La Ermita の記録

メキシコ隠遁生活の私的記録と報告
 @ユカタン半島。

兵士の悩み

2017年09月25日 | ユカタン諸々

以前、プログレソのスーパーで突然「肉まんの作り方を教えてほしい」と声をかけてきた男性がいた。彼の言葉を直訳すると、中国のパン。中華まんともいうから間違いではない。が、最初は何のことかわからず、おたおたしてしまった。後になって彼もドラゴンボール好きのニホン好きだと判明したんだが、そのときは我々のことを中国人だと思ったのか、話がかみ合わなかったのだ。

それはともかく、この彼は誇り高きメキシコ海軍勤務で、出動先の被災地から電話が来た。彼が行っているのはベラクルス州とのことで、協力しあってるのは日本の国際救助部隊でなく、トルコ・イスラエル・スペインなどだと話していた。

こんな国で海軍なんかに勤務する人は、無条件で尊敬してしまう。麻薬の密輸を牛耳ってるカルテル(ナルコ)とドンパチになることが多く、殉死する人も多い。

で、ちょろっと電話で話したあとそれで勢いがついたのか、こないだ夜中に「悩みがあるんけど聞いてくれますか?」とメッセージを送ってきた。一瞬、怪我人にスペイン語がわからない日本人でもいたか、と思ったが、そうではなかった。

曰く、「一緒にいてくれないと奥さんに言われ、喧嘩になってしまった」。そしていかにもメキシコ人らしく、「心にもないことを言ってしまった」とか「でも彼女を愛してる」とか「彼女はもう僕と話したくないと言っている」などなど。

そもそも女性心理なんてものは理解できない(くだらないと思うことが多い)上、ガイジンのおばさんはメキシコ女性の扱い方など知らない。さらに、奥さんとはまだ会ったことがないからどういう人かも分からないし、二人の関係や状況などがどういうものなのかも知らない。そういう人間に悩みをぶちまけるのがメキシコ風なのか?

が、とにかく延々とやりとり(話を聞いて相槌を打つなど)を続けたあと、「この地震では、いろんな人がいろんなダメージを受けてる。家が壊れたり家族を亡くしたりしなくても、災害ってのは人の精神状態を不安定にするものだ。そうでなくとも妻という生物とは忍耐強く接さなければならないが、今はそれだけじゃないと思う」と伝えたら、急に黙って考え込んだあと、こちらが恐縮するほど感謝された。そういう考えには一切思い至らなかったという。

そりゃ、ダテに年とってないからね。けど、軍人になるような人の精神ってのは、元々強いんだろうなと思った。

首都の近くで発生した後、またオアハカ州で地震が起きた。当地を離れる(「錨を上げる」という言葉を使った!)のが延びて大変そうだが、ぜひとも頑張ってほしい。・・・というか、我々なんかに言われなくとも頑張るんだろうが、一人の兵士の悩みを和らげてあげられたようで、おばさん、嬉しいよ。

 

またまた話はコロッと変わるが、プログレソ・チェレム間の唯一の交通機関はコンビ。

 こんなの。

バスと寄り合いタクシーを足して2で割ったようなサービスで、プログレソ中心街の外なら好きなところで乗って好きなところで降りられる。

車体はボロだが、普通は行き先だけは印刷した文字が貼られている。こういう手書きのは初めて見た。なんともかわいい。


また来た、地震

2017年09月20日 | ユカタン諸々

トーホクのときもそうだったが、「お見舞い申し上げます」はともかく「ガンバレ東北!」とか「心が痛みます」的なことをギャンギャン(それもネット上で)叫ぶのはあまり好きじゃない。そういうのは、そういうの好きな人に任せます。

今回の地震は首都でも大きな被害があったので、物事が動き出すのは早かった。というか、オアハカ地震の影響で、体制が整っていたのかもしれない。

前回の地震以降、支援の効率問題が気になっているので、いい寄付先について調べるのにずいぶん時間がかかってしまった。というのも、少なからぬ人が「募金、ダメ絶対!」と主張しているのである。善意も支援する気も満々の人たちも、同じことを言っている。

