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「勝たんと打つべからず、負けじと打つべきなり」
こんな一節が、双六遊びの名人のことばとして『徒然草』にある。“一目でも遅く負けになる手でいきなさい”と。
もう手がないとわかるや、ぐちゃぐちゃっ!と証拠隠滅にかかり勝負を御破算にしてしまう。家族でゲームやトランプなど楽しんでいた子供の頃の記憶にある。
どうでもいいことはどうでもいい反面、案外こだわった勝ち負け。勝ちたがりの性癖か。
クラス対抗のリレー競走。欠席者による穴は進んで埋めに加わる。2人分・200メートル走るなど朝飯前。もう半周ぐらい…の余裕を残して。抜くことの快感ね……。相手は中学生だというのに。放課後のレクレーションだというのに、一生懸命になって勝ちに行くことで盛り上がり……楽しんだなあ。まだ23・4歳の時だったから、負けやしなかった。
ちょっぴりの“わる”など、ニコッと笑ってコロッとさせて、単~純、みんなついてきた。
「最初はグー、じゃんけんポン!」「つぎはJessieグーだすからね」???
途中で集中切れ、わけもわからずグッチーパーを繰り出す“赤ご”を相手に本気になって、勝っちゃえ!真っ赤ないちごが姿を消してゆく。
「あーん!マミィ―!!!」悲鳴が上がる。「Jessieのいちごない―っ!!」
どこで覚えたか(見当はつくが)、「とろいおばさん」を連呼するこしゃくな3歳児だ。情けなど無用。
「物に争わず、己をまげて人に随い、わが身を後にして人を先に」するべきだそうな。
あの若く美しき在りし日は消え、“とろい”どころかあさましい婆さまになり下がってしまった。
この報い、Jessieは何を要求してくるだろう。三つ子の魂、ああ怖い。
こんな一節が、双六遊びの名人のことばとして『徒然草』にある。“一目でも遅く負けになる手でいきなさい”と。
もう手がないとわかるや、ぐちゃぐちゃっ!と証拠隠滅にかかり勝負を御破算にしてしまう。家族でゲームやトランプなど楽しんでいた子供の頃の記憶にある。
どうでもいいことはどうでもいい反面、案外こだわった勝ち負け。勝ちたがりの性癖か。
クラス対抗のリレー競走。欠席者による穴は進んで埋めに加わる。2人分・200メートル走るなど朝飯前。もう半周ぐらい…の余裕を残して。抜くことの快感ね……。相手は中学生だというのに。放課後のレクレーションだというのに、一生懸命になって勝ちに行くことで盛り上がり……楽しんだなあ。まだ23・4歳の時だったから、負けやしなかった。
ちょっぴりの“わる”など、ニコッと笑ってコロッとさせて、単~純、みんなついてきた。
「最初はグー、じゃんけんポン!」「つぎはJessieグーだすからね」???
途中で集中切れ、わけもわからずグッチーパーを繰り出す“赤ご”を相手に本気になって、勝っちゃえ!真っ赤ないちごが姿を消してゆく。
「あーん!マミィ―!!!」悲鳴が上がる。「Jessieのいちごない―っ!!」
どこで覚えたか(見当はつくが)、「とろいおばさん」を連呼するこしゃくな3歳児だ。情けなど無用。
「物に争わず、己をまげて人に随い、わが身を後にして人を先に」するべきだそうな。
あの若く美しき在りし日は消え、“とろい”どころかあさましい婆さまになり下がってしまった。
この報い、Jessieは何を要求してくるだろう。三つ子の魂、ああ怖い。
どんどん手ごわくなる子供達。よそでやると負けないらしい。そりゃ~あんだけ私とやれば強くなるのは当たり前^^
私の父もそうだった。王様だけになるまで徹底的にやられた将棋。父との生涯成績768勝765敗。父も祖父から同じ目に合わされたらしい。大人気ないのは遺伝かもw
親から鬱とパニック障害と言われた子供と、この時間までメールで話しまたおそくなりました^^;
明日はお店が休みだからもう少し子供達のメールに返信しとこうっと。
大らかなjessieちゃんの寝顔…この婆さまにしてこの孫あり……ウーン納得。
良くも悪くも「勝ちたがりの性癖」抜けないですよ。でもそれだから、楽しいお付き合いをせて頂いているのかも……です。
明治生まれの、勝負に厳しい親父に逆らって、ついに自分流に生きてきたのは、冒頭の「勝たんと打つべからず、負けじと打つべきなり」まさに『徒然草』の世界でしょうか。
特に、第2の家庭争議に発展しかねなかったマージャンの打ち方は、この言葉を実践していました。
勝ちにだけこだわったら先ずは勝てないゲームだと自分に言い聞かせました。相手の顔色を観察・その場の空気・風を読む、そして己の思考の緻密さを分析。そんなことを楽しみながら、負けないマージャンに徹する。それでも負けの方が多かったかな…?
