Yさんの閑日好日雑記

徒然に、気まぐれに何かが見つかれば

高尾山と温泉

2013年07月31日 | 日記
私は、山仲間と低山登山も趣味としておりホームグランドは高尾山である。
その高尾山は、一般的には表高尾(要するに京王線の高尾山口駅)から
登る登山者が圧倒的に多い。
最近私達は、裏高尾から登ることが多くなった。
裏高尾、要するに高尾駅からバスで小仏まで行き、旧甲州道の小仏峠を
登って城山から高尾山に行くルートである。
その辺のご託宣はどちらでも良いのであるが。最近高尾山口に温泉を
掘って銭湯設備を設けるという有り難い計画が持ち上がっている。
以前から何故、京王線の高尾山口駅近くに温泉は別にしても
スーパー銭湯がないのかが、営業的観点からも不思議であった。
冬場は、寒さを堪えて登って下山して、当然温かい湯に浸かりたいし
夏場は体中、汗でビッショリになり下山して来て、湯に浸かりたいのは
人間の基本的心情であろう。そして湯上りのビール。
どこに出来るのかと思っていたら、昨年の暮れにホーム端にボーリングの
櫓が立っていた。(温泉のボーリングかどうかは私の判断であるが)
こんなところに。これでは駅前温泉どころか駅中温泉である。
高尾山登山をするものにとっては、温泉が出なくても、スーパー銭湯でも
良いから早く造ってもらいたいものである。

あるホームの終焉

2013年07月30日 | 日記
この写真は、発表もしているし、一緒にいた仲間も撮っているので
承知の人は多少いる。
しかし、その辺は御免蒙ってあえて書こうと思う。
このホームは、小田急線・下北沢駅下り線専用ホームであった。
写真は、東北沢寄りの踏切から撮ったものである。
小田急線・下北沢駅は、3月23日に地下化され地上ホームは取り壊しを
待つだけの不要物になってしまった。
小田急線の下北沢駅は、1927年(昭和2年)4月1日開業とあるから
歴史は古い。
当然開業時は島式ホーム1本だったと考えられるので、開業当初からの
ホームであろうが、その後の車両編成が増えたことによりホームの
伸長はされている。ただ位置的にはそのままであろう。
たまたま一緒に行った仲間の会合の場所が、この踏切の先であった。
普段は、もちろん仮囲いの塀で閉ざされているが、偶然にも開けてあり
それはホームを取り壊すために囲いが取り払われていたのである。
会合の帰りにまた立寄ったが、ブルドーザー(写真真中より右の黄色)で
ホームのほとんどを崩している状態であった。
86年間も通勤、通学、もしくは何かの事情で利用した乗客に踏み固められた
ホームの最後の姿であった。

自由学園・明日館

2013年07月29日 | 日記
海外鉄道研究会の例会が、豊島区勤労福祉会館で行われたので、
少し早目に出掛け近くにある「自由学園・明日館」を見学する。
この建物は、前から1度見ておきたかった。
あの旧帝国ホテルを設計したフランク・ロイド・ライトとその
高弟・遠藤新の設計によるものである。
遠藤新は、戦前に甲子園ホテルなどを設計した著名な建築家である。
彼の設計した一般民家もまだ東京に数多く残っているので、
それはまた訪問して見ようと思っている。
この「明日館(みょうにちかん)」は、1921年(大正10年)に
建設されたとある。
この建物を何故ライトが設計したかは、次のようにある。
【自由学園・明日館のサイトから】
「羽仁吉一・もと子夫妻の教育理念に共鳴したライトは、簡素な外形の
なかにすぐれた思いを充たしめたい -中略―  空間を連続させて
一体構造とする設計は、枠組壁式構法(2×4構法)の先駆けとの
見方もあります。
ライトの第一期黄金時代の作風にみられる、高さを抑えた地を
這うような佇まいを特徴としており、プレイリースタイル(草原様式)と
呼ばれ、ライトの出身地・ウィスコンシンの大草原から着想を
得たものである。
建設当初は、多分草原風であった池袋の界隈に開放的な空間を
演出した」とある。
山の手線に乗ると、高田馬場から目白のあたりは谷になっており
線路は築堤を走り目白を過ぎて池袋に近づくと台地になって
いるのが良く分かる。
今は、東京屈指の繁華街になった池袋も100年前は原っぱであった。

海外鉄道研究会

2013年07月28日 | 日記
7月27日(土)
先輩のY氏が参加をしている海外鉄道研究会の例会に飛び入りで
出席させていただいた。
この会は、要するに海外の鉄道好きの集まりであるが、馬鹿にした
ものではない。
詳細を知りたい方は公式ホームページがあるので「海外鉄道研究会」で
アクセスして見ていただきたい。
私は、昨年も同じ7月の例会にお邪魔させていただいた。
というのも昔から知っているY氏と共通の仲間のK氏がゲスト講演するので、
拝聴するためである。
今年のテーマは、①ラオス、失われたコン島鉄道 ②フィリピン・ルソン島、
ネグロス島の人車鉄道 ③ベトナムダナン路面軌道とハロン線の現状の3本であった。
特に②フィリピン・ルソン島、ネグロス島の人車鉄道の話は面白かった。
これは、フィルピン国鉄の現在使われてない線路を、2島の住民が勝手に使用して
いるらしいがせいぜい4Km前後を走るそうである。
人を数人のせて走る車両や写真(K氏の許可済)のように、一人乗りのものまで
いろいろある。
動力は人間であるが、数人乗りは人が押すスタイルで、一人乗りは写真の
ようにペダルが付いていて漕いで走る。またサイドに自転車がついている
ものも紹介されていた。
特に一人乗りの車両は、鉄道ファンには堪らない乗り物であろう。
フィルピンの人は、もちろん生活の足として真面目に乗っているのである。

木漏れ日の影

2013年07月27日 | 日記
先日、野辺山に行った時のホテルの壁面である。
涼しい高原でこのような木漏れ日の影を見るとより清涼感を増す。
ここ数日、暑かったり、涼しかったり、また蒸し暑かったりと
目まぐるしく気候が変わるので体調を崩しがちである。
こうなると高原の涼しさが羨ましい。
野辺山の手前が「有名な清里」であるが、駅ひとつで野辺山のように
観光客が少なく、田舎風で牧歌的になるものかと思う。
清里などに比べるとホテル、民宿、ペンションなどが圧倒的に少ない
ことが大きな要因でもあろう。
野菜畑と国立天文台の45m電波望遠鏡、ミリ波干渉計、電波ヘリオグラフ
(書いていて望遠鏡以外はよく分からないが)などが点在する静かな高原である。
私はこういう野辺山が好きである。