ウツウツ記

毎日の生活で感じたことを書いています。

「夜と霧」と消えない記憶。

2012-09-25 14:17:24 | 日常
少々前の話になりますが、Eテレ「100分de名著」で
フランクルの「夜と霧」を取り上げていました。
ユダヤ人強制収容所を体験した心理学者である著者が
過酷な状況下でも生きていくことの意味を説いた本として
東日本大震災以来、最近、また手に取る人が多いそうです。

後で書きますが、私は本当に幼い頃からこの本を知っていました。
父の本棚にあったからです。
でも、内容は全く知りませんでした。
体験を綴ったということは知っていたので、
過酷な状況のノンフィクションだと思い込んでいました。
今回、番組を見て初めてその内容を知りました。
人生に意味を求めるのではなく、「何か」が私を待っている、「誰か」が私を待っているという考え方。
特に心に残っているのは、生きる意味を見つける三つの手がかりです。
一つは仕事や趣味、日常生活の延長として行なうことで創造される価値。
仕事の内容ではなく、自分に与えられたことに対してどれだけ最善を尽くしているか、
が問われます。
二つ目は自然や人とのふれあいの中で実現される体験価値。
収容所に送られる列車の中から見えた夕焼けにも感動できる思いや
愛する人との思い出などです。
そして三つめは自分では変えられない出来事に対してどのような態度をとるか、
によって実現される態度価値。
劣悪な収容所にあって、それでもなお自分のパンを他人に差し出す人がいる、という精神の自由だけは
誰にも奪えないのです。
これらを手がかりにすれば、人生を意味あるものに変えることは誰にでもできるし
また明日死刑になるという人にとっても遅すぎることはない、
とフランクルは説くのです。

私が主体になって人生の意味を捜すときには
上手く言えませんが、とても頑張らないといけないような感じがします。
生きているのだから、意味あるものにしなければならない、というような。
だから思うままにならない時には、そのことがとても辛く感じる。
でも、フランクルのように、人生は私に何を期待しているのかな?と
主役を代えてみると、少し気が楽になるのは私だけでしょうか。
人生を預けたような気分・・・
生かされている気分、とでも言えるでしょうか。
特に態度価値については、深く考えさせられます。
どういう私にでもなれるのだな、と。

と、今回TVを通じて初めてこの本の内容を理解でき、本当に良かったと思っています。
その理由は初めにも書きましたが、私の消えない記憶と重なっているからです。

とても嫌な記憶です。
誰にも言えずにいる記憶です。
でも、この本の内容を知って、こんなにいい本なのに誤った記憶を植え付けられた怒り、
そしてまた、改めて感じた母親への意味不明さを整理したくて書いています。

私がこの本を知ったのは、まだ小学校へ上がる前5歳くらいだったと思います。
父の本棚は2階の和室にありました。
ある晩、母はその部屋で何か縫い物をしていたように記憶しています。
私は隣の子供部屋にいました。
「○○、ちょっと」
母が呼んだので、傍へ行きました。
「ちょっとあの本を取ってみなさい」
それが「夜と霧」でした。
固く小さな本でした。
母が私に見せるようにページをめくります。
今発行されている本がどうなっているかは知りませんが、
当時の本には初めに何枚もの写真が添付されていました。
どれも強制収容所でのショッキングな写真です。
遺体だらけです。
それもただの遺体ではない、傷つけられ痛めつけられた悲惨な遺体の山です。
私の心臓はバクバクしてきます。
これは一体何なんだろう。。。
特に驚いたのは、泣き叫んだ表情のまま首を切り落とされた生首が並んだ写真でした。
カッと見開いたままの瞳。
大きく歪んで開いたままの口。
それらを母は、逐一、私に説明しながら見るように強制したのです。
ガス室の説明も丁寧にしました。
そこに書かれているフランクルの崇高な精神を説明するのではなく、
ただ単にショッキングな写真を懇切丁寧に説明する母親って。
相手はまだ5歳だというのに。
一体、何のために?
当時のドイツ人の発想にも?ですが、私の母親の頭の中も十分に?です。
本の最後の方はイラストで、それも丁寧に説明して
やっと母から解放された私は、体がとても熱くなっていました。
そしてそれから、二度とこの本には触れることができなくなりました。

