やさしい芸術論

冬が来たなら、春はそう遠くない

草枕3 シェリーの雲雀の詩

2021年01月10日 | 草枕

夏目漱石さんが書いた小説「草枕」には、

様々な芸術家の名前や言葉が出てきますが、その中に

イギリスの詩人シェリーの「雲雀」の詩が出てきます。

 

 

主人公の青年画家は人の世の住みにくさに疲れ、

山中の温泉宿に泊まり、自然に触れて、芸術について考えます。

温泉宿に向かう前に、山路を登っている途中で、

どこからともなく雲雀(ひばり)の声が聞こえてきます。

そして以下のように考えを巡らせます。

 

「春は眠くなる。猫はネズミを捕る事を忘れ、

人間は借金のある事を忘れる。

時には自分の魂の居所さえ忘れて正体なくなる。

ただ菜の花を遠くに望んだときに目が醒める。

ひばりの声を聞いたときに魂のありかが判然する。

ひばりの鳴くのは口で鳴くのではない、魂全体が鳴くのだ。

魂の活動が声に現れたもののうちで、

あれほど元気のあるものはない。

ああ愉快だ。こう思って、こう愉快になるのが詩である。」

 

そして、その時シェリーの「雲雀」の詩を思い出して、暗唱します。

 

原文  「We look before and after
     And pine for what is not:
     Our sincerest laughter
     With some pain is fraught;
          Our sweetest songs are those that tell of saddest thought.」

 

日本語訳「ぼくたちは前を見たり、後ろを見たりして、

     自分に無いものにあこがれる。

     腹からの笑いといえど、苦しみの、そこにあるべし。

     美しき極みの歌に、悲しさの、極みの想い籠るとぞ知れ。」

 

ぼくたちは人間社会に生きている以上、人間関係はつきものです。

人と人とが関係を持つ時、学校や会社や社会公共の場で同じ空間にいる時、

ついつい自分と他人を見比べて、自分に持っていないような

容姿、健康、お金、物、才能、幸せなどを羨み、憧れ、時に不平不満を言います。

ことわざに言う、「隣の芝生は青い」という状態です。

 

子供の時は、大人は自由でいいと思い、

大人になってからは、仕事に疲れ、子供の時の方が

かえって良かったと思う人もいます。

 

自分には必ず自分より上の人がいて、自分より下の人がいます。

容姿、健康、才能、経済面のどの角度から見ても、相対的において

自分が人より上であったり、下であったりします。

 

しかし、自分と他人を比べてしまうと、

いつまでもあれが無い、これが欲しいと右往左往してしまいます。

 

仏教でいう煩悩がある状態とも言えます。

 

他人と比べず、自分は自分と受け入れ、その個性でもって

生きていきます。その自覚こそアイデンティティと言われるものです。

 

今でこそ、障がいのある方や、性的マイノリティの方、宗教、

人種、個性的な生き方を受容するような社会になりつつありますが、

まだまだマイノリティの方が生きづらい世の中であるのは否めません。

これが「ひばり」の詩の前半部分を表しています。

 

 詩の後半部分は、

「腹からの笑い」と「腹の中にある苦しみ」、

「美しき極みの歌」と「悲しみの極みの想い」、との対句になっています。

 

ぼくの自論で芸術とはバランスの要素が含まれている、と考えます。

腹から笑っている人がいたとしても、

その人は人には言えない苦しみを背負っているかもしれない。

 

また、苦しみがあるからこそ、少しの幸せにも感謝し喜べる事もあります。

 

人生が順風満帆で、何不自由無い、苦労を知らない人が

美しい曲を歌おうとしても、

悲しみ、苦しみを抱える人にも届く美しい曲は歌えないのではないでしょうか。

(幸せな、きれいな歌は歌えるかもしれませんが)

 

悲しみがあるから、喜びや、美しさが分かる。

影をしっているから、光が分かる。

苦労をしっているから、楽が分かるという事です。

 

その相反する二つのものが、作用して芸術は生まれます。

芸術は表裏一体であるとも言えます。

 

