やさしい芸術論

冬が来たなら、春はそう遠くない

ベートーヴェンの月光が弾けるように

2024年07月15日 | クラシック

私はyoutubeでクラシックのピアノ動画を配信しております。

ベートーヴェンさんの月光の動画を出しているのですが、

そこに、

「音符の読み方も分からないが、月光が弾きたい!」

といった熱量を感じるコメントを頂きました(*^^*)

 

youtubeの他の方が出している月光の弾き方指南の動画を

オススメしようかとも考えましたが、

これも何かの縁だと思い定め、

拙いながらも、初めての人でも分かりやすく?弾けるように

月光のワンポイントアドバイス動画を撮り、アップしました💦('◇')ゞ

みなさんもこれも何かの縁ですので、

ぜひ、ベンさんの月光第1楽章に挑戦されてみては??(^O^)/

 

 

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2月の終わりにバッハのメロディを……

2024年02月28日 | クラシック

2月も終わりが近づいて、雪の代わりに花粉が舞っています。

 

 

寒い日、暖かい日、いろいろありますね。

夜に上を見上げるときれいなお月さまがきれいに光っています。

下を向いたり、つまらないことに悩んでばかりいると、

月の美しさに気が付きません。

 

生活をしていくうちに知らず知らずついた

日々のホコリ、汚れを

今日だけはバッハさんのメロディー

きれいに流してしまいたいですね。。。

       ↑バッハさんの曲です。ぜひ聴いてくださいね(^^♪♪↑

 

クラシック・ア・ラ・モード

クラシック・ア・ラ・モード

人生はよろこばせごっこ♪ピアノの音色でこころが少しでも癒されますように😌すべては秋の蜃気楼……🍂束の間の、歓喜悦楽・芸術タイムを🎶🎵

YouTube

 

 

 

 

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諸行無常の四季を感じて

2021年12月07日 | クラシック

小さい時に耳にした、ヴィヴァルディの四季。

特に「冬」が印象的で、

不思議とそのメロディーはいつまでたっても色褪せず

ぼくの記憶にインプットされている。

 

 

最近改めてヴィヴァルディの四季を聴いて、

約300年前のヴィヴァルディの美の感性が

イヤホンを通じてぼくの心の琴線に触れる。

 

季節は移ろいやすく、諸行無常

春も秋も、夏も冬も表裏一体。

子どもから知らぬ間に大人になって、

いつまでも健康と思っても病はつきもの。

すべては秋の蜃気楼。

真夏の陽炎。

三途の川を渡るまで、今を生きてくのさ。

 

ヴィヴァルディの四季にインスパイアされて、

私自身、「四季」という曲を書きました。

今のぼくの心の音……楽しい時間

 

 

 

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ホロヴィッツの芸術性とピアノコンクールの空虚感

2021年01月26日 | クラシック

20世紀最高のピアニストと称される、ウラディミール・ホロヴィッツ。

 

ホロヴィッツの演奏する音楽は唯一無二の個性的な演奏であり、

その魅力的な演奏は、人のこころに響き、聴く人に感動を与えます。

 

 

例えば、ショパンの有名な曲を何十人の異なるピアニストが

演奏しても感動しないところ、

同じ曲をホロヴィッツが演奏すると感動します。

 

ショパンのピアノソナタ2番の3楽章「葬送行進曲」は

特に他のピアニストの演奏と一線を画します。

強弱法、感情の付け方、鐘のような響きのff、

前半部分と中間部との対比(明暗)の付け方、中間部の美しい歌い方など…

むしろ、他のピアニストの演奏では感動しないので、

この曲はホロヴィッツの演奏だけしか聴きません。

そういう曲が何曲もあります。

 

ホロヴィッツの音楽は、テクニックはあるのですが、ミスタッチがあり、

現代ピアニストはノーミスで同じ曲を演奏出来ます。

ホロヴィッツは、楽譜通りに弾かない事が多く、

現代ピアニストは楽譜に忠実に弾くことが出来ます。

ホロヴィッツは極度のあがり症で、神経質なところがあり、

演奏の出来が良かったり、悪かったりしますが、

現代ピアニストは、安定して、いつでも上手に弾くことが出来ます。

 

しかし、現代ピアニストの演奏は感動しません。飽きてしまいます。

ホロヴィッツの演奏は感動します。長年聴き続けても飽きません。

 

これは何故か?