政府と政治家に対する国民の批判は、日頃から肌で感じている。だから、FBのメキシコ・ユニセフの「支援ヨロ」動画についた500を超えるコメントが、ほとんど「政治家こそ金を出せ」「懐に入れるやつがいるから募金はダメ」というものだったのを見ても驚かなかった。ちゃんとした支援団体の運営資金以外で現金が使われる(ちゃんとしたところはそもそもそれらを分けてるんだが)のは復興のためだから、募金先を急いで探す必要もない。

どちらかというと気になったのは、オアハカ地震で、さらに有名になったフチタンという街はともかく、他の小さな村々には一切救援物資が届いてないらしいということだった。日本の地震のように運送ルートが寸断…というわけではない。途中で強盗にあった、強盗を避けるためにキャラバンを組むことにした、だから量が溜まってから出発・・・ってなことらしい。

そうでなくても、寄付受付所の様子を見ると、どんどん取りまとめてどんどん出発しているようには見えなかったんだが、さらに遅れているらしい。そんな所へ物資を持っていっても、効率の悪さに貢献するようなもんである。もちろん、個人で村の誰かに送りつけたいなどとは思わないが、もう少し、何とかうまいこと必要としている所へ…と考えてしまう。

幸い(というかなんというか)、メキシコシティは震源地に近く、その周辺の街や村の出身者も大勢いる。「なんとか村が、忘れられています! もうメキシコシティはボランティア溢れてるから、支援はそちらへ!」という声が、ちらほらと上がってきた。

とりあえず、メキシコ赤十字に彼らが必要と言ってるものを届けて、あとはちょっと状況を見極めるつもり。

 

えー、話は全然変わりますが、9月16日はメキシコ独立記念日。知り合いのとこのパーティーに呼ばれて行ってきました。有名なビバ・メヒコ!を連呼ってのを期待してたんだけど、ただの飲み会(歌つき)だった。

 開始したばかりで、まだ行儀がいい。


メキシコの田舎の被災地支援事情

2017年09月13日 | ユカタン諸々

えーと、発生が7日の夜中。8日は、情報収集と先日書いたような日本への連絡などで1日過ぎた。

9日、昼過ぎに「各地で救援物資の受付が始まった」という情報が流れ、仕事先(ちょうど出勤日だった)の学校で取りまとめてメリダの受付所まで持っていくというので、近所のコンビニでペットボトルの水を買えるだけ買って、学校に任せて帰宅。各地で始まった支援活動が組織だったものなのかは不明。家に帰ってチェックしたら、メキシコ赤十字への寄付が始まった様子。

今週になって、大手銀行の寄付金振込先情報が流れてきた。昨日、チェレムの村役場による「被災地を助けよう!」メッセージもみつけた。

 フェイスブックの村役場ページの記事。

さて、この写真を見る限り、支援という支援になってない気がするがどうしたものか?と思って、とりあえず現地や他州での情報を探すことにした。

あちこちで始まった救援物資受付活動をチェックすると、必要なのは「服・水と食料、その他には薬・衛生用品・掃除用品など」という認識で共通している。唯一、現地入りしているグループのフェイスブックで「ビニール看板(ブルーシートの代わりになる)があれば、自分が取りに行く」という現実的かつ最新に見える書き込みがある以外は、1週間近く経って状況が変わったのか変わっていないのかも不明。

埒があかないので、本日(13日)村役場まで行ってみた。念のため…というか、おそらく考えてないだろと思ったので家にあった段ボール箱を2つ持って、途中で赤ちゃんミルクの大きな缶を買い込んで行くと、村役場の一室(6畳くらい)の様子は12日(上の写真)と一切変わらず。

聞くと、現地でなくメリダへ(誰かが適当に)持っていくことになっているというので、「箱もあるがいるか?」から始めて、内包物のリストを作って側面に貼った「食料」箱を1つ作り、もう1つの段ボールを衛生用品用に準備。そのあと、ゴミ袋にどちゃっと入っている古着を、畳んで「男物・女物・子供服」に仕分けした。

基本的に「何々しましょうか?」と尋ねてから手をつけたのは、もちろん、こっちの事情が分からないからである。本音は…というかニホンジン(の元消防団員)の感覚ではそんなんじゃ、被災地が困るだけ!なんだが、郷に入っては…なので。

