小学生のまだ小さな女の子だったが、自転車で勢いよく走り出してすぐのこと、ズズズズーッと横倒しに転んでしまった。あ~っと思わず見ていて声をあげてしまったが、「起き~っ!一人で」と後ろからお婆さんの声が飛んだ。半ベソを我慢してるのか、彼女のひと言が耳に入った。「ちょっと待って。えらいことなったわー」と。 起き上がった、強い強い。大した怪我もしていないようだった。
毎年、ご近所さんに鯉を泳がせる家がある。青い空になかなかよいものだと思うが…。
『東都歳時記』(1838年刊)というのがあって、それによると、出世の魚と言える鯉を幟につけるのは東都の風俗だとしているようだ。広重や北斎の浮世絵に見られる鯉のぼりは上方地域には見られない風俗だったということになる。
武士にとっての「出世」は、公家文化が根付く京の町には受け入れられにくく、早良親王の出陣にちなんで武者人形を飾るようになったという説があることなど、端午の節句における江戸と上方の差異がかつて新聞に紹介されていた。
けれどやはり五月の風物詩、悠大に大空に翻る姿は爽快だ。
日差しに恵まれ気温も上がった。子供もいない端午の節句、予定もないまま家で過ごしていた。特に何をしていたわけでもないが、窓から入る初夏の風を心地よく感じながら体を休めたよき一日だった。
飾り物の柏餅に歯型を残した我が息子は、どうしていることか…。
『東都歳時記』(1838年刊)というのがあって、それによると、出世の魚と言える鯉を幟につけるのは東都の風俗だとしているようだ。広重や北斎の浮世絵に見られる鯉のぼりは上方地域には見られない風俗だったということになる。
武士にとっての「出世」は、公家文化が根付く京の町には受け入れられにくく、早良親王の出陣にちなんで武者人形を飾るようになったという説があることなど、端午の節句における江戸と上方の差異がかつて新聞に紹介されていた。
けれどやはり五月の風物詩、悠大に大空に翻る姿は爽快だ。
日差しに恵まれ気温も上がった。子供もいない端午の節句、予定もないまま家で過ごしていた。特に何をしていたわけでもないが、窓から入る初夏の風を心地よく感じながら体を休めたよき一日だった。
飾り物の柏餅に歯型を残した我が息子は、どうしていることか…。
かつては我が家もそうした端午の節句を祝いました。
遠い過去になってしまいましたが、元気で歳を重ねてくれています。
飾り物の柏餅に歯型を残した我が息子さん、自分の選んだ道を驀進中でしょ。
あの鯉幟のように。
息子はこの休暇にも連絡なしです。聞きもしませんでしたが(笑)元気ならよいのです。
それにしても…。
朝から陽が差すかと思えば雨です。雷が鳴っています。
GWもようやく終わりですね。いつも休みでも、それでも“平常”に戻る気がします。
それぞれに歴史があるもんですね。
こいのぼりは揚げるのに大変と思ったのか息子にも、孫にも贈ったのは武者人形でした。
今ではたぶん、物置に置いたままでしょう、飾った様子はありません。
こいのぼりを喜ぶ頃が一番いい時だったような。何しろ自分もまだ若かったし。
私の携帯の待ち受け場面は月ごとに変わり、
4月の末からこいのぼりが揚がっています。
長いGWでした。明日から平常にもどるので、
ほっとしています。
「菖蒲」は「尚武」に通じるとあって共通だそうで、軒に飾ってあります。
大空に翻る姿はやはり5月を感じさせてくれますね。
♪屋根より高い~、って、今でも歌うのでしょうか。
桜が咲いてすぐに鯉のぼりですね。
このよい季節はゆっくり進んでほしい気がします。
この季節動かずしていつ行動する・・・と言いたいですよね。
暑くなれば動きにくくなりますから。
連休中は息をひそめていました。
これから少しずつ行動したいと思います。
鯉のぼりは江戸時代武士の家から始まったと聞いていました。
ご近所でも鯉のぼりあまり見かけなくなり淋しいです。
何日も経っていませんのに、2日に一度はお訪ねしてしまいまして、やっぱり…と思っておりました。
ご無理なさらずに行動開始を! 楽しみにさせていただきます。
不空羂索観音が手を合わされた間にある水晶玉も見ることができました。間近で、二度とないチャンスでした。
鯉のぼりを見かけなくなりました。淋しいですよね、まさに5月を感じさせてくれますのに。
いよいよ18.19日と1泊で熊野最終回です。不安で緊張しております。