刈り入れ前の麦色が辺りを埋め尽くすかと思えば、水田の緑の量も増した米どころの風景を車窓から楽しんで、JR北陸線高月駅で下車。もうここまで来ると、琵琶湖北端の近江塩津に近いのです。
「有名な渡岸寺の十一面観音像をはじめとして、沢山の衆生済渡の仏さまたちが、静かに立たれたり、お坐りになったりしている古い町。琵琶湖を隔てて、遠く比良山系を望める美しい町、高月」(文学碑「聖韻」の詩文に 井上靖著)です。
昨日、30数年ぶりで二回目になりますが、手入れの行き届いた環境に静かにたたずむ渡岸寺(どうがんじ)観音堂を参拝。ここから東へぶらりと歩いたお隣には歴史民俗資料館があります。黒田官兵衛博覧会連携会場・開館三十周年記念で特別展が開催中です。
そのあと、平成5年4月29日にオープンした「井上靖記念室」を伴う町立図書館へ向かいました。『星と祭』(井上靖)に描かれている湖岸の十一面観音像が縁となって完成です。
遺品の品々、『星と祭』の複製原稿、地元民との交流の写真、氏の著書がずらりと並び、書斎を再現したコーナーなどがありと、小さいですが氏と十一面観音との関わりに焦点を置いた部屋になっていました。愛用の背広をマネキンが着ていて、立体感があるためか井上靖さんのそばにいるような気もしたり…。
【当初からこの事業は積極的な指示を得てはいなかった。本なんか読むのは限られたものだけだ、図書館など作っても活用などできるわけないと否定的な意見が多かった。にもかかわらず、背伸びしたものになってはいけないと注意もしつつ、本格的な図書館を作ろうと準備した。
オープン当日は司馬遼太郎さんに記念講演を依頼。弁当や景品をつけなければ人など集まるものかといった声が、職員の中からも上がっていた。ところが、千人収容の小学校体育館がいっぱいになってびっくり。町はじまって以来の大きな式典となってドタバタしているうちに一日が終わってしまった】
資料として置かれていた館長さんが書かれた「小さな記念室から」から、こんな経過が読みとれました。
この日を境に図書館をめぐる空気は一変。本の利用率は初年度から日本一に。
駅周辺にはコンビニの看板ひとつ目に入りません。穏やかな田園風景が広がる地帯、図書館に期待した人たちの熱い思いが計画を支え、利用率を上げているわけでしょう。
氏は小説を上梓後も幾度となく湖北を訪れ、渡岸寺や石道寺(しゃくどうじ)の十一面観音と出会い、それを秘仏として守り続けてきた土地の人たち、観音堂で参詣人の世話をする老人たちとの出会いも重ねられたとか。そして、土地の習俗、信仰として秘仏を守っていくのではなくて、公開し観音さまが本来のお役目を果たされるようにすべきだと熱心に説かれたのだそうです。それが、秘仏公開のきっかけとなったことを知りました。すごいことです~…。
また同じ風景を見て京都駅に戻りました。
収蔵庫なのは残念ですが、目の前に、花もお供えもなく、ただ観音さまがおたちです。
田んぼに埋めて守られたそうです。
渡岸寺の十一面観音様をいつかは拝観したいと願っているのです。
写真で拝見する像はゆったりと、なよやかで心を惹かれます。
土地の人たちがいかに大事に守り通したかわかるような気がします。
日帰りで出かけられるなんて羨ましいです。
縁を大切に、氏の功績を顕彰していこうという気持ちあふれる記念室なのだと思います。
「観音の里」ということばも作品の中から生まれてきたようです。
多くの観音様を戦禍から守り継いでいる土地柄、地域の方々の心根など思いました。
やはり郷土の方々には作品も土地の歴史もともに誇りでしょうね。
文化施設も少なそうです。
町民にとっては待たれた施設だったのではないでしょうか。
最後の写真は、記念室からの眺めです。
記念館でなくて記念室と名付けられたのも
奥ゆかしさを感じます。
麦秋、水田の若みどり、気持ちよかったでしょうね?
本の利用率は初年度から日本一に。>
関係者は努力もなさったことでしょうが、大したことですよね。
今旬の黒田官兵衛さんもご覧になったのですね。
よい1日を過ごされました。