Yさんの閑日好日雑記

徒然に、気まぐれに何かが見つかれば

これも影響か

2016年05月31日 | 日記
都営新宿線の車内。
中吊り広告が少なくなっている。
季節的に少ない時期なのか、はたまたトップの影響か分からない。

昨日、乗った新宿線車両は、裏白で反対側の広告がない。
またカット写真は先週の火曜日の車内。
乗車すると天井が広々していた。
2列の中吊り広告バーが空いていた。

偶然なのか、どうかは知らない。
もし影響が出ているとしたら交通局も我慢の時かな。

クモハ40・本線を走る(2)

2016年05月30日 | 日記
本線を軽快に走ってくれた、旧型国電クモハ40の続き。
本線上の旧型国電と旧型客車スイテ49展望車、ヘッドマークは「はと」号
が付いている。『昭和の良き時代だなあ~』と感傷に浸れる。
こんな60年以上前の雰囲気を演出できるのが鉄道模型である。

この「はと」号の編成は、ある方が65年前(昭和26年)の学生時代に
すべて手作りで製作した車両で室内の作り込みも、物のない時代を考えると
素晴らしい出来栄えの車両である。
持参された編成は、マユ33、オハ35、マシ38、マシ35、マイネ41、
スロ60、オロ36、スイテ49の8両。食堂車が2両あるのはご愛嬌。

8両とも室内も精緻に作られているが、例えばマイネ41のプルマン式
寝台の上段は寝台使用時と不使用時の折畳みが出来る細工をしている。
そこまでしますかと感心した。(カット写真)
またマユ33は、外から見えないが郵便車の車内を忠実に再現していた。

この方、何故この編成を今回お持ちになったかは夜間運転のためである。
65年前にも室内灯は設置されたそうであるが、流石に現在はLEDに
改良して温かみのある電灯色が燈っていた。
小生の大好きな旧型客車、そして優等列車の素晴らしい作り込みの車両を
見せていただいた。

クモハ40・本線を走る(1)

2016年05月29日 | 日記
横濱模型鉄道倶楽部・第4回運転会で小生が初めて所有したクモハ40
(OJゲージ鉄道模型)が本線上を走った。
走ることに心配はしていなかった。
何故かと云えば、この集まりの事務局である匠の車両工場で調整を
してもらっている。
ただ、レイアウトでの長い本線を走るのは始めてである。
低速もOK.高速もOK、変な走行音も無く、快調に走ってくれた。

写真の右下は、友人が送ってくれた写真カットである。
皆さんが、心配そうに見つめている。
走行を心配しているのでなく、前面の行先表示板がマグネットで本体に
止めているため、曲ったかで小生が直しているところである。

今回の運転会は、13時~21時まで行い、夜間運転も兼ねている。
『夜間運転』とは何ぞや、と思われるだろうが要するに会議室の灯りを
消して、車両の室内灯を点灯させ夜汽車の雰囲気を堪能するためである。
これもOゲージ&OJゲージのような大きな鉄道模型でないと、楽しめ
ない催しであろう。
20時30分頃、線路の撤収も済み、今日の運転会は無事に終わる。

町田―霞が関・ロマンスカーで

2016年05月28日 | 日記
久し振りの雨で気持ちの良い朝であった。
ところが元会社の同期会と夜は同じく送別会が重なった。
昼間の同期会は、飲む量を調整しようと思ったが、酒飲みが調整など
出来る訳がない。
と云いながら普段よりは押さえていた。

同期会は町田の海鮮居酒屋で、送別会は銀座で夕方からスタート。
同期の気の置けない連中と気持ち良く飲んで、語って町田駅のホームに
行くと「メトロはこね号」がやって来る。
これはラッキーで特急券620円を払えば、霞が関まで別世界の旅が
出来る。鉄道ファンならば当然乗る。車内はガラガラ。

途中、成城学園前、表参道に停車して霞が関に着く。
この特急、北千住から下りのライナー特急になる。帰宅時の車内は満席で
あろう。であるから上りは回送で行くよりもガラガラでも旅客営業した
方が良いのである。

町田から都心まで、通勤電車の乗継を考えていたが、思いがけない車両に
乗れた。

地獄の行軍(2)

2016年05月27日 | 日記
昼食が終わり、いざ次の市道山(795m)へ縦走を開始する。
コースタイムで約2時間。
ここで小生の不徳であるが、水が足りなくなった。
皆に聞いたら、『今日は歩く距離も長いので、いつもより多めに
持って来ました』そして『エ~ペットボトル1本それは足りないで
しょう』と冷ややかな返答。

約2時間30分で市道山山頂へ。最後は842mの臼杵山である。
ただ水がない。皆も流石に疲れているようだが、ここから臼杵山を
目指すことが無理なら、『醍醐丸経由で陣馬に下った方が楽であると
ガイドブックにある』と一番山に詳しい御仁が云われる。
これが間違っていた。

醍醐丸まで行くことになったが、この醍醐丸とは山の名で標高867m
もあり、臼杵山より高い。ここからが地獄の行軍になった。
途中の道標に「日本山岳耐久コース」なる文字がある。

やっと醍醐丸山頂へ。陣馬まで約5、5Kmとある。力がさらに抜ける。
途中の道標で和田バス停3、5kmとあった。こちらを選択する。
17時過ぎに里山の和田バス停に到着。水道があった。水が美味い。

結果論であったが、当初の計画通り臼杵山を登っていた方が、距離と
時間が圧倒的に早かったであろう。小生の水が十分なら踏破していた。