案の定、服という名の支援物資は、すべて古着であった。服以外は、1Lペットボトルの水6本、トイレットペーパー12個入りパックが1つ、乾燥豆1袋、煮豆やらの缶詰4個、乾燥パスタとマルチャン(袋麺)と駄菓子がいくらか、固形石鹸1個、シャンプー1瓶、生理用ナプキン1袋。

服も、洗ってはあると思うが、ゴミ袋に入れてあったことだけが理由ではないと思うほどしわくちゃ。ここの人は必要なら着る前にアイロンをかけるので、干し方や仕舞い方はずいぶんテキトーなのである。さらに、穴が開いてたりボタンが取れてたりシミが付いてたりするのも結構あった。

チェレムは、引退外人の家やメリダの金持ちの別荘はたくさんあるが、あまり裕福じゃない小っさな漁村である。集まる物資がこうなのは頷ける。

しかし、古着なんか送ったって迷惑なだけというのは、日本での常識(…まで行かないか?知識?)なのである。全国でこんな古着がどんどん集まってると思うが、現地で余ったらきっと、薪にするか雑巾にするか、窓代わりに壁にくくりつけるか、あるいは取っておいて「売ります買います」に出すか、するのである。

現地でも、救援物資の山(文字通り)を見て「ただでさえ手がいっぱいなのに!」などと嘆いたりしない。袋ごと送られてこようが、「これじゃ積めなくて場所取り!」と現地ボランティアが困ったりもしない。これじゃぁ復旧が進まないどころか支援物資受け取るのに長蛇の列になるのは目に見えているが、それもしょうがない。おそらく被災者側も、被災したんだからすぐに通常生活に戻れるとは思ってないという感じ。

もちろん、家族を失って悲しんでいる人たちの映像に心を痛めている(ラテンの人たちは基本的に家族間の繋がりが強いし、不謹慎だがその表現も派手)。非常時の一致団結感も強い。

が、なんというか、確かに「被災地は大変だ、支援しなきゃ」という意識はあるが、他のすべてのこと同様、その効率は気にしないのである。言っちゃ悪いが、不便なことにも慣れてるし。さらに、政府や役人に対する信頼のなさ(こちらは全国共通)を考えれば、日本のような「一番いいのは現金の寄付!」なんてことも当てはまらないのであろう。

・・・という雰囲気を、地震がない地方の片田舎の村役場で感じてきたのでした。要は、強いんだよ、メキシコ人。


地震

2017年09月11日 | ユカタン諸々

ご存知、メキシコ大地震。

まず、どんな感じだったかというと、座って静かにしていたので、すぐ揺れは感じた。体感で震度2弱。5秒ほどで、キッチンのグラスラック(吊るすタイプ)のグラスが互いに微かに触る音が聞こえ始めた。・・・と、まあ我々が住んでる地域では、この程度です。

メリダでは、窓の泥棒よけ鉄格子がカタカタ鳴った(ちゃんと取り付けてないとも言える)と言う人もいた。あと、ハンモックで寝ていたら揺れたってのは、ここならではだなぁと思う。

驚いたのは、ユカタン半島北端(メキシコ湾を出たら大西洋)で、「津波が来るかも」という噂が流れたこと。震源は太平洋側、パナマ運河を渡ってくるってか?と笑っていたんだが、本当に信じた人がいるのである。

メキシコ湾の周辺では、地震はほとんどない。同じ南北アメリカ大陸でも、サンフランシスコからチリの南端までの太平洋岸は地震銀座。数年前にハイチで大震災があったが、あれはカリブ海プレート。引っ越してくる前からないと知っていたが、ユカタン住民の地震に対する無知を目の当たりにすると、ああ本当にないんだ〜と思う。

なまじっかツナミという言葉が全世界で市民権を得たので、ついでにどういうものかも知れ渡ったと思っていたが、言葉の一人歩きだったのである。日本でもそうだと思うが、報道で流れるのはだいたい決まった映像で、よほどの興味がない限りあれこれ探してみたりしない。トーホクのツナミをTVで見ても、「波がめっちゃ高い!」という印象しか受けなかったのかもしれない。

