@tomomatsuoka11 うん、すごく切なかった。
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2019年3月17日 - 00:00
主役の二人の佇まいや、風景もとてもよかった。
そして最後のシーン…
援助職の人の中には、繊細な感覚を持っている人がたくさんいて、
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2019年3月17日 - 00:14
それを自身の芸術的なセンスに活かしたらもっと楽になるのにな、と思うことがある。大抵は援助職という役割で自身の立場を作って保っているような気がする。
表現行為と援助職は相反するものではないと思うし、むしろその通路が大事。
@tomomatsuoka11 5年くらい前に、ある舞台に出てヴァンパイアの役をやったのだけれど。
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2019年3月17日 - 00:19
歳をとらない/死ねない/ずっと旅をし続ける、というのは本当に孤独で辛いことだと感じました。エリもそうだったんだよね。オスカーと二人の旅も、またいつか終わってしまう。切ないね。
@tomomatsuoka11 なってみたらきっと寂しいよ。
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2019年3月17日 - 00:28
ずっとずっと世界の辛い部分もたくさん見て
好きな人たちがどんどん死んでいくから。
友ちゃんなら楽しめるかもだけど!
言葉にできないことを身体でどう表すかを扱う自分に
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2019年3月17日 - 00:52
「それは言葉にできなければダメ」と言ってくれたのは
ベテランのCPだったが彼女は本当に説明が下手だった。
しかしそれも含めて本当にありがたく思っている。
言葉にできる/できない/し… twitter.com/i/web/status/1…
不快を表現するのにただ泣くしかない赤子の時代を経て
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2019年3月17日 - 01:00
様々の体験を経て、
表現の方法、言葉と身体がもっと近くなればいい。
感覚と表現が近くなるということだから。
そのバランスをそれぞれに自分のやりやすい形でできるのがいい。
言えないで悔しかったことっていっぱいあるよね誰しも。
昨日はコレ。
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2019年3月17日 - 16:04
この絵は徳川家光筆。
禅画を含めた
ヘタウマオンパレード。
#府中市美術館 pic.twitter.com/lqflbhwf3p
すべての親は仕方は違うけれど子どもをうまく愛せない。でも、「うまくわが子を愛せない」でじたばたしてる親の姿を子どもはしっかり見ていて、人を愛することの難しさを親子関係を通じて学ぶということが親子であることの甲斐なのでは、というような話をしました。
— 内田樹 (@levinassien) 2019年3月17日 - 19:24
先日の舞台の嬉しい感想をもらった。
— 原キョウコ (@body_wisdom) 2019年3月17日 - 22:32
そんな風に見られて本望だ。
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