Yさんの閑日好日雑記

徒然に、気まぐれに何かが見つかれば

愛宕山の池

2013年08月26日 | 日記
過日、愛宕山の放送博物館に行った折り、向いの昔からある愛宕神社に
初めて参拝する。
愛宕神社は、1603年に徳川家康の命により創建。また家康が信仰した
勝軍地蔵菩薩を勧請し、愛宕神社を創建したとある。
愛宕山は標高26m。
放送博物館は、4階建てのビルであり周りに樹木がないため、3方に高い
ビルが見えるが、反対側の愛宕神社はまったくの真逆である。
樹木に覆われており都心にいることを感じさせない。
また驚いたことに山頂に小さな池があり、ボートなどが浮かべてあると
暑さを忘れさせてくれた。
有名な曲垣平九郎の「出世の石段」も上から見たが、確かに急な階段である。
ただ山登りもそうだが下りの方が怖い。多分この「出世の石段」を馬で駆け
下りて見ろと言われたら平九郎でも絶対に無理であろう。
そんなことを考えながら、お賽銭を上げて初めて登った愛宕山を下山した。

鉄道写真・鐵樂者展

2013年08月25日 | 日記
8月24日
友人のKさんが雑司ヶ谷にある三寓舎ギャラリーで4人のグループ写真展
「鐵樂者展」を開催している。
いつも4人の仲間に声をかけて写真展を見た後は、池袋で喉を潤して
帰る行動を数年も続けている。
Kさん達の「鐵樂者展」は、今年で5年目になるが鉄道写真展であるが、
ただものでない鉄道写真展である。
渋いのである。本当に深く鉄道を知っていないと、面白くも何ともない
鉄道写真展であるかも知れない。
また今年は、ギャラリーのオーナーの都合で昨年までの場所から少し
離れた場所に移ったのは良いが、スペースがかなり狭くなった。
写真は、案内ハガキであるがハガキを見ただけでもそれが醸し出されて
いるであろう。
今年は、4名の方々のテーマが友人のKさんは「スマトラ パームオイル工場」、
他の方々は「名鉄510形」、「北恵那鉄道」、「立山砂防軌道」とタイトルを
紹介しただけでも、渋さが分かるであろう。
鉄道写真に限らず、写真は記録性と芸術性と二面あると思っているが、さて
どちらが後世に残るのかなといえば、記録性の高い写真が生き残ると
私は考える。(もちろん異論はあると思うが)
毎年この写真展は、鉄道写真の記録を持っている人達の開催である。
また手作りの展示が、出展者の方々の温かい気持ちが伝わってくる。

アラジン魔法瓶

2013年08月24日 | 日記
閑日:僕の何となく好きなモノ ④

アラジンの魔法瓶、この保温水筒は中瓶の間が真空の薄いガラス製
で昔ながらの構造である。
現在も同じ容量のものを販売しているが、デザインが現代風で全体に
丸みがあり形状が多少違っている。
私は、この古いタイプの円筒形でありながら鋭角的なデザインが好きである。
またアラジンチェックと云うのか知らないが、タータンチェック柄も好感が
持てる。
90年代に母が何回か入院した時なども、病院のナイトテーブルで
お茶入れとして使っていた。
低山登山などにも盛んに持っていったが、少し容量が少ないので今は山へは
大型のステンレス保温のものに変えた。
山でのアラジンに関しては、苦い経験もある。
3年ほど前に山用として大型のアラジン魔法瓶を買った。
山仲間のMさんと一緒に登り、山頂で昼食。
食後、魔法瓶をリュックに仕舞うため、持ち上げたらテーブルの
角にコチンと当たり、中の保温ガラスが木端微塵に割れてしまった。
だからこの思い出深いアラジン魔法瓶は大切にしている。

支那そば屋 こうや

2013年08月23日 | 日記
8月22日
私が所属している写真サークルの例会で四ッ谷へ出かける。
本来は、我々の例会は奇数月に行っているのであるが、9月末日~10月
初旬に5回目の写真展を行うので、猛暑の中で臨時例会を実施した。
例会後は、有志で飲むのがこれまた恒例である。
そして仕上げがラーメンということになる訳だが、四ツ谷に有名な
ラーメン屋がある。(と云っても我々が有名と称しているだけかも)
店の名は、「支那そば屋・こうや」という。今の店舗が3代目になる。
ちょうど2代目の店舗の終了間際に、我々は食べに行ったことがある。
今の店舗の少し新宿寄りであった。その時に店主が移転に際してお店の
由来などを書いたものが貼ってあり、この店の歴史がやっと了解できた。
移転に際しての店主からの貼紙の一部を紹介したい。
「1983年「支那そば屋・こうや」をこの場所にてスタートさせ、約30年。
前身の屋台時代の20年を合わせて、半世紀。 -中略― 時代の流れにより
当店も移転することとなりましたが、幸運にも至近にて新店舗を構えることが
できました。店主:原澤宏也」とあった。「こうや」とは店主の名前だったのか。
ここの名物は、ワンタンであるが結構ボリュームたっぷりの代物である。
屋台から始めた店なので、値段がリーズナブルで夜は混んでいる。
飲んだ後でも入れないことが何回もあった。
四ツ谷は、以前近くに文化放送があったので、「しんみち通り」の飲食街や
「こうや」など、雰囲気のある良い店が残っている。

ベースボールニュース

2013年08月22日 | 日記
今日は、野球の話題で。
ヤンキースのイチローがついに日米通算4000本安打を打った。
高校野球は決勝戦で幕を閉じる。高校野球が終わると例年秋らしくなると
思っているが、今年はそうでもなさそうだ。猛暑がまだ続くのかな。
過日、京王百貨店で行われていた、「東西老補・大古本市」で見た古い
野球雑誌である。
この雑誌が、衝動買いしたいのを我慢したものである。
タイガースの若林氏、ホークスの山本氏(後の鶴岡氏)の握手している
写真ではなく絵の表紙で、1947年(昭和22年)9月1日発行の
611号とある。
終戦後2年強しか経っていない時期にこのような専門誌が発売されていたことに
驚く。食べ物を得るのに必死だった時代にどのような人々が読んでいたのであろうか。
ところで1リーグ制の時代であったが、この年タイガースは79勝37敗3分で
優勝した。最高殊勲選手は、監督兼選手の若林忠志であった。
この頃は藤村富美男氏と若林氏が二人三脚でチームを引っ張っていた時代である。
またチーム名は大阪タイガースであった。
タイガースファンの私は、個人的にはこの表紙の濃紺のユニホームが好きである。
近年タイガースが、復刻版でこのユニホームを着て試合に臨んだことがあった。
因みにこのユニホームは、1947年~49年まで使用されたとある。
タイガースは、創設当初は縦縞のユニホームであるがこれも私は好きである。
最近タイガースに限らず日本のプロ野球チームは、ユニホームのデザインを
安易に変えている。多分ヤンキース以外のメジャーリーグの影響だろう。
日本の球団も1チームぐらいは、ヤンキースのように伝統を大切にして、
絶対に変えないというプライドを持ってもらいたいものである。
因みにこの本は3000円であった。