クラシックアラモード【ブログ】

冬が来たなら、春はそう遠くない

ぼんやりと 鼻水すする 冬の朝

2024年12月27日 | つぶやき

秋風が吹きぬけていきます。

朝ぼんやりと鼻水をすすりながら

季節の移ろいを感じます。

眠たそうな半眼と寝ぐせのついた髪とぱっとしない服を見ると、

自分は凡人なんだという事を強く自覚します。

 

Toyohashi cityに産まれ落ちて早30年余り。

一向に大人になれません。

頭の中ではショパンだ芸術だ高尚な事を考えていながら、

同時に

人生という長い道のりの途中で

大きな石をどかしたら出てきた小さな虫のような不安が顔を覗かせ、

見なかった事にしてまた石を戻したりしています。

 

世の中の事や周りの事や自分の事さえも

時に分からなくなります。

 

京都の大徳寺に行った際廊下に飾ってあった言葉

 

『自休』

 

自ら休んで呼吸を整える事の大切さは

何年経っても変わらないんだなぁと

しみじみとかみしめています。

純粋なもの、きれいなもの、変わらないものを求めて

今日もピアノの前に座ります。

ショパンのメロディーに耳を傾けながら……。

 

 

 

 


秋の夜の 道路に一人 月一つ

2024年12月17日 | つぶやき

段々と寒さが厳しくなって、鼻水と涙が出そうになる今日この頃です。

 

いつも夜中に一人ゴミ出しに行くのですが(ルール的にがグレー?)

ゴミ捨て場から自宅に戻る際の30秒間に

ふと目線を上に向けるとはっきりと光る星たちが見えます。

月と星たちが

寒い中独り歩いているぼくを優しい光でほのかに照らしてくれています。

なにかぼくのちっぱけな心を温かい眼差しで見守ってくれているような

そんな輝きでした。

 

・寒空の 星座眺めて 立ち止まる

 

・秋の夜の 道路に一人 月一つ

 

 

 


貧すれば鈍する

2024年12月11日 | つぶやき

今年はお札の顔が一新されました。

お札が当たらしくなっても、庶民の懐はさみしいままですね。。。

生活が苦しくなると、

自分の生活を成り立たせる事に必死になって

他人への思いやりや正常な判断が出来にくくなりがちです。

世のため人のためとか

真善美の理想的行動は時空の彼方に追いやられてしまいます。

 

以下、良寛和尚逸話選より

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良寛上人は、

人のことを悪く言ったり、褒めたり、批評することがなかった。

しかし、時と場合によっては一言あった。

ある村の役人がたいそう立派な家を建てた。

その時良寛上人は「貧すれば鈍する」と言われた。

 

”貧すれば鈍する”とは、

一般には貧乏になれば性質や頭が愚鈍になるという意味だが、

ここでは大金を持って品性が貧弱になれば

愚かな行いをする、という意味になる。

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良寛さんの言葉は、いつもハッとさせられます。

金銭的な貧しさだけでなく、

心も貧しくならないように気を付けていきたいですね。

 

 

 


【ニュース】2024年に発見されたショパンの24小節ワルツ

2024年11月27日 | クラシック

2024年10月末日。

音楽界に素敵なサプライズ。

ぼくがリスペクトしてやまないあのショパンさんの未発表の楽譜が発見されたとの報せが。

早速聴いてみると、マズルカ風の24小節の短いワルツでした。

……う~ん、駄作かなぁ?と第一印象。。。

短いし、ボツにしたものが見つかってしまったのでは?と

疑念が起こりましたが、いざ楽譜をもとに自分で弾いてみると

天才の片鱗を感じられる素晴らしい曲だと考えを改めました。

(初めに聴いた演奏者がランランだったからよく聴こえなかった説あり)

しかし、短い。

すぐに好奇心旺盛なぼくは続きを作りたい!と

軽い気持ちで続きを作り始めることに。

しかーし!

作っている途中で他の方が作った続きの曲を聴いてみると、

自分のやつより良くできている曲があり、

心を改めて一から真剣に作り直すことに。

苦心を重ねること2、3週間、ついに完成しました(涙)

もしこのページをお読み頂いた縁のある方は、

200年前のショパンさんと、令和を生きるぼくとの共作の音楽を

気軽な気持ちでお聴きくださいまし。


金子みすゞさんの恐るべき観察眼

2024年08月25日 | 

金子みすゞさんの詩について語ろうと思います。

『雀のかあさん』  金子みすゞ

子供が

子雀

つかまへた。

 

その子の

かあさん

笑つてた。

 

雀の

かあさん

それみてた。

 

お屋根で

鳴かずに

それ見てた。

 

大多数の人間は、主観で物事を見ます。

喜怒哀楽にしても、

自分が嬉しい、自分が悲しいという様に

"自分のこと"のみの視点となります。

 

一歩進んで、

目の前の人はどう思うか、

他人の目線になって物事を考える、

客観的な視点もあります。

 

さらに一歩進むと、

これは自分でも、相手の視点でも無い。

全体的に、物事をありのまま見る

俯瞰という視点があります。

 

人間の子供と母親が

嬉しそうに子雀を捕まえている様を

親の雀は見ていて、

その全体の悲哀というか、矛盾、理不尽な様を、

金子みすゞさんは俯瞰で見ている訳ですね。

 

雀はどんな気持ちだったでしょうか?

