私個人にとって大事な方の命日を迎えていたが、数日遅れで東本願寺にお参りをした。
かれこれひと月以上、市内の人混みを警戒し出ることがなかったので京都駅も久しぶりだったが、時期も時期でか思うほどの人の出はなかった。
御影堂へ向かうと、恩徳讃の最後の一節、
師主知識の恩徳も
ほねをくだきても謝すべし
を和す声が聞こえてきた。終わると僧衣姿の人たちが数十人、お堂から出てきたが何が。
京都は伝統仏教の本山があり(ないのは曹洞宗と日蓮宗)、お金では買えない権威の都である、とお話を聞いたことがあった。
本山の権威、家元の権威、大学の権威。文理融合した知識人の社交場となる祇園、女将さんたちは話題についていけるインテリであった、とも。
親鸞聖人の七百年大遠忌が営まれたのは1961(昭和36)年4月。(もう61年も前の話にはなるわけだが)、その年の1月には知恩院で法然上人の七百五十年大遠忌(だいおんき)が営まれた。合わせると人口100万の都市に400万からの人が集まってきたというから、民族の大移動にも近く、
「京都は現世の極楽浄土であった」と『梅棹忠夫の京都案内』にある。寺は“観光施設”ではなく信仰に直結する力を持っていたのだ。
また、昔から京都にあるさわってはいけないもの”三つ”に、祇園と、西陣と、本願寺が挙がっている。氏は本願寺に代表される宗教勢力の健在ぶりを認めておられた。
61年も経た現在、時代の変化はあると思うが…。
確かに本山はどこも立派。ここで御影堂門(写真の右手)を見ても、なんて大きなものがといった類での“権威”を感じてしまう。大きな声じゃ言えないが、末寺の、ひそやかな日常の気配、構えが好ましく思うのだな。
とは言え、ここに来ると気持ちが穏やかになる。
お世話になったご縁に感謝して手を合わせ、「現世の極楽浄土」の風を受けて縁の端にしばし腰を下ろしていた。
ヒンヤリとした風に季節の移りを感じながら。
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