若い頃からのそんな経験がいつの間にか、生き方そのものになって、大勝ちしなくていい、負けないように細心の注意を払う…そんな安全策を身に付けました。
“若く美しき在りし日”は消えて当たり前、消えなかったらそれこそ怖くなります。 “とろい・あさましい”は「人の常・世の習い」逆らい過ぎないようほどほどに……ですね。
私はよく、「子供みたい」って言われました。
もっとも、rabbit125ccさんのような真剣勝負じゃありません。私の場合は、ほとんど自分が楽しんでしまうことに走り、そのむきになるさまを評されたのでしたが。
子供たちにとって、rabbit125ccさんは「カリスマティック・アダルト」っていうことになるのでしょうね。
親から「鬱とパニック障害と言われた」
詳細はわかりませんが、診断名をそのまま告げているってことですか。
不良・不登校、混じる小中性…
彼らはみんな周囲からレッテルを張られてる。一度張られたらはがすのは大変、自らもはった方も。
ふと思い出したことがあります。
わが子の長所短所などを記入して学校へ提出する「
紙」、新学期早々などによくありました。
私はただの一度も短所を記入したことありません。出会ってもいない人に、先入観で見てほしくないからでした。下手をすると見方が偏ることも知っていましたので、絶対に書きませんでしたっけ。
むろん欠点はありますが成長過程のこと、表現を変え、うまく書きましたけれどね。
先入観にとらわれる、レッテルをはることほど怖いことはない、ときもあります。
Jessieが「とろいおばさん」というのは、別に私に向かって言うのではございませんのです~。
単に覚えたての言葉の連呼ですから。
しかし、あまりの言葉に周囲が驚いて、おかしがるものですからいい気になってるようです。
ふと見せる表情は、気が強そうです。
遺伝かな、隔世の?
ジェスチャーが多いので、そのかわいい仕草がカバーしています。
私も少し隠す努力をせねばでしょうか。かなり隠して来てはいるのですが、お見通し?
(いえいえ、まだまだわかりませんですよー)
人前に出れば、頼りなげに?口をきくのも苦手そうにふるまって静かにしているんですが。
だからみんなが助けてくれるんでしょうか。
「まったく頼りないっ!」てところです。実際そうなんですが、気だけは強いのかも。
麻雀の最中に亡くなる人がよくいたそうですね、昔は。伸三麻痺だそうな。死ぬことを「ニゲル」と言っていた時代が合ったそうな。
本からの知識です。
そういえば、我が家の爺さま(50代で亡くなっています)も麻雀好きで、同僚を連れて来ては家でしていたそうです。その後急変し、亡くなったとのこと。聞けば心臓でした。
何もなくて良かったですね~~
「人の常・世の習い」もほどほどに受け入れて、
埋もれぬようにします。
悪さ坊主の四つ目の高校。(父はよく私を諦めなかった。感謝)毎晩食後に将棋指し、壁に貼った勝敗表にいつの間にか残った数字が768勝765敗。
中学1年から一人暮らしを始めた私でしたが、思春期に唯一父と暮らしたあの一年は、私が父に甘えた唯一の時間。だから今でも忘れないのでしょうね。
何故?中学から一人に?母が私のブログを読んでるようなので、それはブログにはかけない内容。
いつか母が自分を許せた時にでも書きましょう。
母には感謝以外の想いは無いが、母にはそうではないらしい。どうすればこの想い通じるかこれも永い私の課題です。
「人の常、世の習い…」受け入れなさい…というのは「親鸞」に出てくる法螺房のセリフの受け売りです。
埋もれちゃいけません、はねっかえしてもいけません、程々に受け入れる…これがよろしいようで…。
マージャン、賭け事には違いありませんが、飽くまでも友達と遊ぶ家庭マージャンの域を出たことはないんですよ。それでも、136枚という多くのパイを駆使する人間性の出てくるゲームですから真剣に取り組みました。ある意味、家庭を犠牲にしかけて反省したこともあったような……。
今は、夜更かしが少しアホらしくなって足を洗いました。心臓麻痺に至らないうちに…です。
そう言われてみれば、ここんところ何故か妙に納得…の場面が多いですね。
あれこれ思いを巡らすのに、一体どの部分が本来の姿なのか、全く正体はベールで覆い隠されているのか。
そんな部分部分をつなぎ合わせて、創り上げた全体像を想像しながら、手探りのコメントを差し上げる今まででした。
それが、少しずつ、ホンの少しずつですが、「やっぱろそうか……」「ホラね、予想していた通りでしょ…」みたいな一部分が見えてきた、いや勝手にそう思えるようになってきたということでしょうか。
でも、まだまだ謎の部分が多いです。
「全く頼りないっ」って周囲のみなさんが助けてくれる。しかし、冷静な自分はそこにいる…。私もそんな周囲の一人に近付いているのでしょうか…長くなって失礼。
あ~~~~やっちまった~~~~
恥ずかし~~~い(*><*)
いろいろと…、でも誰もがそうです。隠しておきたいこともあるし、触れられたくない部分だってあるわけです。
「お誕生日おめでとう」の声、届いているはずです。
(軽々しく言ってはもうしわけありませんが、信じたい、かな)
あ~~「変換の罠」(笑)
頼りないのは事実なんですけれど、
あまり出過ぎちゃまずいんです、実のところは。
と、自らフォローしておきます。
これまたバカにもなりきれないのですが、何と申しますか、そうした面を出している方が、ですね…良い場合もあるのでございますよ(笑)
ふりどころか、実際「おばか」かもです。「ふり」は余計ですね。
そのへんの加減が、ですね、難しいのでございます~。
イメージダウンではないと聞かされあわてました。
見破られてるーって。
じわじわと…??
薄っぺらく、隠すほどのものはないので時間の問題でしょうか。しかし、あまりあけすけになってもつまりませんね。
せっかくですから少しは謎めいていた方が。