父にとって母との最後の旅は比叡山となった。横川の根本中堂の前でのツーショットが残されている。二人で湖東三山を巡った後、私どもを訪ねて来た。母を追うように逝った父の20回目の祥月命日を前にしている。来月は母の、師走には末弟の…、考えれば故人と向き合う月ばかりが続く。そして、いつも「人生はちょっとだけ間に合わない」といった事を感じながら偲ぶことになる。
何ヶ月ぶりかで息子から連絡が入った今日、午後。何事!?かとその着信履歴に驚かされ、すぐに発信してみたら、「お母さんの生年月日はいつだっけ」と来た。「えーっ!? どっか書いとけば」と笑うと、「間違えたら恥ずかしいと思ってな」と…。
朝は朝で、娘が急くように「郵便番号なんだっけ」とオーストラリアから電話をしてきた。郵便局にいるらしい。「Jessieが手紙を出す言うんやけど、末尾を忘れた~」と言う。秋だと言うのになあ、色気もなにもあったものではない。
草木の色づきが目につきだした。街路樹の剪定も一部で始まっている。
「お酒をのもうか銭ためましょか…」と行燈に書かれた狂歌。秋の夜長、おいでおいでと、悩むほど食べ飲みの選択肢は広がる京の夜。
桜でも紅葉でもあの年・この年と、一緒にその景色を見た人との思い出によって、彩りは異なってくる。残された者は過去の記憶を胸にとどめ、日々前を向いて大切に生きていけばよい。できれば毎日楽しく。故人は喜び、子どもたちも安心する、はずだと思うから。これでいこう~。
それに近々jesseiちゃんからの手紙も届きそうですよ。
おっしゃる通り、日々前を向いて精一杯生きて行くことが、故人も今を生きる周囲のみなさんもひっくるめて、安心を届けることになるのでしょう。
ツワブキのつぼみもふくらみました。
見事な黄金色の花を咲かせるのは間もなくですね。
楽しみに待ちたいものです。花咲くその日を!
親が元気でいさえすればその生年月日もつい忘れることに??
漢字を習いだしているという1年生。どんな手紙が届くのでしょうか。
何もかも「じんわり」と、伸びあがり膨らんで花咲く日を楽しみに過ごすことにしましょう。
葉数が増えず花芽の茎もたったの1本です。熊野の空気を吸って育っていた石蕗、花の姿を見たいものです。
今日は日差しも強く、上着もいらない陽気でしたが、これまたじんわりと、季節は進みますね。
でも、そんな中で、楽しみを見つけながら楽しく
生きている私たちを故人はどこかで
見てるのかしら..。
よくやってるなぁ~なんてあちらから眺めて会話
してくれたら嬉しいですね。
今日は福岡も暑い日でした。
いくつになっても変わらないと半ばあきれ? 笑いながら見ているかもしれません。
わずかでもそんな事を感じながら思い出せるなら良い時間ですよね。
おなじ街でもいろいろな出会いで印象も変化するようです。
最近はメールが多く、たまに子や孫から電話が来ると「どきっ!」とします。
一族の「長老」になりました。
母の口癖「早くお迎えがこないかなぁ」が思い出される昨今です。
それにも増して息子から電話には何事かと驚化されました。
三日遅れの息子の返信もないよりマシみたいですが、
そんなことならと連絡もせずでのままで。
子は子、親は親で、先へ先へと進む時節に取り残されないようにと、一生懸命の感もあります。
母からは(60代半ばで亡くなりましたので)聞いたことはありませんが、
今は周囲で時々同じような言葉を耳にします。
お孫さんがどのような事を書かれたか又ジェシーちゃんからのお手紙、聞かせてくださいね。
無理は禁物と言い聞かせてですが、もろくなったなあと感じます。
ひとつ二つサバをよんでみることがありますが、それほど年齢にとらわれることもなく過ごしています(笑)
秋にはクリ拾いに家族でよく行きました。
運動靴でイガイガを挟んで、中から取り出すと一つぼ栗だ!と喜んで。
懐かしいことです。
人生のいろいろな場面が一句になっておありですね。
やめられませんね!エネルギーでしょうか。
お気持ちがいつも柔らかく、お若いのですね。