当然ですよね。
その日から私は、滅茶苦茶怖がりになりました。
寝ていても、ある日急にドイツ軍が捕まえにきたらどうしよう・・・
と不安になりました。
どうやって逃げようか、隠れようか。
生き延びるためには何をしたらいいのだろうか。
私もあの遺体の山の中に投げ込まれるのだろうか。
どんなに時間がたっても、忘れられない映像が残っています。

5歳児に一体、何がしたかったのか。
全く理解できない母の行動です。
聞いてみたい気持ちもあるけれど、きっと自分を正当化した答えしか返ってこないから
もう聞かない。
自分が酷く子供を傷つけたという自覚すらないのだろうから。

私の恐怖は根深いと思います。
人はこれほどまでに残酷になれる、と一瞬で叩き込まれたのだから。
どう生きるか、なんていうことよりも
何がなんでも勝ち残らないと殺される側になるかもしれない、という恐怖が
心の底にずっとあります。
でもある意味、今回この本の内容を知ったことで
私は少し解放された気持ちになりました。
何も人は残酷な一面だけを持っている訳ではない、と。
過酷な状況を生きたフランクルが「それでも人生にイエスという」と説くのだから
それは真実なんだと実感します。
私のトラウマもだんだんに薄れることがあるのかもしれません。

それにしても、母は意味不明な人です。
そんな人が子供を育てていたのですから、
私が母を求めることを諦めて生きてきたのは、当然だったのでしょう。
関係が築けないことは必然だったのでしょう。
コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 今はこんな感じ。 | トップ | 半額セール。 »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
驚きました (はな)
2012-09-29 11:26:07
本当に、「一体、何のために?」ですね。大人でも正視できない写真です。不可解な人たちは、恐ろしく自己中心的。何か、ふと思いついて、そんなことをしたのでしょうか。
私の母は、子供が言ってほしくないことをわざわざ言って、じっと反応を見る人でした。じっと見つめるその表情を今でも覚えていますが、あれは意地悪だったのかなと思います。「夜と霧」の写真を幼子に見せるとは、その程度のことではありませんね。恐ろしいです。
私は母の冷たさを繰り返し味わい、「何も求めない」と決めるまで苦しみました。求めないって、楽ですね。
返信する
ありがとうございます。 (くんくん。)
2012-09-29 13:59:11
はなさん、ありがとうございます。

本当に何度考えても謎です。
ふと思いついた意地悪だったんでしょうね。
そうやって平気で人を傷つける人でした。

何も求めないって楽ですよね。
でも、そこに至るまでの道のりは罪悪感に満ちていてとても苦しい。
それを味わわずに済む他の人がうらやましかったです。
求めてもムダな人だと諦めた時は、解放感とともにやはり寂しくなりました。
でも徐々に今は前を向いて、誰に囚われることなく生きていく気持ちよさを感じています。
返信する
よくわかります。 (りさこ)
2012-12-26 14:22:18
私は五歳の時に親戚のお姉さんが原爆資料館に連れてってくれました。それから、いつ原爆が落ちるのか 明日落ちるのではないかって 数年その恐ろしい気持ち抜けませんでした。だからとてもお気持ちわかります。お母様はひどいことされたんですね。分からない方ですね。
返信する
ありがとうございます。 (くんくん。)
2012-12-26 15:31:01
りさこさん、ありがとうございます。

私は広島に住んでいるので、原爆は他の地域の方よりも身近です。
子供たちも小学生の頃、学校で資料館へ連れていかれました。
私は「とても辛い展示もあるから、無理して見なくてもいいよ」と伝えました。本能的な恐怖を感じることだけが、原爆を知ることではないと思っているからです。
現実を知ることは大切ですが、どう伝えるかは本当によく考えないといけないと思います。

何度考えても母の心はわかりません。
恐怖で人を支配したかったのかもしれません。。
返信する

コメントを投稿

日常」カテゴリの最新記事