中央本線の高尾―大月間で大きくスピード化のために改善されたのが、
鳥沢駅―猿橋駅間の路線変更であろう。
開業以来、私が子供時代の昭和30年代前半までは単線区間であった。
単線時代は、鳥沢駅を出ると線路(地図上の黒い線)は桂川の北岸を大きく
迂回して走り、日本三奇橋の一つ猿橋を一瞬車窓から見る形で桂川を渡って
猿橋駅に向かっていた。
これが、輸送力増強とスピード化の大きなネックになっていた。
同区間の複線化に際して、従来の旧線を廃止して新桂川橋梁と猿橋トンネル
(全長1222m)を施設する新線を計画して実施した。
1968年(昭和43年)のことである。
この新橋梁とトンネルの完成は活気的なことであった。
1959年(昭和35年)7月の時刻表で見ると高尾―大月間は各駅停車で
約1時間掛かっていた。
例えば高尾発13時58分の2、3等旅客列車の大月着は14時51分。
高尾発14時58分発の各駅停車は大月着15時56分であった。
開通当初の時間短縮は正確に把握していないが、現在はこの区間の各駅停車は
37分(特急待合せの場合は40分強)で走破している。
今はED16形デンカンに牽かれた客車列車で、日本三奇橋の猿橋を見たのは
遠い昔の懐かしい記憶でしかない。
鳥沢駅―猿橋駅間の路線変更であろう。
開業以来、私が子供時代の昭和30年代前半までは単線区間であった。
単線時代は、鳥沢駅を出ると線路(地図上の黒い線)は桂川の北岸を大きく
迂回して走り、日本三奇橋の一つ猿橋を一瞬車窓から見る形で桂川を渡って
猿橋駅に向かっていた。
これが、輸送力増強とスピード化の大きなネックになっていた。
同区間の複線化に際して、従来の旧線を廃止して新桂川橋梁と猿橋トンネル
(全長1222m)を施設する新線を計画して実施した。
1968年(昭和43年)のことである。
この新橋梁とトンネルの完成は活気的なことであった。
1959年(昭和35年)7月の時刻表で見ると高尾―大月間は各駅停車で
約1時間掛かっていた。
例えば高尾発13時58分の2、3等旅客列車の大月着は14時51分。
高尾発14時58分発の各駅停車は大月着15時56分であった。
開通当初の時間短縮は正確に把握していないが、現在はこの区間の各駅停車は
37分(特急待合せの場合は40分強)で走破している。
今はED16形デンカンに牽かれた客車列車で、日本三奇橋の猿橋を見たのは
遠い昔の懐かしい記憶でしかない。