 

ピアノコンクールを例に出して考えてみます。

ピアノコンクールはピアノ音楽を採点し、順位付けして、

1位、2位…最下位までを決めます。

その基準は、テクニック、音楽性、楽譜に忠実であるか、演奏態度などで、

コンクールの上位入賞者は皆、ノーミスで難曲を弾きこなし、

度胸があって大舞台でも緊張せず、

まるで人形のように舞台での振る舞いも100点の振る舞いが出来ます。

 

このピアノコンクールにはぼくは昔から懐疑的な見方をしていて、

世界の音楽家の多くも、この「音楽のコンクール」に対し批判的な見方をしています。

 

というのも、ピアノコンクールに行かれた方は分かりますが、

演奏者は全員同じ課題曲を弾く事がありますが、

どこか空しいつまらない演奏で、

全員同じ演奏にしか聴こえないのです。

 

有名な話ですが、コンクール上で審査員が演奏者名を伏せて、

演奏してる姿を見ないようにして、演奏だけ聴いていて審査すると、

みんな同じ演奏にしか聴こえないので審査出来なかった、という事があったそうです。

 

つまり、コンクールはピアノを楽譜通り上手に弾ける人を量産する代わりに、

音楽の本質である、感動、個性的な解釈、音楽の喜びと乖離してしまっているのです。

 

 

ここでホロヴィッツの事に話を戻すと、

ホロヴィッツはピアノコンクールに出たとしたら、

調子が悪かったらおそらく予選も通過しません。

なぜなら、楽譜通りに弾かず、ミスタッチがあり、緊張しいだからです。

 

でも、音楽の素晴らしさ、芸術性、人に感動を与えるという点においては、

ピアノコンクールの入賞者の演奏はホロヴィッツの音楽に足元にも及ばない事になります。

 

要するに、音楽とは、芸術とは、美とは、テクニックではないのです。

 

芸術とは「こころ」です。

美しい、やさしい、愛がある、そういう美的なこころが、ピアノを介して、

音楽に乗せて聴衆の耳に届き、聴衆のこころに届いて響くのです。

 

こころで作曲して、こころで演奏して、こころで聴くのが音楽です。芸術です。

 

ピアノコンクールの演奏者に「こころ」が無いとは言いませんが、

少なくても、テクニックや楽譜通りである事、テンポを重視して、

自分の美的な「こころ」は二の次三の次になっていると思います。

 

もっと詳しく説明すると、芸術とは3つの要素で成り立っており、

それはバランス、シンパシー、スピリチュアリティです。

 

バランスは相反する二つのものが表裏一体に存在しているという事で、

音楽であれば、強弱、長調単調、音の長さ短さ、単音和音、感情的機械的、

テンポルバート・インテンポ、拍子の変化などさまざな対比により構成されています。

 

スピリチュアリティは先程言った「こころ」の部分です。

ここが非常に重要で、演奏者の「こころ」と聴き手の「こころ」が共感・共鳴し、

「こころ」がつながって感動するのです。

つまり演奏者の「こころ」の点と、聴き手の「こころ」の点が、

点と点で結ぶ役割がシンパシー(共感・共鳴)で、シンパシー無くしては人は決して感動しません。

 

例えば、失恋経験の無い人が、失恋ソングを聴いても響きません。

初めて失恋を経験し、その人のこころに失恋の悲しみが加わると、

その人は失恋ソングを聴くと感動するようになります。

この場合、この人の「失恋の悲しみのこころ」と失恋ソングの歌詞に込められている「失恋の悲しみのこころ」が、

点と点で結ばれて感動するという事になります。

 

以上によって、

ピアノコンクールでの演奏を目に見えない「こころ」の視点で見た時に、

「空虚なこころ」もしくは「無機質なこころ」、もしくは「こころ」が無い為に、

シンパシーが起きず、起きても良い感動にはつながらず、結果として、

つまらない演奏、飽きる演奏、空虚な芸術という事になります。

 

ピアノコンクールは音楽を追求するあまり、

テクニック的な、楽譜通りの完璧さを求め、

音楽の芸術性、意義を破綻させてしまったのです。

 

もし、ピアノコンクールの音楽が素晴らしいとするならば、

AIが作曲して、機械の自動演奏すれば事足りるわけです。

 

また、芸術は往々にして、金儲けの為の商業的目的で利用したり、

社会や人に対する鬱憤を晴らすはけ口にしたり、

単に個性的、唯一無二であればいいという自己顕示欲的な作品を作ったりと、

芸術本来の意義、在り方と異なる目的で使用されることがあり、

その為、それらのエセ芸術を見た人たちは芸術に対し、失望し、偏見を持ち、敬遠するようになります。

 

芸術の使命は、こころの救いです。

 

現在は科学の進歩によって、物質的には豊かになりましたが、

こころの面においては、自殺者やうつ病の人がたくさんいる現状から見て芳しくありません。

 

一流の芸術家の高い精神性、霊性、愛や優しさや慈しみを備えたこころが、

その作品を通して、ぼくたちのこころに届いて感動し、

精神的にも、霊的にも、人格的にも向上出来るのです。

 

つまり、一流の芸術家の「美」の力で、

今のこころが貧困な現代人を救う事にもつながります。

 

天国は芸術の世界です。

芸術を通して、美を知り、美を求め、美に感化され、

身もこころも美的な人間に少しでも近づきたいと、ぼくは思います。

 

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