我が子が人間に捕まっている。

必死で鳴いて助けに行きたいけれども、

己の無力を知ってか、

これがこの世の常と諦めてか、

鳴かずに見ている。

 

その気持ちに寄り添える心が優しさであり、

金子みすゞさんの

恐ろしいまでの観察眼でもって

その哀愁をそのままに伝えています。

 

人間の親子と雀の親子の対句。

笑いと悲しみの対句。

何よりも、

『見てた』の三文字の中に

どれほどの想いが込められているのだろう。。。

 

心揺さぶられる詩でした。

 

 


「蜂と神さま」 

2024年08月24日 | 

ぼくは詩が好きです。

でも難しい詩や、長い詩はよく分かりません。

簡単な言葉で構成された誰でも理解できるような

そんな詩が好きです。

 

今回は金子みすゞさんの詩をここに記したいと思います。

 

世界は一つ、神様はすべてに宿られている。

だから、

ぼくの中にも、小さな蜂の中にも

神さまはいるのだなぁと

素直にそう思いました。

「蜂と神さま」

蜂はお花のなかに、
お花はお庭のなかに、
お庭は土塀のなかに、
土塀は町のなかに、
町は日本のなかに、
日本は世界のなかに、
世界は神さまのなかに。

そうして、そうして、神さまは、
小ちゃな蜂の中に。

 


初の本格JAZZライブ in 静岡

2024年08月21日 | ライブ・コンサート

音楽仲間に誘われ、未開拓の音楽JAZZライブへ。

電車に揺られながら静岡の地に降り立ちました。

良い座席に座る目的で開演前より並んで待つことに……(^_^;)

時は2024年8月17日。

容赦ない湿気と熱気で、ここはサウナルームかと疑いたくなるような酷暑でした。

静岡駅に降り立ってから、感想は「暑い」のみ。

汗を拭きながら、兎にも角にも早く会場の中の冷房が効いた部屋で、、と

そんな心境でした(;一_一)ハァハァ……

正直、JAZZは好きではない。

ぼくは音楽は色々聞くけれど、JAZZは好まない。

↑写真撮影OKとの事で、最前列のべスポジからパシャリ。↑

しかし思った以上に演奏が上手で、曲目も聴きやすいものが多く、

予想以上に楽しめました。

なによりもメインを務めたピアニストのゆうこりん?という方は

本物のテクニックと表現が出来る方で、

あんなにフォルテッシモからピアニッシモを表現できるのかと、

びっくりするほど音をコントロールされていて、

久々にプロの演奏を聴いたなという満足感を得られました!!

しかも

演奏中も笑顔、MCもウィットに飛んだユーモアを交えた話しぶりで、

終始楽しく、リラックスして聴くことが出来ました。

食わず嫌いせずに偏見を無くすことが、

新たな出会いにつながることを感じた、そんな一日でした☆

 

 

 

 

 

 


金子みすゞさんの詩 「繭とお墓」

2024年08月21日 | 

今日、仕事の休憩中に

スマホでやなせたかしさんの事を何気なく調べていたら

やなせさんの好きな詩という事で

金子みすゞさんの「繭とお墓」という詩に出会いました。

「繭とお墓」    金子みすゞ

蚕(かいこ)は繭(まゆ)にはいります、

きゅうくつそうなあの繭に。

 

けれど、蚕はうれしかろ、

蝶々になって飛べるのよ。

 

人はお墓へ入ります、

暗いさみしいあの墓へ。

 

そして、いい子は翅(はね)が生え、

天使になって飛べるのよ。

 

その詩を読んだとき、

よく意味が分からなかった。

蚕の事についても知らなかったため

蚕の事を調べていくうちに、なんだか泣けてきた。

 

蚕とは人間が数千年かけて

野生の蛾を家畜化した虫で、

蚕が生み出した繭から糸を手に入れるために

飼育しています。

しかし、繭に入って成虫になる前に

人間に殺されてしまいます。

人間による品種改良により

仮に成虫になっても、飛べないうえに

口から餌も食べられず、羽はあるけど飛べません。

勿論、蛾ですので、きれいな蝶々にはなりません。。。

 

幼くしてこの世を去ったかわいそうな人間の子供と、

人間の都合によって働かされ、成虫になる前に殺される運命の蚕。

 

この対句を、

実にシンプルに、端的に

また単純な言葉で、ごく自然に歌い上げています。

金子みすゞさん自身も26歳でお亡くなりになられた

そうですが、

とんでもなく冷静に、

この世の無常を、人間の残酷さを、また悲しみを、

ありのまま見つめておられるのですね。

金子みすゞさんは

せめて詩の中では、蚕と子供に

美しい姿で自由に羽ばたけるようにと、

されていたのですね。お優しい。。。

 

