やさしい芸術論

冬が来たなら、春はそう遠くない

草枕2 那美さんのこころの美

2021年01月09日 | 草枕

夏目漱石さんの小説「草枕」は、ぼくが一番好きな小説です。

「草枕」は、色々な良い部分があります。

 

 

特に良いと思ったのは登場人物の一人、那美さんのこころです。

 

那美さんの人生、境遇を前提に置いて、

那美さんの言葉、行動を考えた時に、こころの動きが見えてきます。

 

 

物語冒頭で、主人公の青年画家は山路を登りながら、

芸術について考えを巡らせていきます。

そして山の中の温泉宿で宿泊をしている時に、

温泉宿の若い奥様とよばれる人物と出会います。

その人物こそ那美さんです。

 

主人公が那美さんと初めて会った時、

その見た目の美しさに以下のように思いました。

 

「画にしたら美しかろう。」

 

しかし、その表情や態度から

那美さんの内面の部分を以下のように形容しています。

 

「軽蔑の裏に何となく人にすがりたい景色が見える。

人を馬鹿にした様子の底に慎み深い分別がほのめいている。

どうしても表情に一致がない。

悟りと迷いが一軒の家に喧嘩をしながらも同居している体だ。

この女の顔に統一の感じのないのは、

こころに統一のない証拠で、

こころに統一がないのは、

この女の世界に統一がなかったのであろう。

不幸に圧しつけられながら、

その不幸に打ち勝とうとしている顔だ。

不幸せな女に違いない。」

 

那美さんは人に屈せず、困難に屈せず、

世間体の事や常識を一切気にしない傍若無人な態度の為、

周囲の村人たちから薄情だとか、不人情だとかいわれて、

気違い扱いをされていました。

 

それは何故なのか。

 

那美さんは村の金持ちの家に生まれ、

元々の性格はとても内気な優しい人でした。

 

しかし、親の独断で、那美さんの意中の人と結婚出来ず、

親が決めた人と結婚する事になりました。

 

その結婚相手先に嫁いだものの、旦那の勤めていた会社が倒産し、

色々あって、元の実家に出戻りで帰ってきていたのです。

 

那美さんと同じ家系で昔、美人な女性がおり、

同じように男二人から言い寄られて、

思い煩った結果、池へ身を投げて自殺した人がいました。

 

那美さんも同じような運命に身を置いて、苦悩しますが、

禅宗の和尚さんの元へ法を問いにきてから、気持ちの整理がつき、

現在に至るのです。

 

元々は内気で優しい人だったが、

どうにもならぬ運命に翻弄されて、

その不幸に圧しつぶされてしまわない様に

虚勢を張り、自暴自棄になって、

何事も恐れない身勝手な生き方をしているのです。

 

つまり、死んでしまいたい程の不幸を乗り越えるため、

生きるために、悲しまないように、気違いのような生き方をしていたのです。

 

物語の最後に、那美さんのいとこが戦争へ行く為、

主人公と那美さん一行は駅で見送りにいきます。

 

戦争へ向かういとこに対しても、「死んでおいで。」と

平気で言う那美さんでしたが、汽車が発車する際、

窓から顔を出した、以前別れた元旦那と那美さんは偶然、顔を見合わせます。

 

その時主人公は、那美さんの顔に「憐れ」の表情が一面に現れている事を

発見します。

 

那美さんは登場してから常に強情で負けん気の強い人でしたが、

話の最後の最後で、「憐れ」な顔を見せるのです。

 

これは別れた元旦那に対し、

那美さんがシンパシー(共感・共鳴・同情)を感じたからだと思います。

 

那美さんは、家系の因縁により美人で生まれながらも、

好きな人と結婚出来なかったり、嫁ぎ先で旦那の仕事が破綻するなど、

どうしようも無い運命のレールを生きてきた葛藤があります。

 

元旦那も、好きな女性と結婚出来たものの会社が破綻し、

嫁とは離縁して、嫁は実家へ帰ってしまう。

自分は今、自分の意志とは関係なく、

生きる為の金を稼ぐため、戦争行きの汽車に乗って、

その線路(レール)に沿って運ばれていく運命にあります。

 

