Yさんの閑日好日雑記

徒然に、気まぐれに何かが見つかれば

英国大使館の桜

2015年03月31日 | 日記
3月30日
新宿の富士フォトギャラリーに寄り、半蔵門の写真協会へ出向く。
ギャラリーは御苑の近くなので、付近の人が普段より多い。
桜の観桜であろう。また半蔵門も外堀から千鳥ヶ淵が近いため
普段より人通りが断然に多い。

この辺りは、オフィス街と高級マンションが建ち並んでいるため、
昼間でも静かなところであるが、桜に浮かれた人々の往来で少し
ざわついている。

英国大使館の通用門から短い桜並木があるが、当然中には入れない。
また、普段はいないのに門の内側にガードマンが二人も立っている。
カメラも向け辛い感じで、少し離れてシャッターを切る。

今日で写真協会の公募展に関する作業は、一段落した。
帰りに友人のM氏と三茶のそば屋で、軽く呑んでそばを手繰って帰る。

中央本線の思い出(3)

2015年03月30日 | 日記
中央本線の高尾―大月間で大きくスピード化のために改善されたのが、
鳥沢駅―猿橋駅間の路線変更であろう。
開業以来、私が子供時代の昭和30年代前半までは単線区間であった。
単線時代は、鳥沢駅を出ると線路(地図上の黒い線)は桂川の北岸を大きく
迂回して走り、日本三奇橋の一つ猿橋を一瞬車窓から見る形で桂川を渡って
猿橋駅に向かっていた。

これが、輸送力増強とスピード化の大きなネックになっていた。
同区間の複線化に際して、従来の旧線を廃止して新桂川橋梁と猿橋トンネル
(全長1222m)を施設する新線を計画して実施した。
1968年(昭和43年)のことである。

この新橋梁とトンネルの完成は活気的なことであった。
1959年(昭和35年)7月の時刻表で見ると高尾―大月間は各駅停車で
約1時間掛かっていた。
例えば高尾発13時58分の2、3等旅客列車の大月着は14時51分。
高尾発14時58分発の各駅停車は大月着15時56分であった。

開通当初の時間短縮は正確に把握していないが、現在はこの区間の各駅停車は
37分(特急待合せの場合は40分強)で走破している。
今はED16形デンカンに牽かれた客車列車で、日本三奇橋の猿橋を見たのは
遠い昔の懐かしい記憶でしかない。

中央本線の思い出(2)

2015年03月29日 | 日記
子供時代から乗っている中央本線は、長い年月を経てスピード化に
車両の進歩は当然であるが、路線の改良工事も行っている。
特に私が良く乗った、高尾―大月間について簡単に検証して見る。

私の子供時代は、浅川駅(現高尾駅)―大月駅間は単線であった。
浅川駅が高尾駅になったのは、1961年(昭和36年)である。
浅川駅から小仏信号所駅(現在はない)間が1964年(昭和39年)に
複線化された。その翌年、浅川駅―相模湖駅間が複線化された。

写真のレンガ造りのアーチ橋は、旧甲州道の日影バス停付近の川に掛けられた
もので1964年以前の単線時代のものである。
子供時代に帰省した当時、このアーチ橋の直ぐ上に線路があった。
このような場所は、高尾駅の近くにも残されている。

浅川駅を過ぎると、中央線の電車線が終わり、長閑な山間部へと線路が
伸びていった。
長い小仏トンネルを抜けると、当時の与瀬駅に列車は進入する。
ここから、大月までは山肌を縫うように線路は引かれ、また幾つものトンネルで
山裾をやり過ごして山岳帯を長閑なスピードで走っていた。

現在は、かさ上げされたレンガ造りのアーチ橋のかなり上に複線の線路が引かれ、
当時とは格段に違うスピードで列車が通過する。
このようなアーチ橋を見ると、ED16形デンカンに牽かれて、ゆっくりと山へと
向っていった頃の中央本線を思い出す。

中央本線の思い出(1)

2015年03月28日 | 日記
中央本線は、子供の頃より一番馴染みのある路線と云える。
例えばED16形電気機関車、懐かしい「電関(デンカン)」である。
「デンカン」という呼称は、鉄道ファンの間でも現在死語に近い言葉である。
私の子供の頃は、SLなんて呼称はなかった。蒸気機関車は蒸気機関車である。
ただ「電関(デンカン)」は、都心の子供達には通じていた呼び名である。
デッキを前にした電気機関車の迫力は、子供心に格好が良い姿であった。

小学生の低学年時代に、夏休みになると1週間ほど山梨の祖父母の家に遊びに
行っていた。
その時に、父親と一緒に新宿から中央本線の鈍行列車で大月まで、旧型客車で
ガタンコトン、ガタンコトンと揺られながら行ったものである。
また父親は、当時国鉄の助役だったので2等パスを持っており、鈍行列車で
あるがスロハ32形であろうか半車2等の車両が連結されていて、必ず2等車に
乗ったものである。
もちろん私は無料、良く覚えているのは検札の車掌が来ると、父親が黒いパス
入れを見せると、絶妙の仕草で軽く敬礼をしてOKだったことを思い出す。
鉄道の良き時代であったのであろう。

話しはかなりズレ始めたが、その時の牽引した「デンカン」がED16であり、
このトップナンバーにもお世話になったかも知れない。
ED16は、1936年(昭和6年)に開発され、18両が製造されたとある。
当初は、中央本線の八王子―甲府間に充てられ、その後上越線、最後は南武線、
青梅線の貨物輸送で生涯を終えた。

いずれにしてもデッキのある「デンカン」は、EF形でもED形でも好きな電気
機関車である。
写真は、昨年訪れた青梅鉄道公園に静態保存されていたED16 1である。

(注)ED形とは動輪が4つある電気機関車で、EF形は6つの動輪がある。

花粉症・今年最悪

2015年03月27日 | 日記
今日も午後から写真協会へ。
花粉症の薬を携え、マスクをして完全防備で出かける。

ここ数日は、新聞、テレビの花粉情報で地図上が真赤に染まっている。
今年は、昨年に比べて花粉の飛散が最悪のようだ。
昨年は、3月2日から特効薬を服用し始めて、3月中に14回飲んだ。
ところが、今年は3月1日から服用し始めて、すでに20回飲んでいる。
一番困るのは、夜中突然鼻水が出ることである。
特効薬を飲んでも中々効果が表れず、つい寝不足になる。

早くこの季節が過ぎて欲しいと願うのみである。