京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

鉄斎美術館

2018年05月24日 | こんなところ訪ねて
娘から第三子Lukasの守りを頼まれて娘宅へ。今日帰宅する前に、ここからだと宝塚線で近距離ということもあり、兵庫県宝塚市にある清荒神清澄寺 鉄斎美術館を訪れてみた。



6月17日までの会期で「鉄斎の旅—足跡、天下に遍(あまね)し」が開催中。

鉄斎は京都三条新町の曹洞宗の用達に応じる法衣商の家に生まれた。幼名は猷輔。89歳で亡くなる。
大田垣蓮月と鉄斎の交流を『大田垣蓮月』(杉本秀太郎)で興味深く読んだ。聖護院村で住居が隣同士だった縁が始まりだったろうと記される。
鉄斎20歳のころ、京都北白川の心性寺で1年間、蓮月尼の作陶を手伝ったことが鉄斎の年譜に記されていた(高山寺の「石水院」の揮毫は86歳のときと知る)。貧窮する猷輔に対して、蓮月は事につけては学資を与え温かく見守った。学問好きの少年の末たのもしいまなびぶりに、ほとんど手放しで見惚れれているような蓮月。至純な少年に、蓮月も大いに動かされたことがあったろうことなど、杉本氏は同著で推測されている。


鉄斎は若い頃から旅が好きだったが、彼を旅に駆り立てたのは名所旧跡を巡る物見遊山ではなく、先哲を弔い、地理、歴史、風俗を研究することにあったと。全国の景を書き残している。そしてそこに書き添えられた詩句・賛。「画と画賛とは常に不離一体でなければ無意味」と、蓮月との合作から体感したのでは。とのことで目を凝らしたが、眼鏡を忘れて不自由してしまった。

蓮月から始まった関心事が次の興味を招き、機会を逃すのももったいなくて、ちょいとのぞいてみておこうの軽さ…。でもまたなにか次につながるさ~。個人的には、鉄斎のひい孫氏と何度かご一緒させていただいたことがあったのだ。勿論、かなりご高齢だった。その後、お訪ねもしないが…。

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