Yさんの閑日好日雑記

徒然に、気まぐれに何かが見つかれば

昭和の日・昭和の香り(2)

2015年04月30日 | 日記
松坂屋・上野店本館のエレベーターである。
現在、松坂屋上野店は片方を取り壊して新しいビルを作っている。
最近、良く上野へ行く機会が多いので、以前から壊された片方の
松坂屋の現状を見ていた。
多分、古い建物の方を壊しているのだと思っていたが、実際は南館を
建て替えているのである。

これは、デパートの中へ入って気が付いたものである。
写真のエレベーターは、『上り・下りのランプ』、『階数を表す時計スタイル』
の掲示など、何とも言えない昭和である。戦前の昭和だ。
この本館は、1929年(昭和4年)に開業した建物で、外装から見ると
時代を感じさせない建物になっている。
しかし、前述のように店内に入ると細かい所に昭和4年を感じさせてくれる。

取壊しをした南館は、1957年(昭和32年)竣工の建物である。
松坂屋も本館を残して、南館を立て替えるとは粋なことをする。

昭和の日・昭和の香り(1)

2015年04月29日 | 日記
4月29日
「昭和の日」なので昭和の香りを2日続けて。まずは鉄道から。
懐かしい光景と云っても、私がそう感じるだけで鉄道ファン以外の人
なら、何も感じない普通の光景であろう。
ホームに止まっている電車は国鉄時代の183系の旧特急仕様の車両
である。

国鉄時代は、中央本線では特急「あずさ」、「あさま」号などに使用された。
現在は、格下げ車両になり臨時の特急になったりするが、主はリゾート
快速、団体臨時列車などで余生を送っている車両である。

その辺は、私も止む負えない事と思っている。
ただこの車両のように登場時のカラーリングをしている車両は好感が
持てる。しかし昭和に生まれた特急車両に勝手なカラーリングをして
走っている車両が多い。あれは何とかしてもらいたい。

そんな中で1958年(昭和33年)に登場した特急「こだま」号のクリーム色
4号地に対して、窓部分に赤色2号を巻いたデザインは、その後に続く特急形
電車と気動車に採用される国鉄特急色の始まりであった。

新幹線も昭和時代に誕生した鉄道であるが、何となく在来線の「こだま」色
の車両を観るとああ昭和の香りが残っているなと感じてしまう。

滝子山に挑戦

2015年04月28日 | 日記
4月27日
今日は、山仲間4人で足を延ばして山梨県大月市にある滝子山(1610m)
登山に挑戦する。
中央本線で高尾駅から笹子駅まで行き、笹子から登り始める。
ただ、高尾山近辺の山とは違い、朝が早い。私の苦手な登山である。

滝子山の登坂ルートは、大まかに3ルートあり笹子駅から登る、「ズミ沢」ルート、
「南陵」ルート、初狩駅からの「檜平」ルート。
今回は、「ズミ沢」ルートで登り山頂へ、「檜平」ルートで初狩駅に下山する。

8時前に笹子駅に到着。8時過ぎに出発。登りが約4時間で踏破する予定。
私を除く、3名の山仲間は4時間で登った。私はと云うと最近の運動不足が
祟ったのか、膝が痛み始め4時間40分もかかってしまった。
山頂で待っていてくれた仲間たちには、良く乗って来たねと励ましだか、
軽蔑だか分からない言葉を掛けられた。

晴天で眺めは良いのだが、ゆっくりと展望している余裕などなく、適度に
写真を撮っただけであった。
本来は、360度の願望がり南には三つ峠などの山々前衛に富士山が、道志
山塊、北には大菩薩嶺など、西には遠くに八ヶ岳連峰、南アルプスが望める。
確かに、ゆっくりと眺めれば、全部望めたのであるがその余裕がなかった。

疲れで食欲もなく、おにぎり1個を無理に詰め込み、皆が下山する時間になり
初狩駅に向かって「檜平」ルートを下る。
私は、元来『下山家』で下山は得意であり、かなり早く下れるが今日は勝手が
違っていた。膝が痛くスピードが出ない、下山でも仲間から差が開き、今まで
下山では絶対に無かった女性パーティにも抜かれた。情けない。

笹子駅から初狩駅まで約14kmを踏破したのであるが、やはり中級コースの
山は甘くなかった。

嵯峨野の豆腐

2015年04月27日 | 日記
以前、山仲間で京都へ2泊3日の旅をした。
その中の一人が、「嵯峨豆腐の森嘉」が有名で、嵯峨野に行ったらそこで
湯豆腐でも食べましょうと提案するので賛同する。

この「森嘉」は、川端康成氏の小説「古都」の中にも出て来る有名なお店
ですと力説していた。では探して見よう。
嵯峨野周辺をかなり歩いたが、中々見つからない。
諦めかけた時、誰かがお店の案内板を見つけて、これだろうと行くと豆腐は
豆腐でも店売りする豆腐屋さんだった。

『湯豆腐を食べさてくれる料理店ではないぞ』と私も含めて散々に云われたが、
彼はそこで豆腐を買ったのである。
白いポリ袋に豆腐を入れ、ぶら下げて店から出てきた彼に向かって、『それ
どうするのホテルに持って帰るの』と云うと『お昼にどこかで食べましょう』
と凄いことになった。

結局、嵯峨野の『三忠』で各自麺類を頼み、運よく野外のテーブルが空いて
いたので、皆で分けて「森嘉」の豆腐を食した。
私は、ニシンそばを食べ、その中に豆腐の欠片を彼が入れてくれた。
こうと決めたら実行する、彼の敢闘精神には感嘆させられた。

屋形船(2)

2015年04月26日 | 日記
お台場で停船中の屋形船に、浦安から来たのであろう土産物を
売る船が寄って来た。
土産物と云っても、アサリの佃煮と干したアサリの2種類である。
貝類は、好きなのでついアサリの佃煮を買ってしまった。
販売しているオヤジさんの好印象もあったのかも知れない。

何人かが買っていたようだ。一通り時間が過ぎたら、他の船に
向って行く。
このお台場付近で10隻近くの船が停船しているので、船から船へ
移動販売しているのであろう。
屋形船のスタッフも『みやげ船が来ました』などと宣伝をしていた
ので、船宿との契約をして販売していると推察する。

考えて見れば、銀座からバスに乗り15分ぐらいで着く乗船場から、
船に乗ってこんな世界を楽しめる東京は素晴らしい都市である。