那美さんは家系の因縁のレールを生きる事しか出来ず、

元旦那は戦争行きの汽車のレールの上を行く事しか出来ません。

 

似たような運命の人だからこそ、同情(シンパシー)が起こり、

本来の優しい性格の那美さんが、強情の虚勢を破って、顔一面に現れたのです。

 

運命に流され、世間からは気違い扱いされ、

孤独で、それでもこの不幸に打ち勝ってやるという気概で、

強く生きてきた女性が、ふと、

同情の感情が起こり元旦那を見た時に、

まるで可哀想な自分自身を見ているかのように、

「憐れ」な顔を一面に浮かべて、物語は幕を閉じます。

 

那美さんの結婚した時、那美さんは髪を高島田に結い、

裾模様の振袖を来て馬に乗り、その振袖に桜の花びらがひらひらと

舞ってとても美しかったと回想が載っています。

内気で優しかったその頃を思うと、人生とは何だか感慨深いものがあります。

 

那美さんは主人公との会話で次のように答えています。

 

主人公 「ここ(山奥の田舎)と都会どちらがいいですか」

那美さん「同じ事ですわ」

主人公 「こういう静かな所が、却って気楽でしょう」

那美さん「気楽も、気楽でないも、気の持ち様ひとつでどうでもなります」

 

 ※主人公が一枚も絵を書かない事について呑気だと言われた際、

主人公 こんな所へくるからには、

     呑気にでもしなくっちゃ、来た甲斐がないじゃありませんか」

那美さん「なぁに何処に居ても、呑気にしなくっちゃ、生きてる甲斐はありませんよ」

 

強く生きた那美さんの生き様、

そのこころの美しさを感じました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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草枕1 草枕について

2021年01月09日 | 草枕

ぼくが一番好きな小説は、夏目漱石さんが書いた小説「草枕」です。

 

 

「草枕」は、著者の芸術に対する考えが書かれています。

 

俳句や短歌や漢文や英詩や絵画などが作中に登場し、

芸術の事を知る上でとても参考になります。

 

夏目漱石さん特有の品のある言葉の言い回しや、

絢爛豊富な語彙により、美しい日本語に触れる事が出来ます。

 

宮崎駿さんやピアニストのグレングールドさんも草枕を愛読していたそうです。

 

夏目漱石さん自身、「草枕」について以下の通り述べられています。

 

「現在の小説というものは、必ずしも美しい感じを土台にしていないらしい。

汚くても、不快でも一切無頓着のようである。

しかし、文学であって、仮にも美を表す人間の表現の一部分である以上は、

美しい感じを与えるものでなければならない。

草枕は、ただ美しい感じが読者の頭に残りさえすればいい。

それ以外に特別な目的があるのではない。

だから、話の筋も無ければ、事件の発展も無い。

普通に言う小説、すなわち人生の真相を味わせるものも、結構ではあるが、

同時にまた、人生の苦を忘れて、慰めるという意味の小説も存在していい。

もし、この俳句的小説(名前は変だが)が成り立つとすれば、

文学界に新しい境地を拓く訳である。この種の小説は西洋にも日本にもない。」

 

夏目漱石さんは「草枕」創作にあたって、美しい感じ、「美」に重きを置いていたようです。

 

 

あらすじは、一人の青年画家が都会の生活に疲れ、山路を登っていく。

山の中の温泉宿に泊まると、そこの若奥様である那美さんと出会う。

那美さんの一挙一動、容姿などを見て美しいと感じる反面、何かが足りない事に気付く。

最後の最後、那美さんの顔に「憐れ」の感情が現れた時、

青年画家はそこに美しさを見出す…という流れになります。

 

 

主人公の青年画家は、人の世は住みにくいとして、

束の間でも、くつろげて、こころを豊かにし、

住みよくするものは芸術だと信じ、

その芸術的観点から人間やあらゆる物事の考察を述べていきます。

 

様々な芸術に対し、持論を展開していきますが、

山の中の温泉宿で出会った那美さんという女性に興味を持ち、

「美」という観点で、観察していきます。

 

作中で主人公は絵を一枚も完成させていませんが主人公いわく、

以下のように語っています。

 

