも放っておいたりするんで)スルーしてしまっていた。

それもそのはず、最近我々が足を延ばしているあたりは、カスタ戦争でマヤ人の被害が特に甚大だったところだという。血なまぐさかったという形容詞がよく使われる。カスタ戦争については端折ります。

能天気にユカタンの旗〜などと言って愛でていたが、マヤ人にとっては憎き支配階級の象徴だったのである。あ、もう今さらどうこういう人はあまりいません。今はメキシコの「みんなメキシコ人!」政策がうまく行って当時の恨みとか先住民を虐待したとか言うことがあっても、非難対象は当時のスペインがほとんどです。ちなみにさすが元宗主国、メキシコとスペインは思ってたよりすごく関係が密で、いろんな統計でも隣国アメリカに続いて2位ってなことが多い。謝れとかバカなこと言ってるのは大統領だけ。

そういうユカタン南部の、メリダとの関係や、隣のキンタナロー州南部との一体感なんかについて、これまでに村々を訪問してちらほらと目にした事象が、歴史的に繋がってることが少しずつ分かってきた。

ちょっと話が長くなりすぎるのでとりあえずこの辺でやめる。今後も何か学ぶたびに書いていくつもり。(アシエンダについても、オシャレだ文化だといいことばっかり書いてある観光資源扱いが多いので)