京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

どっちにいたって夢の中

2024年02月18日 | 日々の暮らしの中で
2日、3日と遅くなるのに気づいていた。結局、よし!と気持ちを入れたのは(来年飾れる保証はないしな…)という思いだった。
緋毛氈を広げると、お内仏の部屋は華やかな座敷に一変する。桐の箱から一体ごと取り出して、お顔を包んでおいた薄紙を取り外す。


        箱を出て初雛のまゝ照りたまふ       渡辺水巴

何度こうした瞬間を味わい、喜ばせてもらって来たことか。やっぱり飾れてよかった。
「きれいやなあ、きれいやなあ。お父さんたちに見せたいなあ」と、飾り付ける脇に来てはそう口にしていた義母。飾り台の後方で、写真の義母が笑っている。


2015年3月9日付けの、ハルノ宵子さんの「3.16のお雛様」と題した短いエッセイの切り抜きが残されていた。この3年前の2012年に、父親の吉本隆明氏は亡くなられた。

吉本家では、思う存分〈現世〉にいていただこうと3月いっぱいはお雛さまを飾っていたそうだ。隆明氏が入院中も、例年通り、氏が寝所としていた和室の客間に飾ったという。
隆明氏が旅立ったのは3月16日。
病院から連れ帰り、まだお雛様が飾ってある客間に布団を敷いて寝かせた。やって来た葬儀社の人からは片づけを促されたが、それを断って、
【赤のお雛さまと白いお花に囲まれ、実に愛でたいお通夜となった】と書いてある。

もともと夢とうつつの境界が曖昧なところがあった、と父親をみるハルノ宵子さん。
12分の11カ月ほどを暗闇に閉ざされて過ごすお雛様も、「現世こそが夢」
「いいんじゃないの。私たちはどちら側にいたって夢の中なんだから」と、隆明氏の帰りを待っていたお雛様は微笑んでいたらしい。



闇を照らすのは、ぼんやりと明るいぼんぼりのほのかな光。
真の強さを内に秘めて、表はきよらに、ほのかに、雛は揃う。
王朝の雅。春の夜の夢は、おぼろにつつんで…。 宵子さんさすが。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする