ほの暗い本堂のどこからか、姿なき声がする。
思わず「だれや~?」」と、義母の口ぶりを真似て言葉にしてみたくなる朝。
毎日毎日変わらない朝の始まりにかけてもらえる虫のひと声は私だけのもので、そう思うと、なかなかゆかしい刹那となる。
来る日も来る日もお仏飯を上げさせていただきながら、手を合わせる。すべきことをあたりまえに繰り返すことで、守り継ぐことはある。
かつて、私の知らない先々代、更にその先代たちも同じようにこの内陣に立ち、ふと虫の音に気づくような朝を迎えていたのではないかしら…。どんな人たちだったのか。
仏飯のゆげのどこかですいっちょん
と詠んだのは京生まれの俳人・西野文代さんだった。ユーモアを潜めた感性が気に入っている。
炊き立てのご飯はまあるく盛ってあるのだろうか。何人家族だろう、一人暮らしの朝だろうかと想像しながら、人の世の小さな営みって、案外絶えることなく引き続いていくのだろうなと思ったりする。
ほんと、いいですねぇ。
keiさんの感性がキラリ!
一気に拝読致しました。
秋本番、どうぞよき日々を。
ほんとうにありがとうございます。
変わらぬこと、一生貫き通すってこと、大切ですね。
でも、とても難しい…ですね。
「日を重ね今日満願の大法事」などと知りましたが、
お気持ちは充たされてお帰りでしょう。
きれいな青空の一日でした。
お疲れを癒されて、早く四国でのご様子をお聞かせくださいませ。
それからこれは毎日珈琲タイムに
母に珈琲を..。
毎日手を合わせて同じことを繰り返す私
ですが、ご先祖さまは「またおんなじかぁ」
なんて言ってあるかも(笑)
毎朝、虫の音を独り占めですね!
きっと鎮まりかえった仏間に透き通るように聴こえていますね。
いいなあ~と立ちどまって耳を傾けていました。
本堂の床下に生きているのか内陣の裏の部屋に住むのか、
すぐそこにいるようで姿を見たことのない主です。
お仏飯も毎日のことですね。
珈琲タイム、ryoさんのそのお気持ちを喜ばれておいででしょう。