やさしい芸術論

冬が来たなら、春はそう遠くない

美術品は目で見るのではなくて、「こころの目」で見る

2021年02月04日 | 芸術について

ロシアのピアニスト、ウラディミール・ホロヴィッツは子供のころ、

母親の弾く、ショパンのマズルカ13番を聴いて、感動して涙を流したそうです。

 

ショパンも、子供のころに、母親の弾くピアノの音色に感動して泣いたと、

本で読んだことがあります。

 

これは、知識や経験や努力や才能とは別のところの、

その人の美的感性、つまり目に見えない「こころ」の作用によるものです。

 

(ちなみに、ぼくが一番好きなマズルカ13番の演奏は、

 映画「戦場のピアニスト」の題材となった主人公「シュピルマン」の演奏です。

 「戦場のピアニスト」のサウンドトラックに入っています。

 ぼくは子供のころ、このアルバムの、この曲を繰り返し聴いていました。

 品があって、リズムがしっかりして、マズルカの哀愁がよく表現されています。)

 

 

音楽を聴いて感動して涙するのは、ただ悲しいからではありません。

ただ嬉しいからでもありません。

喜びも悲しみも、過去も現在も未来もすべて混ぜ合わさったような、

言葉に出来ない、何とも言えない気持ち、心情、情緒が、

人のこころに届いて、感動するのです。

 

これは目に見えない「こころ」を扱った話なので、分かりにくいと思います。

分かりにくいですが、芸術は目に見えない「こころ」こそが重要で、

「こころ」が無かったら、良い芸術は創作出来ないですし、

「こころ」を介さなかったら、芸術を味わう事が出来ません。

 

良い芸術品というのは、一目見ただけで「良い」と感じるものです。

 

例えば、新幹線に乗っていて、不意に目の前に富士山が見えたとしたら、

「わぁきれい」とか「美しい」と感じます。

5分くらい眺めて、富士山に関しての説明を受けてやっと、

「…うん。確かに良いかもな。」とは多くの人はなりません。

 

食事にしても、一口食べただけでその美味しさが分かったり、

歌手にしても、歌の出だしの所でだいたい上手か下手か分かります。

 

このように、芸術を見たり、聴いたり、感じたりする時に、

時間も説明も教養も不要なのです。

(芸術を鑑賞する時に、まったく関わった事が無い方面に関しては、

 基本的な知識や、有名作品などは知っておいた方が良いかと思いますが。)

 

以上を踏まえて、美術館へ行った時、

美術品の前に解説が書かれている事が多々あり、

よく説明書きを熱心に読んで、美術品自体をあまり見ていない人がいます。

 

音楽のコンサートへ行っても、パンフレットのプロフィールに載っている経歴を見たり、

誰かの作品を見る前に、評判を気にしたりします。

 

それらはまるで、人を判断する際に、

その人の容姿や学歴や所得や地位やその人の持っている資格だけで判断している事と同じだと思います。

 

人を判断するのであれば、自分の目で見て、耳で聴いて判断すればよいのです。

それで、この人は良い人だと感じたらそれで充分だと思います。

 

美術品も同じで、誰が何と言おうが、

自分の目で見て、耳で聴いて、それらが自分のこころに入ってきた時に、

自分のこころが良いと思えばそれで良いのです。

 

結局は、目で見える評価や経歴は絶対的な正しい物差しになりえず、

自分のこころの目でみる審美眼で何事も判断していかないといけないと思います。

 

その自分の審美眼が正しいかどうかは、別として、

自分の美の感性を、

一生懸命真面目に生きていく日々の生活から学べたり、

一流の芸術品を鑑賞して気付けたり、

たくさんの良いもの悪いものを見ていくとだんだんこころの目が養われていくと思います。

 

自分自身、高い審美眼を持っているとは思いませんが、

日々少しづつでも、美の感性を養っていこうという生き方、姿勢から

少しづつ美が分かっていくものと信じています。

 

美術館に行って、一枚の絵を見るとします。

※絵は円山応挙作、「孔雀図」です。 MIHO MUSEUM所蔵

 

この絵を見る時に、まず一目見て美しいと思うかどうか、

感性、こころで感じます。

 

