京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

方丈の庵跡をたずねて

2022年06月19日 | こんなところ訪ねて
連れを得て、日野の里に方丈の庵跡を訪ねてみた。
東西線「石田」駅を下車、真っすぐ、法界寺へと右折せず、真っすぐ真っすぐ、日野山へ小さく右左折すると、あと「800m」の標識があった。

山のふもとには「一の柴の庵あり。すなはちこの山守が居る所なり。かしこに小童あり。…つれゞなる時は、これを友として遊行す。かれは十歳。」(原文の引用は岩波の日本古典文学大系『方丈記』より)と記され、
小説で、がや丸と呼ばれた少年の家はどのあたり?と思い出しつつ、ゆるやかな上り道を15分ほどか進んで、ようやく山中への入り口に立った。

山道を10分も行かないうちにこの標識に出会う。



木漏れ日が美しく、頭上にホトトギス啼きかわし、野鳥の姿も見え、汗っだくだけど苦にならない。


春は藤波を見る。紫雲のごとくして、西方に匂ふ。夏は郭公(ほととぎす)を聞く。…秋はひぐらしの聲、耳に満(て)り。…冬は雪をあはれぶ。

進んでいくと、見えた! 方丈の庵の土台となる大岩。脇から岩の上に上がると「方丈石」の碑。大原住まいから移って、ここに方丈(1丈3m強四方)の庵を建てたとされる。彼自身によって、組み立て式に工夫された庵。

小説では、風が強ければ「庵の薄壁と板戸がガタガタ揺れ、桟木がギシギシ軋む。床下から風が突き上げる。これは薙ぎ倒されるか、小屋ごと吹き飛ばされるか」の心もとなさが描かれた。そうだろうなあ、第一こわくてこのような場所に一人ではいられない。この仮の庵もついには彼の「ふるさと」と書くようになる。






「つれづれなる」ときは、がや丸を友として遊行している。
「つれづれ」は、月の障りで里下がりした女の「ああ、つれ(連れ)がほしいなあ」といった思いを表す女房文学での言葉で、隠者文学には使わない。仏に仕える身で「つれづれ」とは隠者失格、退屈を感じているなど恥ずかしい告白となる。…と、かつて『徒然草』の一つの読み方を学んだ。

時々思い通りにいかないことに出会って、しぜんと自分の不運なことを知り、出家するも仏の道に入り切れない長明。
「すこぶるつきの自尊心とその裏返しのひがみ」で、「人に軽んじられるのは我慢なら」ず、「あれこれ邪推して腹を立て」「激昂して喧嘩して、失敗」(『方丈の孤月』)を繰り返すのは、日野の里に隠棲してからも…。「今生の恨みを晴らせるだろうに」なんて心境ものぞく。

仏の教えの趣意は「事にふれて執心なかれとなり」。なにごとにもとらわれるな、ということである。「この草庵を愛しているのも、世を離れた生活にとらわれるのも、仏道に入るうえでの障害。世を逃れ、山林に住まうのは、心を修めて仏道に入るためである。それなのに、姿は僧だが心は濁りが染みこんでいる」…自己嫌悪気味な長明、「こころからの要求ではない念仏をニ、三遍となえてみたが、やめた。」と記す。

人間らしさがある。「恥多き人生」と内省し己を見つめる姿には、私自身にとっての救いでもあるような…。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする