Yさんの閑日好日雑記

徒然に、気まぐれに何かが見つかれば

都電と案山子

2013年08月31日 | 日記
過日友人のKさんの鉄道写真展の帰りに、雑司ヶ谷から池袋まで歩いて
いた途中の風景である。
都電の停留場でいうと「鬼子母神」と「都電雑司ヶ谷」寄りの所になる。
話しが飛ぶが、都電を含めた路面電車は駅とは言わない。
我々の子供時代から停留場である。それを受け継いでいるのがバスで
「バス停」と云っているが、これも正式には「バス停留場」である。
話しを戻すと、この案山子のある一角は不思議な空間であった。
精々20坪程度の広さと思われるが、右手に青々とした稲?に案山子が
立ててあり、左手は水車と小さな納屋風の建物がある。
普通に考えると喫茶ルームとか何かの商売をしているのかと思うが、
そんな様子はない。
ただ走っている都電からも見えるので、昔の雑司ヶ谷はこんな長閑な
風景だったのだと見せているのかも知れない。
いずれにしろ謎多き一角である。

松坂屋銀座店・その後

2013年08月30日 | 日記
8月29日
午後からボランティアでJCIIビルに行く。
来年度の企画関係の打合せであるが、打合せが長引き不謹慎ではあるが
5時30分過ぎに抜ける。
夜は、銀座で仲間の会合があり、これに遅れるのも不味い。
あえてテーマがない1日であるが、何かを見つけなければと銀座に向かう
地下鉄で考える。
そうだ6月29日に書いた「ああ松坂屋銀座店」のその後を状況チェック
して見よう。
銀座には、6月末以来何回も行っているが松坂屋の存在は忘れていた。
もう塀囲いでもして、取り壊しの準備でも始まっているのかなと思いながら
銀座線を降りる。
夕闇迫った中で見た、「松坂屋銀座店」はまだ取り壊されず佇んでいた。
しかし時間の問題であろうか、しばらくすると囲みが出来この懐かしい
姿も消えていくであろう。


ベトコンのオフィシャルカメラ

2013年08月29日 | 日記
今年の冬、気の置けない友人の一人Mさんとベトナムに行った。
喧騒のサイゴンの雰囲気をスナップしたいのと、もう一つはFTという
カメラが展示してある博物館を見学したかったのである。
このカメラを知ったのは、友人のKさんのブログに掲載されて情報を知り
またご本人からも話を聞いた。
このFTは、ベトナム戦争当時・北ベトナムのオフィシャルカメラとして
使われていた。
この博物館を探すのに大変苦労した。今回はダラダラした文章になるが
カメラに巡り会えるまでの経緯を書きたい。
何しろサイゴンには、近い距離にベトナム戦争関係の博物館がいくつかあり、
どの博物館に展示されているかが不案内であつた。
最初に「統一公堂、旧大統領府」に入り、探したが展示していない。
次に「ベトナム戦争証跡博物館」に行く。ここは参観者がもの凄く多い。
外国人観光客、またベトナムの小、中、高校生の団体さんと溢れるばかりの
人である。ここじゃないかとMさんと館内を探したが見当たらない。
あったのは、石川文洋氏の写真集、着用ジャケット、N社のカメラが綺麗な
ケースに鎮座していた。
これは南ベトナムとアメリカ側からの取材関連のものである。
ここではないだろう。少し疲れたがKさんに国際電話をかけて、「どんな
感じの博物館ですかね」と聞くと、野外に戦闘機が置かれているところと
いう返事。「ベトナム戦争証跡博物館」も野外に置いてある。しかし違うな。
諦めて観光に行こうとタクシーに乗ると途中に戦闘機がおいてある由緒ありげな
建物が目に付いた。ここだろう。そこは「ホーチミン市革命博物館」であった。
「ベトナム戦争証跡博物館」と比較にならないほど参観者がいない。
ただフランス風の石造りの建物は、好感が持てるし有りそうな気がした。
あった。FTがちょっと薄汚れたガラスケースに展示されていた。
なんで戦勝国のオフィシャルカメラが、こんな扱いなのかが理解できないが。
しかし探し求めてやっと巡り会えた喜びは大きかった。
※文中「サイゴン」と記していますが、現在の名称は「ホーチミン市」です。

あるホームの終焉・その後

2013年08月27日 | 日記
7月30日に「あるホームの終焉」と題して、小田急線・旧下北沢駅
ホームのことを書いた。
下北沢駅は、我が家から井の頭線で渋谷へ出る時の途中駅である。
私は時々、下北沢駅で降りて小田急線・旧下北沢駅ホームがどのように
なっているか気にしている。
写真は、先週末の状態で上の線路が、京王・井の頭線である。
そして小田急線のホームはその真下にあった訳であるが、影も形もなくなった。
左手下が上り線ホームと線路があった場所。真中の石柱の左端から右側の
石柱の少し右寄りまでが下り線のホームであった。
「あるホームの終焉」は、下り線のホームである。
すべてが無くなった姿を見ていると、如何に狭苦しい場所にホームと線路が
存在していたものだと感心する。
因みに世田谷区が考えている将来のイメージ図は、ホーム跡は緑地化して周りに
ビルを建てる案であるそうだ。(もちろん決定されている訳ではない)
下北沢というと劇場があり、ごちゃごちゃした町並みにファンション関係の
店がありで若者の街という印象が強い。
時代の趨勢と云えばそれまでだが、下北沢駅周辺がビル化されていくと街の
様子も変わっていくのであろうか。











JCII

2013年08月27日 | 日記
8月26日
写真協会のボランティアで午後からJCIIへ出掛ける。
私のブログでJCIIという言葉が良く出てくるが、何だろうと思う方も
いるのではないだろうか。
このJCIIは、ギャラリーである「フォトサロン」を2つ持っており、
また「日本カメラ博物館」、「JCIIライブラリー」などを管理している。
そのJCIIビルの4階に「日本写真協会・PSJ」があり、また3階には
「日本写真家協会・JPS」が入っている。
ある意味で日本の写真界に関する、ある部分の総本山と云えるだろうか。
ボランティアの場合は、ほとんどがこのビルの4階へせっせと通っている。
今1階のフォトサロンでは、~幕末・明治の写真展~「フェリーチェ・ベアトが
見た日本 Part1」の展示である。
私は、特に記録写真が好きなので先日じっくりと見させてもらった。
フェリーチェ・ベアトに関しては、興味のある方はウィキペディアでJCII
フォトサロンで検索していただきたい。
私が感心するのは、写真そのものではなく幕末から明治時代のスナップの
中身である。
この写真から当時の日本の寸景が読み取れるが、如何に清潔で、且つ綺麗で
あったかが垣間見られる。
昨今外国人観光客などが日本は、ゴミなどが少なく清潔であると云われている。
この幕末から明治時代の写真を見ても、道端にゴミなどが落ちていないのである。
日本人の清潔好きは、この時代から受け継がれたDNAであろう。
夜は、ボランティアの先輩たちと喉を潤して帰宅する。