やさしい芸術論

冬が来たなら、春はそう遠くない

「父母未生以前の本来の面目」とは何か

2021年01月29日 | 哲学

夏目漱石は27歳の頃、神経衰弱となり厭世的な考えを持つようになります。

そして鎌倉の円覚寺で参禅し、釈宗演老師より禅問答を受けます。

その時の公案はこのような問いでした。

 

「父母未生以前の本来の面目とは何か」

 

これは「自分の両親が生まれる前の、本当の自分とは一体何なのか」という問いです。

 

 

禅問答は修行僧が悟りを開くために、師匠から出される問答の事で、

決まった答えは無く、その問いを考えているうちに、

気付きを得たり、考え方が改まったりする為のものです。

ちなみにこの問いに、夏目漱石は老師に自分の答えを伝えるも、

「もっと、ぎろりとした所を持ってこなければ駄目だ」と言われ一蹴されてしまいます。

 

父と母から自分が生まれてきた以上、

父と母が生まれる前は当然自分も生まれていません。

その頃の自分とは何者なのか。

そもそも今の自分は何者なのか。

自分は誰なのか。

 

勿論、父と母から生まれ、名前もあって戸籍もあって、

学校や会社に属していますが、

本来自分とは何者なのかという事は分かりません。

自分で心臓を動かしてもいないし、この世界の事も本当は分かっていません。

どこから生まれてきて、死んだらどこへ向かうのか。

 

メアリー・シェリーの書いた「フランケンシュタイン」では、

次のようなやりとりがありました。

 

フランケンシュタイン博士は生命を生み出そうとして、

怪物をこの世に誕生させましたが、怪物の醜さに恐怖し見捨ててしまうのです。

怪物は孤独となりますが、人間と仲良くなりたいと考え、

言語を学び、人に親切な行動を取ります。

しかし皆、見た目が醜い怪物を恐れ、迫害を加え逃げてしまいます。

こころは優しいのですが、外見が醜いため誰も近づこうとしないのです。

怪物は絶望しますが、ある時、盲目の老人と出会います。

盲目の人なら、人を見た目で判断しないので仲良くなれると思ったのです。

盲目の老人と話をしている時、ふと、老人が怪物に質問します。

 

「あなたは誰ですか?」

 

怪物には両親もいなければ、名前もありません。

何のために生まれて、何をして生きるのか、皆目見当もつきません。

 

 

自分もそうですが、

「自分とは何か」という問いがあって初めて自分自身の事について考えて、

考えて初めて「自分とは何か」答えられない事を知ります。

 

この問は決まった答えが無く難しいのですが、

ここでアンデルセンの童話「モミの木」の話を用いて

この問いを考えてみようと思います。

 

ある時、小さなモミの木が森の中に立っていました。

モミの木は周りの木々や動物や新鮮な空気、日の光などを全く気にせず、

ただ「大きくなりたい」とその事に必死でした。

太陽に「あなたの若さを楽しみなさい」と言われても、

ただ大きくなる事だけを願っていました。

やっと大きな木に成長したモミの木は切り倒され、

ある家庭内のクリスマスツリーとして家の中に移動します。

その時モミの木は、

「やっと大きくなれた。これから毎日クリスマスツリーとして

みんなから愛されるだろうか」と思います。

しかし次の日には、物置小屋に移動させられます。

その時モミの木は「こんな暗い所に移動させられるなんて」

と残念がります。

日が過ぎて、やっと外に出してもらえた時、

またクリスマスツリーとして輝けると思いましたが、

中庭に横にされました。

そして、自分自身がひどく枯れてしまった事に気が付きます。

周りのきれいな花々を見て、「こんな事なら物置小屋の方がいい」と言います。

そうこしている内に、モミの木は切り刻まれ、

薪の束にさせられ、最後にはお酒をつくる窯の下で燃えて消えてしまいます。

 

小さな時は、大きくなる事を望み、

クリスマスツリーとなってからは、もっと愛されるように望み、

物置小屋に入れられたら、クリスマスツリーの時が良かったと思い、

中庭に出されたら、物置小屋が良かったと思い、

切り刻まれ薪になってからは、小さな頃が良かったと思います。

 

つまり常に不平不満や欲がある為に、

いつも「今」を楽しめないのです。

 

太陽が「あなたの若さを楽しみなさい」という言葉は

後になってから気付く訳です。

 

さて、神経衰弱で厭世気分になった夏目漱石に対し、

「父母未生以前の本来の面目とは何か」という問いが出されましたが、

両親が生まれる前には、喜びも悲しみもありません。

男でも女でもなく、お金もなく、体もなく、意志想念もありません。

 

その「ゼロ」であった夏目漱石は、この世にめでたく生誕し、

人生を歩み、悲喜交々あって、現在に至るのです。

 

生まれる前の「ゼロ」の時には、この世に生まれたいと願い、

この世に生まれたら、あれが無いこれが欲しい、

あれが嫌だ、これが苦しいといっています。

まるでアンデルセンの「モミの木」のようです。

 

人間は過去、未来は分かりません。

分からない様になっています。

 

だからこそ、「モミの木」の話のようにならないように、

「今」を受け入れ、楽しむ事が大切なのではないか、と

ぼくは思いました。

 

ガスヴァンサント監督の「マイプライベートアイダホ」で、

何もかも上手くいかない悲劇の主人公は、結局幸福は掴めませんでした。

 

映画の最後はこう締めくくられています。

 

「Have a nice day!」

「良い一日を!」

 

 

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