やさしい芸術論

冬が来たなら、春はそう遠くない

「今あなたと」

2024年03月17日 | 小曽根俊子

2016年、相模原市の知的障害者施設で起きた、

殺傷事件では19人の方が尊い命を落としました。

 

その事件について、犯行に及んだ被告人はこう語りました。

 

「意思の疎通が取れないような重い障害者は、安楽死させたほうが良い。

彼らは人々を不幸にするだけだから」

 

誰もが重度の障がい者の人でも、

死んだ方がいいとは思っていないでしょう。

価値の無い人間とは思わないでしょう。

 

しかし、障害の無い、健常者と言われている社会人でさえ、

人を学歴で見たり、収入で見たり、見た目で判断したりします。

 

ホームレスの前を平気で素通りして、満員電車に乗り込みます。

いじめがあり、会社の不正があり、毎年何万人もの自殺者も出ています。

 

この世知辛い世の中だからこそ、

被告人の言葉に不快な思いを持ちつつも、

重度の障がい者の生きがいとは、生きる意味は何かと問われたら、

閉口してしまう人もいるのではないでしょうか。

 

 

ここで小曽根俊子さんを紹介します。

 

小曽根俊子さんは重度の脳性麻痺により

両手用足、言語障害がある詩人です。

 

やなせたかしさんは自らの雑誌「詩とメルヘン」上において

小曽根俊子さんと知り合い、小曽根俊子さんの詩の素晴らしさを

賞賛しています。

 

 

やなせさんは小曽根俊子さんの実家に行き、

そこで直接会いました。

やなせさんは上手く話す事が出来ない小曽根さんに対し、

笑顔で対応し次のように述べています。

 

「ぼくらは話しはじめたが、

どういうわけかはじめから終わりまで笑いっぱなし。

こんなに笑いながら話したことは滅多にない。

おかしくて楽しくて涙をこぼした。

でも俊子さんの言語障害は日常よりも激しく

ほとんど言葉にならなかった。

言葉なんてなんになろう。

もしわかりあう魂さえあればそれで充分なのだ。

ぼくらはあんなに笑ったもの。

うなずきあってその通りだと共感したのだから、

はるかにたくさん話し合ったのだ。

終わりには俊子さんの肩を抱いて話した。

コスモスよりもか細かった。

ぼくの胸に近い、いじらしさが

不意にこみあげてきたのはなぜだろう。」

 

やなせさん自身も、大変な悲劇をいくつも乗り越えてきた方で、

小曽根俊子さんが送ってきた人生、その命に

シンパシー(共感・同情)を感じたからこそ

こんなにも分かり合えたのではないでしょうか。

 

ぼくは次の小曽根俊子さんの詩を読んで、

人生は捨てたもんじゃない、素敵だなと改めて感じました。

 

「今あなたと」

 

私を生んでしまったこと

私の身代わりにはなれないこと

私より先に土になるかもしれないこと

それが悲しいと つぶやいて

雨だれを見つめる おかあさん

 

今 あなたといっしょに

グリンピースやアスパラガスを

こうして おなべでゆでながら

子犬のワルツを聞ける私は

この世に生まれてよかったと

はばかりもなく思います

 

コップに差したピンクのバラの

つぼみがそっと開いた日には

明日もこうして あなたのそばで

生きていたいと願うのです

 

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あなたといると人のこころが分かるのよ

2024年03月13日 | 小曽根俊子

ぼくが好きな人を二人あげるとしたら、やなせたかしさんとショパンです。

 

二人に共通しているのは、「詩人」という事です。

 

やなせさんは、絵本作家でもありますが、詩を書くし、

ショパンは「ピアノの詩人」と言われ、言葉なき詩を美しいメロディーで表現します。

 

ぼくの好きな人は芸術に関する人が多いのですが、

アンデルセン、夏目漱石、シェリー、ウィーダなど本業の傍ら、

詩を書く人がたくさんいます。

 

これはひとえに、詩というものが、作りやすく、相手に伝わりやすい

という手軽さによるものもあると思います。

 

そんな詩人の中でも、ぼくが好きな詩人は小曽根俊子さんです。

彼女の詩は、素直で、やさしくて、真実味があります。

 

彼女について書いた本「トッコはわたぼうしになった」では、

脳性麻痺の障害を持って生まれた小曽根俊子さんの半生を描いています。

 

 

小曽根俊子さんは手足が不自由で、言語障害があります。

理解のある両親の決断で、一般の小学校へ通います。

 

ある日、お母さんが小曽根さんを車椅子に乗せ、登校している際、

 

「あんな体で学校なんか行くことないのに。」

「うちの子は、五体満足でよかった。」

 

と心の無い言葉が聞こえてきたり、

 

「大変ね、可哀想に。」と言葉では言っても、

近寄ってきて、まるで珍しい動物を見るような目で

ジロジロ見る人などがいました。

 

そうかと思うと、本当に心配してくれて「偉いね。今日も頑張るんだよ。」

と声を掛けてくれる人もいます。

 

小曽根さんのお母さんは

 

「あなたを連れて歩いていると、

 人のこころというものが本当によく分かるのよ。」

 

と言いました。

 

学校の友人達は皆やさしく接してくれて成長していきますが、

中学生の頃、自我が目覚めると、

周りの心無い批判や目線が気になり、

自分自身の存在が嫌いになって、登校拒否になり、

自殺も考える危険な時期がありました。

 

部屋にこもって、詩を書く事が出来たので、

どうすることも出来ないやるせない思いを詩にしてはきだします。

 

「空の虹は消えるけど」(抜粋)

 

悲しみを数えてくらす人には

希望の光は見えないだろう

 