そして、解説を読んだりせず、

線を追って、色彩を見て、配置や表情や、全体のバランスなどを見ますが、

そこはそれほど重要では無いと思っています。

むしろ、絵を見る時に線や色や配置やバランスを見ないようにします。

 

この絵を見た時の、こころの動きを観察します。

ただの子どもが書いた落書きとこの絵を交互に比べてみる。

道端のゴミと比べてみる。

他の画家が描いた孔雀と比べてみる。

本物の孔雀と比べる。

その時のこころの動きはどうか。

 

つまり芸術品の美の感化によって、

こころが豊かになり、品性が得られたり、美の喜びを感じられたか。

それとも、なんとなく不快な気持ちになったり、

殺伐としたり、気持ちが暗く沈んでいないか。

 

このこころの働きが、芸術の真の価値といえます。

 

少し胡散臭く聞こえますが、

一流の芸術の美の力は、人のこころのレベルを上げる、つまり霊性を向上する力があります。

芸術家の魂が、人々の魂を向上させたり、救ったりするのです。

 

話を戻すと、芸術を鑑賞する際は、

絵画にしても、音楽にしても、劇にしても、自然にしても、

鑑賞した時のこころの動き、こころが喜んでいるかどうか、

こころに品性や愛ややさしさが込み上げてくるかどうか。

 

つまり、「こころの目」で見る事が大切だと思います。

 

ショパンが母親のピアノを聴いて感極まったのは、

「こころ」で音楽を聴いていたからなのではないでしょうか。

 

人を見る時も、芸術を鑑賞する時も、

いつも「こころ」で見るようにしていきたいです。

 

 

 

 

 

 

 

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リバー・フェニックスのやさしさ

2021年02月02日 | 有名人

映画「スタンドバイミー」で有名な俳優リバー・フェニックス。

 

映画「ジョーカー」の主演ホアキン・フェニックスは実の弟であり、

リバー自身は23歳の若さでこの世を去りました。

 

 

リバーは子供のころから、やさしいこころを持っていました。

 

子供の時、両親とともに世界中を旅していた時の事を

こう答えています。

 

「キリスト教のパンフレットをたくさん配ったよ。

 ドラッグをやめさせるために、おもに若い人たちにね。

 妹とぼくのふたりで歌って、

 ぼくがギターを弾いた。マイクで喋ったりもしたよ…

 ”神様はあなたを愛してる”って言うんだ。

 そして、ぼくは本当にそれを信じてた。」

 

子役時代に、次第に名が売れ出した頃、

子役仲間とこんなやり取りをしていました。

 

リバー「君は将来有名になる?」

友達 「さあね、どっちでもいいよ(謙虚を装って言ったセリフ」

リバー「おれは有名になるよ。絶対にね。金持ちで有名に。」

友達 「どうして?有名になるってそんなにカッコいい事なの?」

リバー「家族のためさ」

 

 

リバーの両親はヒッピーで、危険な新興宗教にも所属しており、

私生活がだらしなく、働いていなかった為、貧困だった。

 

リバーは、家族の大黒柱の役割を担い、

映画に出て、天才子役としてお金を稼いだ。

次第に有名になっていくリバーとは反対に

両親はリバーと距離を置いた生活をするようになった。

 

リバーはただ家族のために、お金を稼ぐために

役者になったのだが、周りの大人たちはリバーの事を

ビジネスの目でしか見ず、次第に孤独になっていく。

 

禁酒、禁煙、ヴィーガンで肉も食べなかった。

周りの人を喜ばそうと頑張ったが、

ドラッグに頼ってしまい、若くしてこの世を去ってしまった。

 

親友キアヌ・リーブスとの共演作「マイプライベートアイダホ」では

悲劇の主人公を演じていたが、実生活のリバーと重なる点がある。

 

リバー・フェニックスはこの映画についてこう語った。

 

「ぼくは「マイプライベートアイダホ」の

 故郷と母親を探し求めるところに本当に強い共感を持っている。

 あれはすっごく感動的だった。」

 

子供の時に、ドラッグを止めさせるようパンフレットを配って、

道行く人に「神様はあなたを愛してる」と言ったやさしいリバー…

 

きれいな魂よ、永遠に!

 

ブログサークル
ブログにフォーカスしたコミュニティーサービス(SNS)。同じ趣味の仲間とつながろう!

 

 

 

 

 

 

 

 

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