Yさんの閑日好日雑記

徒然に、気まぐれに何かが見つかれば

放送開始90年と語学放送

2015年03月23日 | 日記
3月22日
昨年も同じ日に、放送記念日として放送に関することを書いた。
今年は、1925年(大正14年)3月22日東京中央放送局(JOAK)
が東京市芝区(現港区芝浦)の仮送信所でラジオの仮放送を始めてから
90年を迎える。

NHKでは、いろいろな特集番組を組んでラジオ、テレビで放送している。
いくつかの番組を聴取、視聴した中で、語学放送が意外に早くから放送された
ことに興味を持った。
1925年(大正14年)7月より東京放送局から岡倉由三郎講師による「英語
講座」が始まったとある。この時には語学講座のテキストも刊行されていたと
云うから驚きである。
因みに岡倉由三郎氏は、あの岡倉天心氏の弟さんである。
この当時の日本人は、まだ明治時代から続く世界の文化に対する享受が強かった
良き時代であったのであろう。

太平洋戦争開戦と同時に中止されたとあるから、かなり続いたことになる。
戦争中は、適正用語として英語はすべて禁止されたことは周知のことである。
戦後すぐに「実用英語会話、「基礎英語講座」を開設したとある。
GHQからの押しつけもあろうが、日本人の変わり身の早さが分かる歴史的な
事実である。その中で1946年(昭和21年)2月に始まった「英語会話」は
大人気になった。私が生まれた年である。

月曜日~土曜日の午後6時台「証城寺の狸囃子」のメロディに『カム・カム・
エブリボディ・・・』の歌詞をつけたテーマソングは人々の心を惹きつけた
とある。講師の平川唯一氏の巧みな話術とユーモアのある題材で評判になった。
テキストの発行部数は、月29万~30万部に達し手に入れるのも困難であった。
(写真は愛宕山・NHK放送博物館にて)

放送開始90年と語学放送

2015年03月23日 | 日記
3月22日
昨年も同じ日に、放送記念日として放送に関することを書いた。
今年は、1925年(大正14年)3月22日東京中央放送局(JOAK)
が東京市芝区(現港区芝浦)の仮送信所でラジオの仮放送を始めてから
90年を迎える。

NHKでは、いろいろな特集番組を組んでラジオ、テレビで放送している。
いくつかの番組を聴取、視聴した中で、語学放送が意外に早くから放送された
ことに興味を持った。
1925年(大正14年)7月より東京放送局から岡倉由三郎講師による「英語
講座」が始まったとある。この時には語学講座のテキストも刊行されていたと
云うから驚きである。
因みに岡倉由三郎氏は、あの岡倉天心氏の弟さんである。
この当時の日本人は、まだ明治時代から続く世界の文化に対する享受が強かった
良き時代であったのであろう。

太平洋戦争開戦と同時に中止されたとあるから、かなり続いたことになる。
戦争中は、適正用語として英語はすべて禁止されたことは周知のことである。
戦後すぐに「実用英語会話、「基礎英語講座」を開設したとある。
GHQからの押しつけもあろうが、日本人の変わり身の早さが分かる歴史的な
事実である。その中で1946年(昭和21年)2月に始まった「英語会話」は
大人気になった。私が生まれた年である。

月曜日~土曜日の午後6時台「証城寺の狸囃子」のメロディに『カム・カム・
エブリボディ・・・』の歌詞をつけたテーマソングは人々の心を惹きつけた
とある。講師の平川唯一氏の巧みな話術とユーモアのある題材で評判になった。
テキストの発行部数は、月29万~30万部に達し手に入れるのも困難であった。
(写真は愛宕山・NHK放送博物館にて)