「画家であれば、紙に絵を描かなくても、五彩の絢爛は心眼に映る。

芸術のたしなみなきものよりは、美しき所作が出来る。

人情世界にあって、美しき所作は正である、義である、直である。

正と義と直を行為の上において示すものは天下の公民の模範である。」

 

音楽家であれば音楽を演奏しなくても、詩人であれば思いを詩に表さなくても

芸術的思考が出来る人は「美」を意識出来るため、

美しき所作で生活をし、美的観点から物事を見ることが出来ます。

 

この芸術的観点から見た、人の世はどのようなものなのか

「草枕」を読めばその雰囲気が伝わるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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芸術の三大要素

2021年01月09日 | 芸術について

芸術は絵画、音楽、詩など色々な分野がありますが、

全ての分野に共通している点があります。

 

それは、芸術には三大要素が必ず含まれている点です。

 

 

この芸術の考え方は人生哲学や、他の分野にも共通している点が

あると思います。

三大要素は以下の通りです。

 

①「バランス」  ②「シンパシー」  ③「スピリチュアリティ」

 

 

①「バランス」

芸術の基本形として、相反する二つのものが含まれています。

相反する二つのものとは、例えば、プラス・マイナス、男・女、昼・夜、

春・冬、大人・子供、暑い・寒い、長い・短い、高い・低い、明・暗など…

 

バランスという意味はその相反する二つの物事の釣り合いが取れている。

調和がとれているという意味です。仏教用語で中庸を指します。

偏っていないという事です。

 

例えば食事を見てみると、相反する二つのものが多く含まれています。

野菜・肉類、熱い・冷たい、液体・固体、甘い・辛い、多い・少ない、色合いなどです。

 

それら相反する二つのものがバランスよく揃った時が、

良い食事(芸術)という事になります。

仮にこのバランスがなかったらどうなるのか。

熱すぎたり、量が多すぎたり、1か月飲み物だけなど良い食事とはなりません。

 

また完璧にバランスのとれた食事だとしても、

一年中同じメニューなら誰しも食傷気味になるでしょう。

バランスがとれた食事(芸術)も単調にならないよう、

変化をつけたり、違うメニューにしたりしなければなりません。

 

この事から「不変の完璧な芸術」というものは、存在しない事になります。

 

芸術というものは、ある程度変化し続けることによって、完璧な芸術へと近づきます。

 

(過去の偉人が残した限りなく完璧に近い作品もありますが、

 古今東西、老若男女、全ての人類が一致した趣味嗜好を有していない事から

 万人に訴えかけるものは存在しえません。)

 

これは自然をみても分かる通り、千差万別の種類の生き物が

日々成長・変化をしながら共存しています。

 

言い換えれば、千差万別の種類の生き物には千差万別の思いがあり、

千差万別の好み、欲求を持っています。

 

だからこそ、人間も同様に、十人十色の個性を

お互いに理解し合い、障がい者差別や、人種差別や貧富の差などを無くし、

バランスよく全ての人が平和に暮らせる世界が理想の世界と言えると思います。

 

芸術の分野が多岐に渡る事や、

様々な文化があることも理にかなっていると言えます。

 

 

②「シンパシー」

シンパシーとは共感、共鳴を意味します。

芸術においてこのシンパシーはとても重要な働きをします。

シンパシー無くしては、感動することはないと考えています。

 

例えば、ある人が失恋をした後に失恋ソングを聴くと、

歌詞の内容に共感してとてもこころに響く、感動するという話がよくあります。

 

失恋ソングをCDの音源だと仮定した場合、音源自体は変化しません。

失恋をする前にその曲を聴いた時と、

失恋をした後では感動する・しないに大きな違いがあります。

 

初めて失恋の経験をした人は、その人のこころに失恋の悲しみの思いが発生します。

その人の失恋の悲しみの思いと、失恋ソングの歌詞、あるいは

曲に込められた失恋の思いとが共感、共鳴して、初めて感動します。

 

言い換えれば、目に見えないこころ(思い)とこころ(思い)が

シンパシー(共感)という糸によって結び付けられ、

こころが通じ合うという事になります。

 

