朝の散歩で花を摘む。
何かを思い、誰かを思って。
母は自分の誕生日に子の心を受け取って、
コップに挿した。
立派ないけばなになった。
無心な行為の中に四歳児の“子なり”があらわれる。
子供時代を振り返ったとき、この日のことを思い出すことがあるだろうか。
あってほしいなあ。
でもねぇ、今、僕は“走る人”で夢中なんだー。
Tylerが自転車買ってもらったから、まだ乗れない僕は走って一緒に遊びに行くんだ。僕も自転車欲しいけどね。あと何年待てばお古が回ってくるのかな?
子供のこうした無邪気な、一生懸命さは何よりの輝きだと思う。
子は宝。だから、どの子もどの子も、幸せに…。
❝朝の散歩で花を摘む❞
素敵なメルヘンに出会わせていただきました。
身近なところにいる幼子を感じながらの生活は、ほのぼの無邪気に気持ちを揺さぶられます。
まさに子は宝。幸せになってほしいものです。
誕生日にはケーキを食べてプレゼントをもらう。
それが記憶にある4歳児ですが、贈るという行為を覚えたのでしょうか。
素朴な花が家の中にあふれ、一抱えのバラにはない幸せがありそうです。
外に出れば、兄に負けまいとひたすら走る4歳児の姿がまた愛おしいこと。
一方で、ニュース映像を通して見る、悲しい目をした子供の姿がいたたまれません。
後姿がまたいいですね。
お兄ちゃんのお下がり自転車に乗れる日も
遠くないでしょう。
青空が羨ましい日本です。
友人宅で遊ぶなどが日常でした。
大きな違いです。
そのぶん兄弟一緒の時間は増えたようです。
4歳児の脚力、持久力は鍛えられていますから(笑)
走るのも嬉しくて仕方ないのではと想像しています。