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KYOKUKENZO'S WORKSHOP 2025

「道」は自ら切り開くもの。
他人の後追いは「道」にあらず。

あの賑わい。

2020年04月10日 | 中華料理
中華街は
ワイワイガヤガヤが
似合う街。

街を歩くと
気持ちが和らぎます。

いまは道行く人も

少ないと聞きました。

早く
この事態が収束して

早くあの賑わいが
復活してくれたらと
こころから願っています。kyokukenzo
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朝がゆ。

2020年04月09日 | 中華料理
中華街の朝は
朝がゆと迎え酒。

この店

朝から行列のできる
超人気店です。

注文したら
すぐ出てきました。

カベの額には
「粥に人を待たせてはいけない」
とあります。

なるほど。
そういうことか。

ごちそうさまでした。kyokukenzo
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かならず。

2020年04月08日 | 歳時記
(昨日からの続きです。)

そして

この旅から2年後
彼女はひとり旅立った。

だからなおのこと
この旅は心に残る。

10年ほど前に流行った
このインフルエンザは
多くの命を奪った。

でも私はあの
インフルエンザがなければ
予定通り中国五岳
「泰山」を登ったはず。

彼女と一緒の
「富山旅行」は
なかっただろう。

インフルエンザの
「おかげ」だ。

顰蹙を買うかもしれないが
敢えてそう言う。

あの災いがあったからこそ
あの福があった。

いま世界中が
新型ウイルスに怯えている。

多くの方が命を失った。

経済にも
大きな影響を及ぼし、
多くの方が
大変な思いをしている。

一日も早い
事態の収束を
願うばかりだが

現状が収束して
今をふり返ったとき

この事態で本当に
大変だったけれども

これがあったから
あんなことができた。
あんなことに気づいた。
あんな良いことがあった。

と思えることが
あればいいなと思う。

人生山あり谷あり。
それを全部
ひっくるめての人生。

冬があるから
来る春が嬉しい。

逆境を順境に。
嵐はかならずおさまる。

その日が来るのを
私は待っている。 kyokukenzo

このたびの
新型ウイルスで
命を落とされた
多くの方々の冥福を
心からお祈り申し上げます。

また、罹患した皆さまの
一日も早い快復を
願っております。曲 健三


追伸。
あこがれの「泰山」は
それから5年後に実現し
夢が叶いました。kyokukenzo
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人間は偉大だ。

2020年04月07日 | 歳時記
(昨日からの続きです。)

彼女が
連れて行くという山は
立山連峰のことだった。

あの
渡航断念から1か月。

ちょうど私の誕生日。
私たちは小松空港に
向かう機上にいた。

彼女が企画したふたり旅。

初日は
金沢で古街や祭り見物。

翌日は高山を廻って
富山で旧友と会った。

富山での滞在は
わずか1日だったが
旧友と酒を飲み語った。

忘れえぬ夜だった。

そして3日目。
富山から立山へ。
乗り物を乗り継いで
室堂から黒四ダムへ。

堂々たる黒四ダム。
そのスケールに
圧倒された。

足が震えた。
よくこんなところに
こんなどでかいものを
造ったものだ。

つくづく人間って
偉大だと思う。

その後二人は
長野の信濃大町から
石和温泉に向かった。

心に残る旅となった。kyokukenzo

(明日に続きます。)
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ある提案。

2020年04月06日 | 歳時記
(昨日からの続きです。)

その後
インフルエンザは
200以上の国で流行。

パンデミックとなり
18,000人以上の人が
亡くなった。

中国での流行は
なかったようだが
渡航断念の決断は
正しかったと言える。

忠告をくれた友や
決断を後押し
してくれた妻には
心から感謝している。

と、

今だからそう思えるが
でも当時は・・・

渡航を断念して私は
気持ちが萎んでいた。

泰山へ同行を
お願いしていた方にも
申し訳ない気持ちがあった。

そんな私を見て妻は

まだクヨクヨしてるの?
そろそろ気を取り直して。
山なら私が
連れて行ってあげる。
と笑った。kyokukenzo

(明日に続きます。)
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渡航断念。

2020年04月05日 | 歳時記
(昨日からの続きです。)

