その後の身にこたへたる残暑かな 清崎敏郎
ここへきて厳しい残暑が続いている。もう秋なのにと思うと、真夏の暑さよりもつらく感じるものもある。京都市立の小中学校では二学期制が導入されている。来週初めのスタートが多い中、府内最初の夏休み明けを迎えた小学校があった。
いくつもの穴を地面に残して羽化した数知れない蝉も、仰向けに転がっている。アブラゼミに一筋の黒い線が続く。蟻が精力的に清掃活動、食料の確保に余念がないようだ。
新型インフルエンザによるマスク騒動があった頃のこと。ホームセンターで農薬を買って帰宅したその方は、隣家まで5センチ幅で延々と続く蟻の列を発見。薬をまいたらみんなマスクしているようだった、と話してくれた。
この話を思い出し、暇な私は小麦粉を振りかけてみた。多すぎたのかしばらく隊列は崩れるが、マスクをしながら何事もなかったようにうまずたゆまず努力。蟻が「左足から歩く」かどうかなど、画家・熊谷守一氏には申し訳ないがわからずじまいだった。
Jessie に見せてやりたい、とふと思ってしまう。「マミィちゃーん!おいでー、ありがいっぱい」とか言って大騒ぎすることだろう。が、思ったとて詮無いこと。腹八分目で満足せよということ。満ち足りた心、これがJessieの私への置き土産。
蟻を相手にじっと見つめているだけではともすると口周りの筋肉が固まる。というか、たるむというべきか。オシャベリマシーンJessieの声は消えてしまった。身に応える残暑…、なんてほどではないが、暑いな。
きっと、其処彼処にjessieちゃんの声が、沢山染み入っていることでしょうw
最近写真をまじめに撮り始めて、そう思うようになりました。言葉では説明しづらいのですが^^;
カオスに今はいない子供でも、その子の形跡や、その子にまつわる思い出に触れた時。
今そこに居ない彼等に会えたような気がするんです。
その瞬間を切り取り、残しておきたいと思い、また写真を始めた次第です^^
カメラ一つ持つだけで、普段の景色の中に、今まで見逃してきた美しいものが、沢山あることに驚いています。
jessieの声が染み入っているモノ探しのお散歩も、乙なものかも知れませんよ^^
朝から気分がよくなりそうです。
残暑の厳しさには閉口気味ですが…。
ふすまに残る確かな手形、お客様の関係ない場所なら残して置かれたらいいですよ。背丈を測った柱のキズのように。
「アラーッ、こんなことも……」なーんて将来思い起こす記念になるかも。
我が家なんぞはほとんど毎日ですから、テレビ画面や玄関の姿見など、追っかけるように手形を拭き取っていますが…これはいたちごっこです。拭いても拭いても元の木阿弥。
名人の落語は、下駄を履いた後で“クスリッ”と笑いがこみ上げると言いますね。感動的な映画やお芝居は、帰りの電車の中で今一度こみ上げる感動に浸れる…とも。
keiさんのJessieちゃんと過ごした日々の熱い思いは、これから先にジワジワよみがえってきます。間違いなく。
それを抑えるようなもったいないことはしないことですね。
こんなシチュエーション、誰も彼も味わえない、keiさん独自のものなのですから、思い出に・余韻にしっかり浸りながら、口にも出しながら(ブログなど)時間をかけて、ご自分を取り戻してください。その後のアサガオ、如何ですか。
蟻に小麦粉?面白くて可愛い方ですね。
年寄りに免じて失礼のほどお許しください。
蟻のお話、わからなくてネットで検索、
わかりました。
『熊谷守一の絵で 豆と蟻 の話が載っていた
蟻は どの足から 歩き出すのか・・・ 後略』
またたくさんの京の文化、香りを伝えてください。
楽しみにしています。
「会えた」と感じられるわけですね。
部屋のあちこちに、いろいろな格好のJessieが見えるようです。
今日は車に乗り込む際に、ベビーシートがなくなったことを意識しました。一つ一つが思い出としてこれからは蘇ってくるのでしょう。
まだ、そこにいないという感じで迫ってきますが。
「Jessieの声が染み入っているモノ探し」
出てくるでしょうね。
ホントに長く一緒に過ごしたものだと、8か月というのは一年の半分以上、冬から夏まで、長かったなあとしにじみと思っています。お互い充分楽しみました。
朝顔は16日からい1輪ずつ。帰国の日だけは見送りがありませんでしたが、その後も今日まで1輪だけ。来年はもう少し今回の経験を活かせるようにと思います。
腰が痛くって…です。
どちらの足から歩きだすかなど、こんなに小さな生物に対して思いもしませんね。
ファーブルはこういうこと考えたのでしょうか。
そういう眼差し、見つめている目にはうならされますね。
温かく見守っていただけましたこと嬉しく感謝しております。