その証拠に、今回の津波は最高1メートル弱だったと聞いて、あるインテリ理系大学生は「どーってことないと思った」という。通常の波と津波の違いを説明したら、1メートル未満でも大変だということを理解していた。

一方、日本からは、ずいぶん問い合わせいただきました、ありがとう。

が! 震源地からは深度も考慮すると千キロくらい離れてるんですよ。日本人なら覚えていますね? トーホクの後、関西人にも九州人にも「ダイジョーブか!」と問い合わせてきた心優しい海外の友人たち。フクシマの後、避難してこいと東京在住の家族に帰国を促したあほガイジンたち。あんな感じです。

まあ、罪はありませんw 想定していたので、揺れの後すぐにFBで「何ともない」と報告しておいたんですが。。。

しかし、被災地は悲惨です。オアハカ・チアパスといった州はメキシコ国内でも最貧地域と言われていて、住民税もない国ですから、連邦政府からの助成でなんとか…ってな地域がどうやって復旧していくのか心配になります。

ホントに、こんなに地震の多い国でなんでまたブロック組積造?と思うんだが、それが安く家を建てる方法だから。スペイン侵略者の負の遺産と見るか、土地に合った工法を普及できない経済問題と見るか、少しずつ調べていこうと思ってます。

一番被害がひどかった Juchitán は、もともと文化的魅力が多い地域として有名でして、特に民芸品はすごい人気。

 

 マンゴー&ヨーグルトアイス

クレマという酸っぱくないサワークリームみたいな乳製品があって、メキシコ料理には欠かせないものなんだが、果物を潰してこれと水を入れて混ぜると美味しいアイスになる。水が多めだと、ヨーグルトシャーベット。その他、サボテンの実・ドラゴンフルーツ・チェリモヤ・マメイなど、ここ(南国)ならではの果物を使う。バナナが作るの手軽でいい。


ネット

2017年09月05日 | ユカタン諸々

月に1度ほど、ネットが止まる。原因は、天候だったりプロバイダの怠慢(親プロバイダへの支払いが遅れた)だったり、いろいろだ。

うちのネットは、大手のプロバイダの電波を、プログレソに設置してあるアンテナで一旦受けて、チェレムにある(うちの近所)ドゥナスというモーテルみたいなところに飛ばし、それを各戸の小さいアンテナで受ける方式。客はほぼこのあたりのガイジンだと思われる。

サービス提供者はメキシコ人の若者5人くらいのグループで、止まると慌てずにあちこち点検して復旧させる。「止まってる」とメッセージを送るとすぐ繋がることもあれば、翌日うちまで来るものの3日ぐらい音沙汰なしってなこともある。

今回は、「きっとまた払ってなくて止められたんだ」と一晩やり過ごし、翌日ボス若者にメッセージを送ったものの返事はなく、3日目に別の若者にメッセージを送るとすぐ来てくれたが直らなかった。

4日目に彼とボス若者の二人でまた来て結局繋がったんだが、その理由が「ドゥナスのアンテナが焼け付いていた」というワケわかんないもの。経過からするとそんなはずないんだが、そこは気にせずグラシアスと礼を言って送り出す。メキシコですから。

その間、日本ではまた隣のキ印が余計なことをして大変だったようで・・・ってか、大丈夫ですか。こっちは日本を出る前から「外から目線」になってたんで驚きはしないものの、例によって「母のんきだね」ですね。

ちなみにメキシコは、NAFTAの交渉と来年の大統領選挙がらみの動きが活発でそれどころではなく発射のニュースしかしなかった。でも、米国と韓国経由で各国の動きがじゃんじゃん入ってくるので(ネットが通じた後ですが)、「4分(6分?)じゃどうしたらいいのか分からない」とか「起こすな」なんていうフザけた反応を目にすると、ハ? 頭大丈夫ですか?と思う。

まあ、こちらは相変わらずじゃんじゃん殺人事件が起こるものの、うちの州はいたって平和なので、本当に困ったらいつでも来てください。

 

 水ようかん、作りました。