その前年に中国で
鳥インフルエンザが
流行しており

日本にも感染が
伝えられていた。

ふ~ん。

とテレビを観ていると
携帯が鳴った。

香港の友人からだった。

「中国行はやめた方が良い。」
「え?」
「なんかあったら会社の名前でるよ」
「あゝ。」

やはり私は考えが浅い。
言われて初めて
そこに気がついた。

自分だけは大丈夫?
リーダーとしてどうか?
自分のことしか考えてない?

どうしよう。

最終的には妻の一言
やめたら?」で
山はあきらめることにした。

今回はいたしかたない。
やめる勇気も必要か。

と、私は
自分の心を慰めるが

気持ちが萎んでいくのを
感じていた。kyokukenzo

明日へ続きます。
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10年まえのこと。

2020年04月04日 | 歳時記
(昨日からの続きです。)

あれは今から
10年くらい前のこと。

GWが終わり
私はぼんやり
TVを見ていた。

するとニュースでは
成田からの中継で

なにやら新型の
インフルエンザに
感染した高校生が

空港で隔離されたと
報じていた。

実はその3日後
私は中国への渡航を
予定していた。

目的は山東省の
スープ工場の
視察だったが
もう一つ目的があった。

それは
中国五岳のひとつ
「泰山」に登ること。

あこがれの泰山。

そのとき
私のこころは
弾んでいた。kyokukenzo

明日に続きます。
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富山の人。

2020年04月03日 | 歳時記
大手清酒メーカーの
北海道支店長が
ご挨拶にみえた。

いろいろ
話をするうちに
彼が富山の
ご出身であると知った。

富山なら
行ったことがある。

旧知の友人が住む街。

立山連峰が控える
「山に富む」街。

ブリや白エビが美味しい。

戦後再生した
きれいな街並み。

富山について
知っていることを
立て続けに話したら
記憶が蘇ってきた。

富山を訪ねたのは
今から10年ほど前のこと。

今日から
何回かに分けて

その時のことを
書いてみたいと思います。kyokukenzo

明日に続きます。
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しれとこ旅情。

2020年04月02日 | 北海道
知床産の素材に
とことんこだわる
しれとこフェス。

オホーツクの
多彩な海産物に
舌鼓を打ちました。


昨年の秋に訪ねた

オホーツクの街。

知床の美味しいものと

知床の人情に触れました。

熊の生息地の
細道を歩いた私たちに

怖いものなど
もうありません。

チリホコリみたいな
コロナ野郎。

来るなら来い!kyokukenzo
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悲しい気持ち。

2020年04月01日 | 歳時記
次兄が死んだと
電話を受けた朝

私は仙台に居て
仕事で山形へ向おうと
玄関先にいた。

その悲しい知らせに
私は嗚咽し

いつまでも
受話器を握りしめていた。

震える私の背中を
妻がさすってくれた。

父の他界。
その知らせを聞いたのは
上海のホテルの一室。

泣きながら外へでて
妻と街を彷徨い
深紅の絹布を求めた。

札幌に帰ると
母は私の手を握り

私の悲しみを
しっかりと
受け止めてくださった。

私は涙を拭いて
父に絹布をかけてあげた。

妻が逝ったとき
私のそばに妻はいなかった。

そしてこのたび

長兄と母が
相次いで他界した。

母は95歳。

95歳は
天寿を全うした
年齢とも言えるが
やはり寂しい。

兄も病気が重く
少し覚悟はしていた
とはいえキツイ。

だけど

悲しいけれども
泣いてなんかいられない。

いま

だれかの悲しみを
受け止めるのが私の役目。

いただいた恩を
送るときはいま。

強く心にそう決めている。kyokukenzo
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