京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

能登の海は

2024年01月09日 | こんな本も読んでみた
「能登の海は目が覚めるほどの群青色で、底まで澄み渡っていた。この地に生まれた桃山時代の絵師、長谷川等伯(1539~1610)もこの海を見ただろうか」

こう書き始まるのは2019年5月19日付の地元紙コラムで、
「今年生誕480年。石川県七尾市の武家に生まれ、染物屋の養子となった等伯は、後ろ盾もなく30代で京に上り、名門狩野永徳と肩を並べ渡り合った」と続く。
能登と京都の人々は琵琶湖の水運で今以上に緊密に行き交っていただろうとも書かれている。

古いスクラップをめくっていたのは、就寝前のわずかな時間に読み継いで、『花鳥の夢』(山本兼一)を読み終えたからだった。


安土桃山時代、足利義輝、織田信長、豊臣秀吉など、時の権力者たちの要望に応えて多くの襖絵や障壁画を描いた永徳。長谷川等伯との出会い、確執。一門を率いる棟梁としての苦悩。乱世に翻弄されながらも天下一の絵師を志す生涯が描かれていた。
今一度ざっと全体を振り返るつもりでいる。

ライバル、『等伯』(安部龍太郎)を先に読んでいた。

そのせいか読後は、大徳寺三門の楼上の天井に描いた龍の絵のことなどが思い出され、公開されるんだったかな??などと思いがいったのだった。
スクラップには忘れていた古い記事が現れた。

書き出しの一文は、まさに現在の能登の姿が暗く覆い尽くしてしまう。
もうはるかに昔のこととなり海の青さも薄れているが、輪島を訪れ、七尾の温泉旅館に泊まったことがあって、なんとも切ない思いでコラムの書き出しを読み返す。
コメント (6)
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