Yさんの閑日好日雑記

徒然に、気まぐれに何かが見つかれば

睦月が終わる

2018年01月31日 | 日記
戌年の睦月が今日で終わる。
小生にとっては、例年より長かった睦月のように感じる。
これも大寒波襲来に関係がありそうだ。

好天に恵まれた正月三が日から始まり、いくつかの新年会、写真展パーティを
前半で済ませた。
中旬に、JORC(日本0番鉄道倶楽部)の例会兼運転会があった。
それから結構時間が過ぎたような感覚である。

そしてさらにいくつかの新年会をやり、大寒波の襲来である。
寒波自体は10日頃から日本列島を襲っていたが、20日以降は記録的な
大寒波なった。
おまけに22日は、東京地方でも4年振りの大雪警報が発令され、かなりの
降雪で40Cmほどの積雪を記録した。

と云うことで長かった印象は、やはりこの大寒波と大雪の性であろう。
兎も角、何が何でも寒い睦月であった。
写真は、今月の一番印象に残る降雪のあった翌日の拙宅近辺。

「金目鯛鍋」の新年会

2018年01月29日 | 日記
恒例のオレンジスタジオ(カメラマン宅)での新年会が土曜日にあった。
昨年は「鴨鍋」、一昨年が「あんこう」と外で食べると値が張る食材を
決めて毎年行っている。

今年は、14名の参加者で盛り上がった。
例年通り午後3時からスタートして、皆ワイワイと鍋に舌鼓を打ちながら、
アルコールを胃袋に流し込んでいた。

ちょうど5時頃、テレビで《栃の心》の初優勝が決まった瞬間、何故か
また盛りあがった。
夜8時頃まで語り合い、来年は「カニ」でやろうなどと、気の早い食材を
決めて散会する。

寒い!

2018年01月27日 | 日記
月曜日の降雪から、東京も冷凍庫の中のような大寒波に襲われ、-4度、
-5度と信じがたい気温を記録している。
報道によると1970(昭和45)年以来だと云うが、ああ~大阪万博の
あった年の冬かと思うくらいで、その当時がこんなに寒かったかは記憶に
ない。

というのも、昭和45年以前を見ると体感的には寒かったのである。
戦後20年代、30年代、我々の子供時代は冬は寒かった印象しかない。
無論、暖房機器の稚拙さもある。あの当時の一番の暖を取る機器としては
炬燵であった。他は拙宅で使っていたのは火鉢であった。

なんか、今考えると「日本昔話の世界」のような環境だった。
それに比べれば、現代は暖房機器の発達も然ることながら、衣料品などの
進化も違う。だから寒さには充分に耐えられるはずだ。
でもやっぱり寒い! 写真はイメージで本文とは関係ありません。

雪晴れの日、同期会

2018年01月24日 | 日記
雪晴れの日、元会社の同期の新年会が新橋であった。
午後の13時スタート、交通機関が遅れ気味だが朝から動いていたので、
出席者全員が普段より早目に集合した。
私もそうだが、聞いて見ると皆、余裕を見て家を出たと云う。

拙宅の周辺は真っ白であり、また道路は雪道でグチャグチャだった。
しかし、地下鉄から新橋駅前に出ると、雪はほとんどなく、道路も雪かきを
したのか、普通に歩行ができる状態になっていた。流石都心は違う。

そんな雪晴れの日の同期会、2次会のカラオケを仕上げに18時頃に散会した。

4年振りの大雪で思い出す

2018年01月23日 | 日記
昨日の午後、東京地方に大雪警報が発令された。
夜半までの降雪で東京もかなりの積雪になった。
思い出すのは、ちょうど4年前の2014年2月の降雪である。

題して《ああ無情・雪害・・・・・2月15日
朝起きて、外に出るとビックリ仰天、駐車場の屋根が崩れ折れていた。
10年近く前に1度降り積もった雪でL字型の柱が曲っていたのであるが、
今回は完全に折れてしまった。
この屋根は、家を新築した時のもので27年近く経つから限界が近づいて
いたのであろう。
昨日の雪は、雪から雨に変わり水分を吸ったために、雪の重さが増しついに
耐えられなかった。》

この年は、2月8日が大雪になり、14日にまた雪が降った。
2週続いた積雪のため、老朽化した屋根が持たなかったのであろう。
この駐車場の屋根は、その年の12月に損害保険を適用して新しい屋根に
取り換えた。
そんなことがあったため、駐車場の屋根が気になった。何故か。
あの時はクルマを手放していたが、現在はクルマが鎮座している。
新しくした屋根は持ってくれた。
※写真は4年前の無残な姿の駐車場の屋根。