空の虹は消えるけど 

心の虹はいつまでも消えはしない

小さな愛と夢 今わたしにも見える

 

やさしいひとことが わずかでもいい

人にぬくもりを伝えられるなら

心をこめて呼びかけてみよう

さびしいあなたに

 

心無い人の心無い言葉に苦しみましたが、詩によって救われ、

次第に詩の素晴らしさが評価されるようになり、

新聞に掲載されたり、やなせたかしさんの雑誌「詩とメルヘン」でも

取り上げられるようになりました。

 

そんな中、小曽根俊子さんの詩を見て、

命が救われた方から手紙が届きました。

 

「私は自分の病気が一生治らないと知った時、死のうと思いました。

 これまでに3~4回自殺を図りましたが、家の人に見つかり失敗しました。

 私の気持ちを分かってくれる人は、この世の中にいないと思いました。

 でも、小曽根俊子さんの詩集の中には、わたしと同じ苦しみ、悩みがありました。

 そして、きっと私の周りにもたくさんあるはずの

 小さな喜びと、小さな幸福がありました。

 今まで悲しみに溺れていたから、美しいものに気が付かなかったんですね。

 ありがとう。俊子さん。もう自殺はしません。

 だからあなたも生きて下さい。」

 

 

みずからの運命に失望し、将来に絶望した小曽根さんは、

詩という芸術によって救われ、

その詩を見た、他の人も小曽根さんのこころの詩によって救われていきます。

そして、やなせたかしさん自身も辛い人生を歩まれた方であり、

やなせさんの雑誌によって、二人は出会い、二冊の詩集を出すことになります。

 

「うちの子は、五体満足でよかった。」と言った人はまさにエゴの象徴です。

 

三重苦の人で有名なヘレン・ケラーは次のような言葉を残しています。

 

「世の中には一切れのパンも食べられない人がいるのに、

 なぜ神に、今日も明日も十分に食べるパンを与えよ、と

 祈れるのでしょうか」

 

人は結局、人の事はどうでもよくて

自分の身の事だけを案じます。

ある程度仕方が無い反面、やはり自分の事だけでなくで、

人の事も気遣ってあげられるやさしい人を目指したいものです。

 

最後に小曽根俊子さんの詩を載せます。

 

「愛は藍色」

 

息をいっぱいすいこんで

愛という字を書きました

墨をいっぱいふくませた

筆を握って書きました

 

すべての音が消えました

すべての事を忘れました

 

ふるえてゆがんだひと文字は

精一杯のわたしです

今 あることのしるしです

 

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「人を愛する資格はね」

2024年03月03日 | 小曽根俊子

小曽根俊子さんという方をご存知でしょうか。

 

重度の脳性麻痺の障害により、

両手両足が不自由で言語障害がある詩人です。

 

障害を持って生まれた人は、健康な人よりも、

何倍もの苦労を背負いながら生きていく事になります。

 

 

生と死の狭間で揺れ動くような長い期間を経て、

障害があったからこそ見えてくる人の本質を

うまく表現出来るのではないでしょうか。

 

小曽根俊子さんの詩は良い詩が沢山あります。

 

この世はお金か容姿か学歴か才能か……

と言われていますが、果たしてどうでしょうか。

 

人を愛することについての詩になります。

 

 

「人を愛する資格はね」

 

人を愛する資格はね

はやく走れることじゃない

じょうずに話せることじゃない

人を愛する資格はね

心でものを聞けること

心でものが見えること

 

愛を伝える資格はね

人を信じる資格はね

お金を持ってることじゃない

名前が売れてることじゃない

いつか別れがやって来て

 

さよならをしたそのあとも

生きて いけると誓うこと

なみだ流したそのあとで

生きて いけると誓うこと

 

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「愛は藍色」

2021年06月14日 | 小曽根俊子

小曽根俊子さんはとても素晴らしい詩人です。

 

小曽根さんは重度の脳性麻痺により、

両手両足が不自由で、言語障害もありました。

 

全国の障害を持つ方たちが詩を書き、

その詩を曲にして歌う「全国わたぼうし音楽祭」というイベントがあり、

小曽根さんは「第五回全国わたぼうし音楽祭」で

わたぼうし大賞という賞を受賞されています。

 

小曽根さんは、障害の苦しみから自殺未遂をしたり

絶望状態となりますが、

詩を書く事で、自分自身を表現し、芸術に触れることで

こころが救われていきます。

 

やなせたかしさんが編集長を務めた「詩とメルヘン」という雑誌にて

度々取り上げられ、雑誌内にて小曽根俊子さんを以下のように賞賛しています。

 

「心の中で鐘が鳴り響き言葉を失った。」

 

「絶望の隣は希望です」というやなせさんの詩がありますが、

小曽根さんはまさに、絶望の淵に立たされながら、

詩を書くことで、詩を読む人に希望を与えている人だと思います。

 

人生とは何か、生きる意味はなんなのか。

小曽根俊子さんは多くの人に、いのちについて伝えています。

 

「愛は藍色」の詩の特に4番が素晴らしいです。

障害により歪んでしまった体と、歪んだ文字を重ねています。

 

 

「愛は藍色」(1番と2番と4番)

1.

星は夜空を飾ります

海は生命を育てます

夢は未来を築きます

愛は愛から生まれます

 

2.
鳥みれば鳥になりたいわたしです

魚みれば魚になりたいわたしです

花みれば花になりたいわたしです

天よ 地よ 教えてください

わたしは何をするために

この世に生をうけたのですか

 

4.
息をいっぱいすいこんで

愛という字を書きました

墨をいっぱいふくませた

筆を握って書きました

すべての音が消えました

すべての事を忘れました

ふるえてゆがんだひと文字は

精一杯のわたしです

今 あることのしるしです

 

 

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