スタンドバイミーなどの映画で、子供に見た時の印象と、

大人になってから見た時の印象が違うという事や、

子供の時には分からなかった親の苦労や有難みを、

自ら大人になって子供を育てる事で初めて知る、理解出来るという事などもそうです。

 

また、Aさんという方が、例えばイチローさんを尊敬している場合、

Aさんはイチローさんに対してシンパシーを感じている部分が必ずあります。

 

野球経験者かイチローさんの生き方なのか、発言なのかは分かりませんが、

シンパシーの糸によってAさんとイチローさんは繋がっていると思います。

 

仮に宇宙人の宇宙後を話す奇妙な生命体が現れたとして、

その生命体にシンパシーを感じる人はほとんどいないでしょう。

 

言葉も違う、生き方も違う、何もかもぼくたちが持ち合わせていない概念、

思いなので、尊敬する人に宇宙人を上げる人はいないのではないかと思います。

人を尊敬する時にも、シンパシーは必ず働いています。

 

また、シンパシーには同情という意味もあります。

 

例えば、生まれてきて病気知らず、ケガ知らずの健康な人が、

ある時転んで足を骨折したとします。

 

その時、その人は生まれて初めて不自由な思い、病気・ケガの辛さを知る訳です。

以前は気にもしなかった、足が不自由な方へ対して

シンパシーが働いて同情の感情が動きます。

 

さらに発展して、病気をするとこんなにも辛いのかと

痛み、苦しみを分かってあげられるようになり、

その人に対してやさしく対応してあげたり、

手助けしてあげる事も出来るようになる訳です。

 

お金に苦しんだ人は、お金に苦しんだ人へ、器量が悪い人は器量が悪い人へ、

いじめられた人はいじめられているひとへ、など

人は色々な経験をすることによって、

同じ経験、思いをしている人の気持ちがある程度分かります。

(勿論不幸な目に合わずとも、楽しく、明るく生きている人は

 同じ人へのシンパシーが働きます。

 ただ、やはり辛い思い、悲しい思いを

 した人の方が人間的に精神的に成長出来るような気がします。)

 

この事は「愛」や「やさしさ」など目に見えない大切な概念を

理解する上でとても重要になると思います。

芸術にもそれらが含まれている場合、その思いと思いが

シンパシーによって結び付けられるという事です。

 

バッハの曲や、シューベルトのアヴェ・マリアやショパンの曲を聴いた時、

言葉では言い表せないけれど、何故か感動した。こころに染みた。

泣けてきたという経験は無いでしょうか。

 

それらも理屈では分からないけれど、その人が持つ思いと、作品に込められた思いとが

シンパシーによって結び付けられて感動するのです。

 

それが例えば、昔の楽しかった時の思い出と結びついたり、過去の辛い時抱いていた思いと

結びついたり、何かの場面でもこころと結びついているとぼくは考えます。

 

そして何百年前のバッハやショパンの曲が古今東西、老若男女、

数多くの人に対し感動させているという事は、

大多数の人が持っている思い、感情と同じ思い、感情が作品に込められているということです。

 

それは何かと考えると何百年経っても変わらない、「愛」や「やさしさ」や「幸福感」

などの光の部分、「悲しみ」「さびしさ」などの影の部分だと思います。

 

芸術は変化し続けなければいけない面もありますが、

精神的な面(こころ)の部分は何百年前から変わらないものがあるようです。

 

 

③「スピリチュアリティ」

最後にスピリチュアリティですが、霊性や精神性という意味で、要するにこころの事です。

 

芸術の基本理念で書いた、

「芸術はこころで創造し、こころで表現し、こころで感じる。」

という言葉の「こころ」の部分です。

 

良いこころが無いと良い作品は生まれないという事です。

 

また良いこころを持つには色々な良い芸術に触れたり、品行方正な行動をする事ですが、

その人がどんな人生を送ってきたかが作品に大きな影響を与えます。

 

人生には色々な人生があり、一概に言えませんが、基本は生活です。

真面目に、楽しく、正直に、辛いことを乗り換えて一生懸命生きているうちに

こころは磨かれていくと考えています。

 

しかしこのこころの部分は目に見えない部分で、非常に分かりづらい部分ですので、

以下割愛します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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