梅は春一番に咲く花ですが、まだ春ではないのに「年の内の雲間」に「春待たでほほ笑む」白梅を今日、よそさんの玄関先にながめました。
「年のうち」というも「今宵ばかり」の今年。年が明ければ春です。(…と、冷泉貴美子さんの「四季の言の葉」を参考に)
母親の婚約者に家から閉め出されて、夜の公園で本を読んでいた8歳の律。姉の理佐は高校を卒業し短大に合格したのに、入学のための費用を婚約者のために母親は使ってしまっていた。理佐は妹を連れて独立を考えた。
蕎麦屋さんで働くことになり、そば粉を挽く水車小屋にはネネという名の鳥・ヨウムがいた。
「仕事をして、ネネの世話をして、周りの人や知り合った人々に親切にして」、二人は暮らしてきた。
姉は18歳から、28、38、48、58と齢を重ね、妹の律も8歳、18歳、38、…と齢を重ねていく。極めて長編の物語は新聞に連載されたものを加筆修正したとあった。
「自分は…これまで出会ったあらゆる人々の良心で出来上がっている」
「二人の生活が心配でたまらないけれど、なんとか暮らしを立ち行かせようとしているのを見て、自分がその手助けをできるんだと思った時に、私なんかの助けは誰もいらないだろうと思うことをやめたんですよ」
8歳だった律を受け持った藤沢先生は62歳になっていて、48の律に話した。
自分が生きることが他人が生きることと結び合っているから生きることが楽しくなる、と言われたのは、むのたけじさんだったと思う。
そうそう!と、〈パドマの誓い〉とされていた好きな言葉が浮かぶ。
原石のごとく
比べようのない輝きを有す あらゆるいのち。
それらのいのちは相互に照らし合って
自己を知り、
より深い輝きを放つ。
『水車小屋のネネ』。さまざまな感情を体験させられて、何度も鼻の奥がじーんと詰まって、涙になるのだった。
人が人の〈善意〉という部分をわかり合っている。だから、あたたかくもしみじみとした読後感なのだろう。
冬の終りに、心温めた。