話は脱線しますが、

「美しい」という言葉の意味を「慈愛」という言葉に置き換えます。

 

「慈愛」はいかなる人に対しても、愛情をかけ、助けてあげる人です。

この「慈愛」は同情(シンパシー)が無いと、行う事が出来ません。

 

例えば、親が自分の子をかわいがる、障害者が同じ障害を持つ人にやさしくする、

自分と同じ苦しみを味わっている人の苦しみは、経験がある以上理解出来るのです。

 

言葉を換えれば、何にも不自由無く順風満帆の人は、挫折している人、

苦しんでいる人、悩んでいる人の気持ちが分からない事が多いのです。

 

「慈愛」は色で表すと、紫色になります。

紫色は赤色と青色が合わさった色です。

赤色は情熱、怒り、青色は冷静、哀しみ、で

この相反する二つのものが混ざると紫色の慈愛、美しさに変化します。

 

赤色は正義・行動、青色は我慢・思考という意味にも解釈出来、

それら二つの生き方(利己的)が合わさった時に

慈愛という別の生き方(利他的)が出来ます。

 

なので、この「ひばり」の詩の後半部分はこの、

芸術的考えを詩的に表したものだと考えます。

 

また、人間は生活に追われ、

何のために生きるのか自分は何者なのか

時に分からなくなります。

 

そこでひばりの声を聞いた時、ハッと思います。

ひばりは口で鳴いているのではない、魂全体が鳴いているのだと。

魂の歌を一心不乱に歌っているのが、ひばりなんだと気づきます。

 

何事にも、何者にもこころを乱されず、自然に、

喜びを表すように、かなしみを歌うように、

生きているという実感を表すように歌っています。

 

「草枕」の作中で、ウグイスが膨らむ咽喉の底を震わし、

小さき口の張り裂くるばかりに、

ほーう、ほけきょーう。ほー、ほけっー、きょうー

とつづけ様にさえずるのを聴いて、那美さんが主人公にこう言いました。

 

「あれが本当の歌です。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
「数の歌」替え歌メドレー (数哲句 (「肉中の哲学」))
2021-11-30 06:12:44
≪…魂の歌を一心不乱に歌っているのが、ひばりなんだと気づきます。…≫を、
[魂の歌を一心不乱に歌っているのが、数の歌なんだときづきます。」

 数の歌カオスコスモス水中花 
               (愛の水中花)
 数の歌手と太陽で数創る 
             (手のひらを太陽に)
 数の歌カタチを変えて繋がるを 
              (だんご三兄弟)
 数の歌なぞり逢いにて〇□
          (ダンシングオールナイト)
 数の歌iだけ残せコスモスに
               (愛だけを残せ)
 数の歌カオス知らない子供たち
          (戦争を知らない子供たち)
返信する
「草枕」サーキャン(数論)) (円周率)
2023-03-13 05:17:29
 ≪…「あれが本当の歌です。」…≫を・・・

コスモスのカオス

  〇に棲む π              
  ながしかくで創る e           
  みんな何処へ行った 見送られることもなく
  〇で創る √               
  □(真四角)に棲む i(虚数)       
  みんな何処へ行った 見守られることもなく
  ヒフミヨにある星を誰も覚えていない
  人は空ばかり見てる
  つばめよ高い空から教えてよ ヒフミヨの星を
  つばめよ言霊の星は今 何処にあるのだろう

  □(真四角)の角の虚数(i)           
  〇に隠れた無限(∞)          
  みんな何処へ行った 見守られることもなく
  名立たるものを追って 輝くものを追って
  人はコスモスばかり掴む
  つばめよ高い空から教えてよ ヒフミヨの星を
  つばめよ言霊の星は今 何処にあるのだろう

  名立たるものを追って 輝くものを追って
  人はコスモスばかり掴む
  〇の円周率  
  ながしかくの自然数            
  みんな何処へ行った 見送られることもなく
  つばめよ高い空から教えてよ ヒフミヨの星を
  つばめよ言霊の星は今 何処にあるのだろう
返信する

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