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11月1日「古典の日制定記念 古典の日フォーラム2013」が京都コンサートホールで開催されました。
古典の日推進よびかけ人の瀬戸内寂聴さん。小学生の頃に因幡の白ウサギを演じた思い出を通し、「日本人はみんな小さいうちから知らず知らず古典にとりまかれて成長しているものなのですね」と。古典を誇りにして後世に伝えようと、ご挨拶がありました。
クラッシック演奏のあとは、女優の浅野温子さんの古事記を題材にした読みがたり、「大国主神 義父が与えた最後の試練」です。舞台を大きく動き回りながら感情豊かに1人3役を演じ分けて、迫力もある素晴らしい世界に誘われました。現代的な解釈、わかりやすい言葉での脚本だったから尚更です。素足にジーンズ、白のブラウス姿で登場でした。
そして、作家の浅田次郎氏が「私の中の古典文学」と題して講演されました。今、多くの小説が書店に並ぶ。商業ベースによる淘汰もあるが、それを読む人の力による淘汰もあるのだと。消えずに100年、500年と読み継がれる作品のすごさ…。
「芸術は娯楽で、人生を豊かにする最高のもの」だから楽しむことが大切。小説を書くときには自分の憲法を作っているそうで、改憲のないその3本の柱に「美しく書く・わかりやすく書く・面白く書く」を挙げてお話でした
文章を書き足すのではなく、不要な物をすべて除き真髄を見つめていく「平家物語」の文章。中島敦『山月記』の書き出しに見る無駄のない、美しい文章。史記の読み下しぶんの美しさ。陶淵明の美しい詩。陸游。芥川龍之介作品の無駄なく的確で、気品のある美しい文章。
古い作品をに学び、言っても言っても言い足りぬで膨らんだ文章ではなく、3行書くところをなんとか1行にできないものかと文章を練ると。手書きの作家です。
歴史に淘汰されてきた古典を咀嚼しながら伝えていく。それには「読む時間」を作ることで、それが古典を伝えることになるとも…。
ほとんど古典など関係のない私ですけど、懐かしい思い出があるんですよ。遠い昔の思い出の中にすばらしい先生がいらっしゃいました。
学歴は小学校しか出ていらっしゃらないのに独学で国文学を学ばれ特に江戸文学の研究で名をなされ、戦前の専門学校(今の短大)の教授になられた先生です。
戦中の軍国主義一辺倒の狂気じみた学校教育の中で先生は生き生きと江戸文学のすばらしさを講義なさいました。当時18歳の少々不良がかった私でしたけどその先生の講義をいつも楽しく聞きました。そしてよくわかりもしないのに井原西鶴や近松門左衛門を図書館で読んでいました。学徒動員で十勝に援農作業にいっていた私が帯広市の小さな書店で伏せ字だらけの井原西鶴の好色五人女をみつけて嬉しかった思い出が懐かしいです。18歳の生意気な少年の私が中身を理解出来るはずがありません。70年近くたったいま中身の記憶はまったくありません。おかしいですね。
Keiさんの楽しい文章に刺激されて早速アマゾンで井原西鶴の日本永代蔵を発注しました。はたして読めるかな、少々不安でそして楽しみです。
人生の宝ものです。
図書館で江戸文学に夢中になられた18歳のさんたろうさんがいらっしゃったのですね。
私の18歳は中古の文学でした(笑)
そうした時期は懐かしいですね。原文で読む機会もほとんどなくなりました。
さんたろうさんのお話で、私も改めて西鶴の作品に気持ちが向かっています。
「伊豆の踊り子」はもう古典だそうです。ある学校で、生徒はもちろん先生も読んでいなかったとか。
60代に支持を得ている私は、もう古典かな?とお笑いでした。
私は「青空文庫」から古い作家・作品を借り出して読むことも多いです。
http://www.aozora.gr.jp/
芸術は娯楽で、人生を豊かにする最高のもの>
全ての芸術とまで私には言えませんが、
小説は私の人生を豊かにしてくれるものです。
中島敦『山月記』>ある方から刺激受けて、買って読みましたが
私には少々難しいでした。
明治の文豪と言われる人たちの作品は、確かに格調高いものがありますね。
青空文庫で読める便利な世の中になりました。
縁がなかった本と思うのも一つでしょうけれど、できればいろいろ読みたいです。
和漢混淆文、漢文の書き下し文の格調高さに氏はとても美しさを認めておられるようでした。
「山月記」、中島敦の作品全般お気に入りのようです。
漢詩文の話になりましたとき、ふとReiさんを思いました(笑)
私もプリントアウトしてよく利用します。助かります、ありがたいですね。
こうして聞かせて頂くだけで、眼からうろこ!大いに改めなければ・・・と思わされる素敵なブログを読ませていただきました。
何をとっても、爪の垢でも煎じて飲まなければいけないこの身ですが、浅田次郎さんの言葉には今更ながら感服です。
keiさんの情報収集能力には、いつも敬意を表しているところですが、今回もまた素晴らしいフォーラムのお裾分けを頂いて感謝しています。
バックに二人、民俗楽器のような音色の音楽が演奏されて雰囲気も増しました。
浅田次郎さんの手書き作家としてのこだわりは耳にしますね。
先日亡くなられた連城三紀彦さんの追悼文を読んだばかりですが、
端正で抒情的な文体、何よりも文章が美しい作家だと讃えられていました。
1冊?…と思ったりしています。読む時間を「作る」、必要ですね。
浅田次郎さんの文章はわかりやすくて大好きです。
こういうフォーラムが開かれるのは京都が似合いますね。
動きが伴いますので飽きる?こともなく、三役を演じ分けた迫力ある舞台でした。
「古典」と言っても文学だけではありませんが、興味ある分野であればこそで即、チケット購入に向かいました。
得したな~、と感じるよい時間になりました。