 

やなせさんの金子みすゞさんの詩の感想

「詩を読むと、心の中の弱い部分が少し痛むこともあるが、

時には、生きることについて、

そして気づかずにいた当たり前のことに気がついてびっくりしたりする」

↓ぼくの動画です↓

 

 

 

 


あなたの富があるところに、あなたの心がある

2024年08月11日 | 人生について

1849年、ピアニスト・作曲家のフレデリック・ショパンが亡くなりました。

 

ピアノによって、ショパンでしか創造出来ない「美」を表現し、

楽譜として残され、200年以上経った現在でも世界中で愛されています。

今までの古典派の音楽、発展しつつあったロマン派の音楽を完成させた人物。

ショパンが生まれていなかったら、

「音楽」の美の基準は今よりも低かっただろうと思います。

 

ぼくが初めて芸術に触れ感動したのは、やはりショパンの音楽でした。

 

ショパンのノクターン20番の初めの和音、そして

最後の分散和音を自分で弾いて、言葉で表せないような感動がこころに残りました。

その時は芸術の事も知らず、感動している事すら分かっていませんでした。

 

でも、その時の目には見えない感動が残り続けて、

芸術とは何だろうかと考えるきっかけになりました。

 

そのショパンの心臓は、故郷であるポーランドの教会に収められています。

そこにこんな言葉が刻まれています。

 

「あなたの富のあるところに、あなたの心がある。」

 

例えば、自分の富はお金だ、と答えた人がいるとします。

その人はお金の事を大事に思って、お金主体の考え方で生きています。

つまり、その人のこころは「お金」で出来ています。

 

しかし、死んだ後、あの世にお金は持っていけないのです。

確かにお金は大切ですが、損得勘定でしか物事を見れなくなります。

 

富が容姿の人は、容姿至上主義となり、人を見た目で判断し、

自分自身の容姿に必要以上に執着するようになります。

 

富が学歴の人は、やはり学歴で人を差別するような偏見で、

他人をみる事になります。

 

しかし、現世で富といわれるもの、(お金、容姿、学歴など)は

死んであの世に持っていけません。

目に見えるほとんどの物はあの世に持っていけないのです。

 

しかし、愛とか芸術的感性とかやさしさが富の人は、

死んでからも持っていけます。

何故なら、こころ、魂はあの世に行っても同じであるからです。

 

「お金には興味が無い。」

 

ショパンはそう言い、ピアノを通してその芸術性を遺憾なく発揮して、

富や名声や人気や才能に流されることなく、

真の美を追求して死ぬ直前まで曲を書き続けました。

 

この世ではお金をはじめ、物質は生きていくのに

必要不可欠ですが、目に見えるものだけを追い求めると

流されてしまい、何が正しいか分からなくなります。

 

目に見えるものが価値があるこの世の中にいて、

目には映らない、愛とか美とかやさしさが分かるような

人間になりたいと思います。

 

そのための音楽であり、文学であり、詩があり、絵があるのだと思います。

目に見えないところに、自分のこころを置きたいものですね。

 

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不幸せになった時に”幸せだった”とわかるもんなんです

2024年08月09日 | やなせたかし

幸せの中にいる時は「幸せ」はわかりません。

不幸せになった時、

「幸せだった」とわかるもんなんです。

             やなせたかし

肉体的に疲れると、出来るだけ早く寝るようにしています。

精神的に疲れた時は、寝たり、音楽を聴いたりしますが、

それでもしっくりこない時は

こころの処方箋を求めて、

各方面の偉大な先人達の言葉を見たりします。

 

人生の険しく長い道のりを歩いていると

自分はなんて無力で幼稚で不器用なんだと悲観し

失見当識気味になります。

 

そんな自分にアンパンマンの作者であるやなせさんの言葉は

すっと、自然に、

こころの奥に入ってきます。

そして最初の言葉。

 

幸せの中にいる時は「幸せ」はわかりません。

不幸せになった時、

「幸せだった」とわかるもんなんです。

 

最近になって少しこの意味が分かるような気がします。

 

幸せは自分のこころが決める。

幸せとは他人が持っているものではない。

自分がまだ手に入れていないものでもない。

他人や神様から与えられるものでもない。

 

自分には過去も未来もない。

過去は過ぎ去って、未来はいつまで経っても訪れない。

今。

今この瞬間を客観的に、ありのまま観る。

目をつぶって深呼吸する。

脱力、脱執着。

すると、

心臓が動いて、目が見えて、耳が聴こえて……そこに感謝……

そんな話じゃない!

何気ない日常の中に、その見落としがちな部分に幸せはある。

目を開けると、きっと見つかる。

大切な家族。

メーテルリンクの「青い鳥」。

今、この瞬間に感謝する。。。

↑ぼくの演奏↑