やさしい芸術論

冬が来たなら、春はそう遠くない

「吾輩は猫である」は未来予言書である

2021年01月17日 | 夏目漱石

先日、少しづつ読み進めていた

夏目漱石さんの小説「吾輩は猫である」を読み終えました。

 

元千円札の肖像画の人物であり、その人物の代表的作品なので、

知らない人はいない程有名な作品ですが、

ぼく自身、なんとなくの内容は知っているけども、

読み切った事はなかったので、読むことにしました。

 

 

「吾輩は猫である。名前はまだ無い。

 どこで生まれたかとんと見当がつかぬ。

 何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。

 吾輩はここで始めて人間というものを見た。」

 

という有名な冒頭部分から出発して、

主人公の猫による人間観察、人間描写が繰り返されます。

呑気な、くだらない、どうでもいいような、他愛もない

会話、出来事が次々と、延々と続きます。

 

個人的に夏目漱石さんの中では「草枕」が

お気に入りなので、正直退屈だなと感じつつ、

最後の方まで来ていたのでそのまま読み進めると、

444ぺージ目にきて、

とんでもない展開が待っていました。

 

主人公の猫を飼っている、中学教師の苦沙弥先生が、

それまでの呑気な、のどかな、コメディのような日常と一変して、

現代と未来に続く、社会の闇、社会の問題点を語り始めます。

 

「現代人の自覚心は自分と他人の間に利害のがある事を知り過ぎている。

 この自覚心は文明が進むにしたがって一日一日と鋭敏になって行くから、

 しまいには一挙手一投足も自然天然とは出来ないようになる。

 この点において現代の人は探偵的である。泥棒的である。

 探偵は人の目を掠めて自分だけうまい事をしようと云う商売だから、

 自覚心が強くならなくては出来ん。

 今の人はどうしたられの利になるか、損になるかと寝てもめても考えつづけだから、

 探偵泥棒と同じく自覚心が強くならざるを得ない。

 二六時中キョトキョト、コソコソして墓にるまで一刻の安心も得ないのは今の人の心だ。

 文明の呪いだ。馬鹿馬鹿しい」

 

そして人の死の問題についても触れていきます。

人類は死について研究の結果、

色々な案が出て、色々な死に方が生まれる。

人の死は自殺が主流となって、

自殺者はそれぞれの独創的な方法でこの世を去るに違いない、と語ります。

 

その次は非結婚論を唱えます。

 

「結婚が不可能になる。

 今の世は個性中心の世である。

 一家を主人が代表し、一郡を代官が代表し、一国を領主が代表した時分には、

 代表者以外の人間には人格はまるでなかった。

 それががらりと変ると、あらゆる生存者がことごとく個性を主張し出して、

 だれを見ても君は君、僕は僕だよと云わぬばかりの風をするようになる。

 それだけ個人が強くなった。

 こうなると人と人の間に空間がなくなって、生きてるのが窮屈になる。

 苦しいから色々の方法で個人と個人との間に余裕を求める。

 文明の民はたとい親子の間でもお互に我儘を張れるだけ張らなければ損になるから

 両者の安全を保持するためには別居しなければならない。

 親類はとくに離れ、親子は今日に離れて、最後の方案として夫婦が分れる事になる。」

 

以上の考えは現代社会をよく予言していると思います。

 

現代人は「個人」が強くなり、近所付き合いも薄くなり、

インターネットやSNSで、有益な情報を得て、

他人に興味が無く、自分がどうやったら得するのか、利になるのか、

エゴイスティックな損得勘定ばかりの人間になりがちです。

 

自殺が主流になるという点においても、

いじめや、過労死や、うつ病の人が増え続け、

毎年当たり前のように自殺者が3万人程出ています。

 

また、文明が進むほど、わがままな人間が出来て、

結婚してもすぐ離婚したり、子供を粗末にあつかったり、

親子、夫婦、友達、会社の同僚、近所付き合いに至るまで、

無関心、邪険のドライな関係性が増えていますので、

非結婚論もあながち当たっている気もします。

 

そして人間達の話を聞き終えた「猫」は

 

「呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする。」

 

といい、酒に酔い、甕(かめ)の中の水たまりに落ち、

溺れてしまい、もがけどもがけど助かりません。

死の直前で、もがいても無駄だと思います。

そして、死を受け入れて、猫はこう悟ります。

 

「吾輩は死ぬ。

 死んでこの太平を得る。

 太平は死ななければ得られぬ。

 南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。

 ありがたいありがたい。」

 

 

呑気でくだらない日常を描いたいままでの話の筋から、

最終的には厭世観漂う、

シリアスでダークな結末で締めくくられました。

 

この最後の主張は、現代社会の流れを

社会風刺的に問題提起しているのではないでしょうか。

 

実は深い話であったと、初めて知りました。

 

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